タイトル

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僕が大学生活を送っていた80年代前半のミュージックシーンは
変革の時期であった。

日本に於いては Y.M.O スクエア や、ギターキッズを虜にした
高中正義 等のフュージョン系が真っ盛り。

その前の70年代後半は、風、オフコース、ユーミン、アリス等々
に代表されるフォークからニューミュージックへと
(何がニューなのかというと)
電気楽器を使ったちょっとお洒落な音楽へと質的な変化があった。

当然、学生のバンドもちょっと硬めで爽やかに伸びるギターサウンドを前面に
打ち出した低湿度の音楽を追い求めるのが主流であった。
僕が唄っていたバンドは、それらに一線を画すゴテゴテのブリティッシュ系
(ディープパープルやホワイトスネイク)のハードロックバンドであった。

カスレ気味ながら結構高域でハリのある僕の声であるのだが、
ちょっと可愛い声質なので余んまりハードロックに向いている声質ではなかった・・・

(先日、ディープパープルの90年代前半の再結成LiveのDVDを見ていたときに・・・
イアンギランってハードロック唄うの下手だな・・・
よーく考えてみると、若い頃は声帯がつぶれていてハードロックに合っていたから上手く聞こえたんだ・・・
声質がハードロックにあわなくなったんだ・・・)
・・・どちらかと言うと余んまり気に入った環境(音楽性)で音楽をやっていたわけでは無かったが、
化石バンドと呼ばれるほど時流を無視した音楽性を持った
バンドであったので其れなりに活動出来たのであろう。
要するに好きじゃあ無い歌を歌っていたのだな。




ただ、Rock'n roll ナンバーは気持ちよかったな・・・

そういえば、アンコール用におチャラケでやった
ジュリーのストリッパーって曲はいまでもカラオケで歌う事がある。
初めて唄った時は基歌を聴かずにステージに立ってさ
歌詞もうろ覚えだったので納屋橋のYAMAHAが会場だったので
出番までの間は店に下りていって歌本を一生懸命見て覚えていたモンだ。

あの頃の僕が大好きだったミュージシャンは、
<日本人>
吉田拓郎
伊勢正三
ジョニー・ルイス&チャー
八神純子
世良正則
さだまさし
OZ
レイジー
・・・

<外国人>
ロッド・スチュアート
ジョン・レノン
セルジオメンデス
イーグルス
レッド・ツェッペリン
クイーン
ボストン
ミッシェル・ポルナレフ
チープ・トリック
ピーター・フランプトン
・・・

・・・なんだか支離滅裂(ぐちゃぐちゃ)な好みであった。
そう・・・その日の気分で大きく聴く音楽が違ったんだな・・・

だからかな?ハードロックバンド以外にデュオの
バンドでギターを弾きながら唄ったり・・・
(ボリウムZERO奏法を編み出したのもこの頃・・・)

女子大に呼ばれてフォークソングを唄ったりもしていたのである。

フォークソングと言えば、学生時代の夏休みの始まりに
静岡市のすみや本店のホールで小さなコンサートをやってっから田舎に帰ったことも何度か・・・

ギター(イーグルスのコピーバンドでは12弦ギターを弾いていた)以外は
圧倒的にマイクスタンドを振り回す方が多かった。
ある時、ステージで曲の終わりにジャンプしたらマイクのコードが抜けた。
ハンドマイクはやめよう・・・でも、世間にはパイプのかっちょ悪いやつしか無いんだよね・・・
仕方が無いのでロッド・スチュアートみたいな(ジュリーや世良さんも・・・)
マイクスタンドを探したのだが売っているはずも無く
自分で製作したのである。

マイクスタンドを作っているのは、
確か一世一代のコンサート前日じゃあなかったっけかな?



その後、社会人になってから会社でバンドを作って大学祭に出たり、
諏訪に行ってから諏訪人とバンドを作ったりしたのだが・・・
余んまり気がノるバンドは出来なかったな・・・

そして人生で一度きりのオーディションを受けて山梨のバンドで活動していったり。
三年弱在籍していたから・・・今思うとちゃんと演っていたね・・・

その後、僕の周りにお手頃なミュージシャンがいないので活動していないんだな。

やっぱり、バンドをやるんだったら田舎(故郷)に帰り、田舎で仕事をする!これが基本だね。

背景は学生時代のBAND風景