競馬を本格的に始めた年のクラッシックを駆け抜けた快速馬。
無敗で迎えた皐月賞、ダービーを簡単に逃げ切り勝ち。この時代に敵はいないかに思えた。距離に不安をささやかれながらも断然の一番人気で迎えた3冠挑戦の菊花賞では、我がライスシャワーに敗れたが、その後のステイヤーとしてのライスシャワーの活躍を見れば、ミホノブルボンはやはり強かったのだろう。
しかし、彼は古馬として競馬をすることなく、8戦7勝、2着1回の戦績を残してターフを去った。
血統的には全くの二級馬であったが、はたして、古馬としてレースに挑んでいたらどのようなレースを見せてくれたのだろうか。
彼の子どもがすでにデビューしているようだが、一向に表舞台には姿を見せていない。
やはり、彼はサイボーグだったのだろうか?