熊野への想い
2004年 夏 ようやく十数年越し(それ以上か・・・)の想いを叶える時が来たのである。
ジョン(犬)と子供をつれて徒歩(かち)で旅をしたい・・・・
しかし、サラリーマンである自分には、そんな時間を取る余裕など無かった。
また、会社の制度上取得できる事になっている節目の長期休暇など申請できる様な環境に居たわけでもなかったし。
愚痴になるが、昨年度なんぞは日本の春休みを前に海外出張に出・・・現地の長期休暇では現地で仕事をし、
日本のGWは当然向こうで仕事をし、初夏に日本に戻ってきた。
そして、楽しみにしていた夏休みには又海外へとび仕事・・・・
そして12月には又海外へとび、現地もお休みのお正月はずっと出勤・・・
やっと日本に帰ることが出来るのは、母が肺癌になったので・・・という口実が出来た春・・・
戻ってきて、母を見舞い・・・疲れからか自分が肺炎になり・・・
でも、期末のため海外工場との打合せの会議なんかもあったので一日しか休暇も取れず・・・養生って何だ???
父と母が癌なので・・・と言い訳をして日本に残れたGWも、結局は殆ど会社で仕事をし・・・
本当に愚人の様に仕事をしていたものである。
この夏の前にリストラの話があり、持病が悪化している事もあり思い切って手を挙げた。
新任役職であった私に「はいどうぞ・・・」と、会社はそう簡単に言ってくれる訳もなかったが、
持病を持ちながら激務に耐えなければいけない辛さとそのリスクを訴えやっとOKして頂いた。
2004年7月31日を持ってリセットし。
そして、晴れて2004年8月1日プー太郎になったのである。
丁度、子供の夏休みとも重なるため徒歩で歩きたかった候補No,1の熊野へ行くこととなったのである。
しかし、誠に残念なことに愛すべきジョンは歳を取りすぎ(14歳)日々のお散歩すらまともに歩け
ない体になってしまっていた。
ジョンと旅をする想いは遂げられないが、息子の歩夢(あゆむ)とは旅が出来るのである。
何故、熊野なのか?
歴史が好きで、それを学ぶ中で相当若かりし頃から蟻の熊野詣に興味があった事がひとつ。
私はちょっと右翼で、日本第一に心引かれるのがひとつ。
学生時代に和歌山県出身の田伏さんという先輩が居て、その方から何度か熊野の話を聞いた事がひとつ。
八咫烏がJFLの日本代表のマークシンボルである事もひとつ。
そして、再生・蘇りの聖地であること・・・・
・・・
実は、私の田舎は伊豆市熊坂(旧:静岡県田方郡修善寺町熊坂)というところ。
ここにある神社は、熊野神社なのである。
そう、私は熊野神社の氏子(の息子か・・・)でもあったのだ。
・・・と言うことで、ず〜っと昔っから気になっていたのである・・・熊野が。