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 2002年8月某日   巻頭言

 暑い!やっぱり日本の夏は暑いな〜・・・

 あっという間に三十代が過ぎ、気が付いたらもう厄年である。
何をやっても楽しかった二十代がつい昨日のように思えるのだが、よくよく考えてみると遥か大昔の出来事である。
現在の自分の肉体を思えば、この十数年間で見事に中年らしい体型になったものだ。
学生の頃はずっと58〜62キロ程を維持し、結婚する前までは64キロから上にはいかなかったものだ。
身長176センチ、約60キロのとってもかっこいいお兄さんであったと思う。
「どんなに食っても俺は太らない!」と良く豪語したものだが、いまや80キロが手に届くところまで来てしまった。

この春まで、タイへ単身赴任していた。
行く前には、ひとりで苦労するのだから少しは痩せるであろう・・・と思っていたのだが、全くそんなことはなかった。

もう四十のジジイである。このまま、デブのまま死んじまって良いものだろうか?
いや、それはまずい。
「デブは伝染病だ!お前がデブだから俺も太るんだ!」と言って、罪のない妻を責めるのも、もうやめよう。

いままでの、不健康な生活を改めて、心機一転!健康的な体を取り戻そう!
病は気から→健全な精神は健全な肉体に宿る。はきっと基本である。
(最近この言葉の訳について喧々諤々やっている人たちがいる・・・)

 ここで、リッチマンであればスイミング、だとかトレーニング・ジムだとか言うのだが。
典型的な市井の我が家は、まずタダで出きること・・・が家族に認めてもらうためには重要である。
そして、飽きっぽい自分としては、何か目標を持たないと続かない・・・のである。

よし、いつかはフルマラソン・・・を目標に、日本各地の(特に温泉場)マラソン大会に参戦し、思いを遂げよう!



 2002年8月末日

 最近の子供たちは、夏休みに連日ラジオ体操をする訳ではない。
我が家のある地区では、夏休みの最初と最後の一週間(計二週間)しかラジオ体操をしないのである。
八月の最後の週は、子供たちと一緒にラジオ体操に参加し、終わったあと娘のゆいちゃん(小学四年生)と一緒に小学校までの往復1.2キロを走った。
ゆいちゃんは、一年前からバドミントンをやっており、結構体を鍛えている。
残念なことにお父さんは若干負け気味かもしれないな。
まあ、始めた頃は1.2キロを9.5分ぐらいかけて走っていたのが、8.5分ぐらいに入ってきたのでもうひと踏ん張りかな?
当面の目標は、1.2キロを6分切るまで。
ぼちぼちいこか・・・


 2002年9月第一週

 今週、子供たちの学校がはじまり、月〜水までは私一人で走った。
木曜日からゆいちゃんが参加し、金曜日には、はじめてあっくんが参加(ちょっと・・・)した。
11月24日に朝霧高原マラソン大会があり、このファミリーマラソンの部に参戦しようかと思っていたが、あいにく子供たちのバドミントンの大会が前日開催されると言うことでまた涙!。
これで2回めだぞ。10月27日の「大井川リバティーマラソン大会」も、ゆいちゃんのバドミントン東海大会で参戦できないんだぞ。

・・・と、ぼやいていたら例のA氏がその前に週に「キウイマラソン」があるよ・・・って教えてくれた。
じゃあ、ちょっくら調べてみるか。
今週のタイム 7分台突入!

(写真: 大井川河川敷にできた陸上競技場)、詳細は ここ(大井川河川敷マラソンコース)
ここは、現在整備中の大井川河川敷の陸上競技場。
富士見橋と太平橋の間にあります。
この上の堤防と道路の間に現在駐車場と器具庫を建設中。
あと一ヶ月で2002年のリバティマラソン大会だが、それまでに完成するのだろうか?
いずれにしても、大井川町にこういった施設が出きることは歓迎すべきことだ。


 2002年9月第二週

 8日の日曜日の夕方、近くの大井川河川敷マラソンコースへ家族と走りに行ってきた。
妻は早々にリタイヤし、娘のゆいちゃんは二キロ、私は三キロ走った。
張り切って走った割りに、タイムは伸びず(15分50秒ぐらい)ただただ疲れた。
おかげで、月曜日の朝は走れず、火、水、金のしか走っていない。
(これを書いている土曜日は雨)
水曜日の夜、近所の曽根さんとお酒をしたたかに飲んでしまい、木曜の朝はダウン。
タイムも伸びずに7分台後半のまま・・・

