数週間前になりますが、ついにデジカメを購入しました。
FujiFilmのFinePix2500Zです。
200万画素、3倍光学ズームを備えた機種です。
一眼レフカメラとフィルムスキャナを持っているので必要ないと思っていましたが、KずガーデニングやKずファーム用に手軽に利用できるデジタル画像撮影の必要性が高まっており、また、子どもがカメラに興味を示していたのでその意味もあって購入に踏み切りました(まだ、子どもは意味のない写真をバシャバシャとってしまうのでフィルムカメラを使わせることに躊躇していました)。
1ヶ月近く使用してみた感想は、'花マル たいへんよくできました' です。
ちょっと記録用に撮るには簡単便利だし、画像もウェブで使うにはまったく、問題ありません。フラッシュの光量が少ないので室内ではちょっとEosにはかないませんが、その他のウェブ用カメラとしては満足です。
ひとつ欲を言えばフォーカスをマニュアルでできたら文句なしなのですが。
エイズは、自分には関係ないものと考えており、それほど怖いものではなかった。
しかし、今度の狂牛病は違う。
今まで普通に食べていた牛肉や牛由来の製品に病原体が忍び込んでいるかもしれない。
今度の狂牛病をひきおこすプリオンはわからないことだらけで、典型的理系人間を自称している自分でも根拠のない恐怖を感じている(なにせ、農学専攻ながら、学校の授業ではプリオンなどというものは一切、名前がでてこなかった)。
原因、対処方法が今後、確立されていくのだろうが・・・
人類滅亡(ホモ サピエンス滅亡、新種への進化)が近いのだろうか?
NYのテロ事件、不謹慎ですが、すごかったですね。
直後の報道を見て驚いたことがある。
まず、あの映像を見てもそれほど驚かないことに驚いた。
映画などで見慣れてしまったので現実感がないんですね。
また、直後の世論調査の結果にも驚いた。
'武力行使に賛成'が8割以上は納得できる。
でも、'一般人に被害がでてもしかたがない'と答えた人が6割以上いた。
何度も言われていることであるが、「憎悪の連鎖」以外のなにものでもない。
それを6割以上の人間が容認したことに驚いた。
仕事の関係で東京と連絡をとることがあるのだが、東京(23区)人は、自分の電話番号を言う時に市外局番をつけない場合がある。
(東京だから03はあたりまえだ。言わなくてもわかるだろう。)
or
(ほとんどの相手は市内通話なので、市外局番を伝えなければいけないことを知らない)
上記のどちらか分からないが、どうも東京人の驕りを感じる。
同じようにニュース番組などでその日の天気をコメントする場面があるが、いずれも東京ローカルの天気である。
東京ローカルな話をするな!
東京一極集中を打破しなければ!
田舎モンのグチです。
今月はネタがないので、ちょっと涼しくなるお話を。
一度読んだら頭の中で想像してみてください。
とある冬山、ある4人が吹雪にあい、遭難してしまいました。日も暮れて一同に不安がよぎり始めたとき、幸運にも小さな山小屋にたどり着きました。
ひとまず落ち着きを取り戻しましたが、吹雪は数日間やまず、食料や暖をとるための薪もなくなってしまいました。
このまま眠ってしまっては、みんな凍死してしまう。
そこで一同はあることを思いつきました。
部屋の4つの隅に一人ずつ立ち、Aさんが隣の隅のBさんのところに、AさんからバトンタッチされたBさんがCさんのところに・・・というように部屋の周りをぐるぐる回りつづけよう、ということになりました。
眠気に襲われながらも4人は周り続け、夜が明けました。
外は数日ぶりの晴れ間、一同は最後の力を振り絞って下山を始め・・・・
無事に生還を果たした4人が地元の警察、関係者に今回のいきさつを話していると。
ふと「ちょっとまって、それって・・・」
「?意味がわからない」という方はご連絡ください。
また、痛ましい事件が起こってしまった。大阪の小学校児童殺傷事件である。
しかし、今回、この事件をとおして一番強く感じたことは別のことである。
事件の概要、容疑者の素顔・過去、なぜ、このような事件がおきてしまったのかの検証、いずれも報道することは必要もしくは、しても良いだろう。
しかし、なぜ、殺された子供の生前の作文や絵を報道する必要があるのか、殺された子供へあてた両親の手紙を報道する必要があるのか?(報道陣にそれらを開示している親、関係者がいることも確かだが)
視聴者は、それらを見て何になるのか?
