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 2001年1月中旬、いつもの秋山さんとKBさん、私の3人でカンボジアのアンコールワットへ行って来ました。
私がまだ小学校低学年だった頃、なんかのTVアニメで「アンコールワットの亡霊」の場面を見てから、ずっと気になっていた場所です。
アンコールワットのあるカンボジアでは、つい最近まで不幸な内戦が繰り広げられていました。
一部の極端な思想家が権力を持って政をしていたために、多くの何の罪もない、この世に生を受けた場所がたまたまカンボジアであった・・・という人たちが悲しみ、苦しみの禍に巻き込まれ、本当に不本意であろう たった一度の人生をこの地で終えました・・・。
上の写真をクリックすると大きくなります。
 ***カンボジアの不思議***
  ・・・こんなことを書くと誰かに叱られるかな?
カンボジア・・・と言ったらアンコールワットな訳ですが、それにしてもここにある遺跡の規模はとてつもなくでっかい。
何でこんなにすごい文化を持っていた国が、こんなになっちゃったのかな〜???って誰もが不思議に思うでしょ?
その謎解きは・・・
 今から千年ほど前、今の中国南部に「南詔」という国を作って住んでいたタイ族が居た。
その頃元気なクビライ汗の勢力拡大から逃れるために、タイ族はその地を逃れ、13世紀中ごろインドのアッサム地方や、ラオス、ビルマ北部、ベトナム、タイへと移動した。
当時のタイは、このクメール朝の配下にあったが、その地にタイ族は定着し始め、クメール朝の勢力がちょっと弱った隙に、彼の「スコータイ王国」を興した。
もちろんクメール朝はここアンコール・トムに都がありました。

 その後、タイ族は益々元気になり続け14世紀には「アユタヤ王国」が興り、タイ族絶好調!それ行けとばかりに、アンコール・トムに攻め入り1431年にクメール朝を滅ぼしたのです。
当然文化的には遥かにクメール人の方が高かったので、僧、政府高官、技術者をごっそりと(数万人の捕虜)アユタヤに連れて帰り、クメールの頭脳はタイ発展のために使われるようになったのです。
・・・って何かの本に書いてあって妙に納得しました。

 ちなみに、このような過去の歴史を紐解いても、タイ人というのは他国文化等の吸収をバリバリできるとっても優れた民族かと私は考えています。
そんなこんなで、十数年後のタイバーツは世界の経済を牛耳るんではないか(バブルの頃の日本みたいに)と思ったりしてます。
・・・でも、こんなことを言うと、日本人の方が優れていると勘違いしている人なんかには「えータイバーツー?」と言われてしまいますが・・・

***アンコールワットへのアクセス***
 私は、バンコックのドンムワン空港からバンコック・エアウェイズの飛行機でアンコールワットのある街”シェムリアップ”へ直接入りました。
この空港は、国際線が乗り入れられるとはとても思えない規模の空港ですが、とりあえずVisaの発給も入出国審査の機能も持っています。
空港は、シェムリアップ郊外(街中から車で20分ぐらい)のこりゃまた周囲に何にも無いところに、こじんまりとあります。
Visaの申請も簡単で、写真一枚(3cm角程度なら受け付けてくれる・・・いいかげんだからね)を行きの機内で配られる申請書に貼って、必要事項を記入の上、U$20を準備しておけばOK。
到着後、空港の建て屋に入ったら左側にある長机でVisaを発給してもらえる。
その後入国審査を受ければもうお終い。※Visaを発給してもらったら、自分の入国審査カードにVisa番号を転記することを忘れずに・・・・。
シェムリアップはすごい田舎町だから(カンボジアはどこでもそうらしいけれど・・・)交通の便がすごく悪い。
私が行った時は、バンコックのカンボジア旅行専門の代理店にパッケージ旅行(って言っても我々3人だけなんだけれど)を申し込んだので、日本語の話せるガイドさんと、運転手付のトヨタ・ハイエースが空港で待っていました。車・ガイド付のツアーが楽で良いと思うな・・・ここは。

 ***シェムリアップ***
 この街の郊外に(・・・って書くとどこが街だかわからないくらいなんだけれど)アンコールワットがあります。
ホテル等は全てこの街にあります。私はアンコール・ホテルと言う比較的新しい清潔なホテルに泊まりました。
今度行く機会があったら、女房と一緒に行って、この街にある”ソフィテル”にでも宿泊してゆっくり遺跡見物をしたいな・・・って思います。

 ***Killing Field***
 アンコールワットに向かう直線道路の途中、左側にあるお寺の中にある。名前のとおり、ポルポトが粛清に使用した場所です。
ここは元刑務所で、’77−79のたった4年間で数万人の人を殺戮した所だそうです。最近、跡地を掘り返すとおびただしい数の人骨が重なって出てきて、それをガラス窓のある塔の中に、ボロボロの遺品と共に収めてあります。
写真があったのですが、とても掲載できません。
私のPCからも消去しました。
 2−3年前、ポルポトが亡くなったNEWSがTVで流れて、ちょっと寂しさを感じた自分が情けなかった。

 ***オールドマーケット***
 シェムリアップ川沿いにある、小規模の市場。
この中にお土産屋さんもあります。ホテルの前に居たバイクとサムローをくっつけたような変てこな乗り物で行ってきました。
 アジアの貧しい場所に行くと必ずそうなんだけれど、
”I am poor, please give me money. I know that you have money. I wish・・・ Please give me money!”
といった感じで、こども達がお金をもらいにきます。
こういう子供たちは、異様にしつこくまとわり尽きますが、絶対にお金を上げることはしません。
すわって、乞食をしている人たちにはあげるようにしていましたが・・・

**アンコールワット**
 アンコールワット周辺は、大遺跡地帯で、アンコールワット以外に数々の大きな遺跡があります。
したがって、この地帯へ入場する道路上で入場パスをチェックするゲートがあります。  最初に森と言うより林の間から、アンコールワットに出会います。
お堀の裏側から、ワットの正面から向かって右側の通りを抜けて、正面のお堀に着きます。
「ああ、あのアンコールワットに来たんだな・・・」という思いと共に、「ちょっとイメージしていたのより小さいな・・・」って感じたね。
でも、よく見てみると、でっかいお堀の遥か向こうに見える3つの塔に、なんだかよくわからない興奮を覚えたのです。
お堀を渡って回廊内部に入ると、3つに見えた塔は、実は5つあることがわかります。
そして、その規模に圧倒されて声も出ないくらいの感動を覚えました。
(写真左:アンコールワット正面のお堀 右:回廊の門を抜けた瞬間)

 ***バイヨン***
 アンコールワットしか知らなかった私には、あまりにもインパクトがでかかった。
「こいつはすげえや!」って絶対思うはず。
観世音菩薩でできた(・・・の御顔を模った塔でできた)建物が余りに有難くって涙が出そうでした。
ここは、アンコール・トムという、とっても古い町(12世紀頃)の遺跡の中心部に有ります。

***アンコール・トムの遺跡群***
 彼の有名な「ライ王のテラス」をはじめ、「象のテラス」、「王宮」・・・と、結構TVで見たことがある遺跡がいっぱいの古都。
(写真左:ライ王のテラス上にあるライ王の像   右:象のテラス)