どう考えても、報道の狙いは、‘お涙ちょうだい’を狙っているとしか考えられず、また、視聴者も興味本位、哀れみが大半ではないだろうか?
子供を持つ親として、あれらの報道を見ると心を締め付けられるほどの恐怖を覚える。
被害者が我が子だったら・・・
あんな報道はいらない!!
今月で月刊Kずも3年目を迎えました。
まるまる2年、毎月定期更新をしてきたことになります。
特にこの編集後記はその当時の自分の気持ちがオーバーラップしてたいへん興味深いものです。
これからも自分の記録として続けていきたいと思います。
個人の自己満足ですが、よろしければ引き続き、ご愛読ください。
ゴメンなさい。
今月は、書く話題がありません。
自民党の総裁戦は面白かったんですが、政治と宗教の話しはすべきではないと考えています。
また、来月、お楽しみに。
地元の市民農園の抽選に当たりました。
30平m、灌漑施設あり、という市民農園にしては規模の大きなものです。
今まではわずかな庭があったものの、日当たりが悪く(夏でも1日数時間、冬はまったく日が当たらないこともあります)、満足なものができませんでした。
これからは、野菜はもちろんのこと、花(育種)もおもいっきり栽培できます。
これにともなって「Kずファーム」の創刊を考えています。
創刊したらご連絡します。お楽しみに。
森先生と言っても某国のおバ○首相のことではない。
この時期になるとよく目に付く某予備校のお茶○水大出身、森先生である。
記憶は定かではないが、最低でも4、5年前、下手をすると私が学生のころから同じ紹介をされていたように思う。
その間、全く写真が変わっていない。
どう若く見積もっても、現在、30うん歳。本物を見てみたいような、見たくないような・・・
来年のサッカーワールドカップに関して、大会名を「韓国、日本」、と表記するのか「日本、韓国」と表記するのかでもめているようである。正式には「Korea、Japan」ということらしいが、日本側は日本国内の日本語標記では「日本、韓国」としたいと言っているらしい。
目くじら立てる韓国も韓国だが、日本側も別に「日本、韓国」にこだわる必要はないように思う。
そんなことよりも、実際にワールドカップで成績が良い方が真の開催国として歴史、記憶に残るのではないだろうか。
ぜひとも日本のサッカー協会には、くだらない「大会名の表記」などに神経を使わずにチームのレベルアップを今以上に進めてもらいたい。
また、先日、新聞に在日中国人の方が「しな」と呼ぶのをやめてほしい、という記事があった。
コメントを寄せていた人いわく、「日本人が中国のことを‘しな’と呼ぶことの根底には中国蔑視がある」とのこと。「しなちく」は禁句だそうだ。
果たしてそうだろうか?戦前生まれのご老人たちは知らないが、少なくとも我々世代では全く、そんなつもりはない。逆に21世紀は中国の世紀となる可能性がある(まさしく、‘中華’:世界の中心。中国にはその素質がある)。
いいかげん、日中戦争、太平洋戦争の記憶を引っ張り出すのはやめた方が良いのではないだろうか?(もちろん、当時の日本人がアジア諸国で行った非道を忘れてはいけない)
もっと、建設的な考え方で今後のよりよい関係を築く必要があるのではないだろうか?
あけましておめでとうございます。
Kず出版も2回目の新年を迎えることができました。
これもひとえにご愛読いただいております皆様のおかげと感謝しております。
さて、昨年12月号のこの欄でお話しておりました我が家の変化も無事に迎えることができました。
予定日どおりの2000年12月31日(20世紀の最後の日)に待望の女の子が誕生しました。
3700g超という最近では珍しい大きな子どもです。
今後、なんらかの形で当ホームページ上にも登場すると思います。
わんぱくざかりの上の子に加えて2人目ができ、
当ホームページの更新もよりいっそうたいへんになることが予想されますが、
可能なかぎり名前のとおり「月刊」で更新していきたいと思います。
今後ともご愛読お願い申し上げます。