くだんのA氏から大会の情報がメールで土曜日に入った。・・・もしかしたら、来週デビュー戦かも・・・・

・・・ということで、15日の日曜の夕方、大井川河川敷マラソンコースに家族で出かけて、5キロ走ってきた。
陸上競技場の一番下流側に、マラソンコースの起点からちょうど2.5キロの地点がある。
この場所から、太平橋のやや下流にある起点までの往復を走った。
もう、この5キロなんて〜距離は未知の距離であり、走りきれる自信も無かった。
が、走ってみると・・・何とか完走できた・・・が、タイムが・・・
32分58秒・・・というなんとも大変遅いタイムであった。
予定では、30分は軽く切れるだろう・・・と、思っていたのだが・・・
体力的にも限界に近く・・・これじゃあ、来週のFISCOのマラソン大会は駄目かな?
まあ、何とも歯切れの悪い・・・・


 2002年9月第三週 大会デビュー

 今週は、深酒をせず毎日しっかり走りこんだ。
仕事と、町内会関係で変なストレスが相当溜ってきている。
とりあえず走って均衡を保っているのか・・・・

週末は、思い切った勝負に出るかな・・・

・・・というわけで、2002年9月22日(日)
FISCOで行われた「富士マラソンフェスタ2002」で、
高低差50mのFISCOの5キロの周回(一部遠回りをする)を32分12秒の自己ベストでデビュー戦を飾ったのである。


 2002年9月第四週 故障に付き休養

 火曜日の朝からなんとなく右足付け根が痛い。
すぐに直るだろうと思っていたが、そうも行かないようだ。
巨体に耐え切れずに関節が悲鳴を上げたのだろうか?

今週は、おとなしくしていよう。

・・・しかし、走らないと気分転換できなくてストレスが蓄積されていくようだ。

28日の土曜日、妻と息子の三人で近くのアルペンに行ってトレーニングパンツを2枚買った。


 2002年10月第一週 復活

 ぼちぼち走り始めた。
特に、タイムのことは気にせずに、じっくりと強くなろう。
尊敬する先輩ランナーA氏が、ゆっくり長い時間走れば強くなる・・・
と、かっこいい事をいっていました。
週末の土曜は大井川河川敷マラソンコースを8キロ。
日曜日は、家族全員で大井川河川敷マラソンコースへ行き、
走り始めて3キロぐらいで腹ペコに・・・死にそうな思いで結局5キロ。


 2002年10月第二週

 今週は、良く眠れた。
秋も深まり朝は肌寒い。ついつい寝過ごしてしまい今週は朝あまり走らなかった。
金曜の夜、飲み会でお酒をしっかり飲んで体調万全の土曜の夕方は、
いつもの大井川河川敷のマラソンコースに一人で行った。

片道4〜4.5キロぐらいだろうか?
大井川町の河川敷陸上競技場から新幹線大井川鉄橋までの往復を一時間一分かけてゆっくり走った。
ちょっと肌寒いくらいの気温だったせいか、本当に気分良く走ることができた。
ゴールしたときにはもう暗くなっていたため、それ以上走ることはやめたが、
気分がよかったのでもう一往復ぐらいできるほど余裕があった。

走っていると、ほかのランナーにバリバリ抜かれていくのだが、
それでも、走ることが楽しいのだ。

 2002年10月第三週

 今週は、あんまりお天気が良くなかったな。
月曜日は休日であったので、二人の子供をつれて河川敷のコースに走りに行った。
最初の2キロはゆいちゃんと一緒に走った。
一キロ目は約7分、二キロ目は6分ちょっとの記録であった。
その後一人で5キロを6−7分/キロのペースで走った。

平日の朝のトレーニングは、今週の途中から距離を長く変えた。
その日の体調によって走るコースを変えることにしよう。

日曜日の今日は、大井川町の河川敷陸上競技場から新幹線大井川鉄橋を超えて藤枝市を通り過ぎ、島田市のエリアまで足を伸ばした。
今にも雨が降りそうな空模様であったが、何とか走り終えるまで持ちこたえてくれた。
走行時間1時間14分35秒(途中立ち小便一回込み)

先週、先輩ランナーのA氏から靴を一足頂いた。
現在僕が履いている靴は、25歳ぐらいのときに買ったアディダスのマラソンシューズで、相当貧乏くさいものである。
しかし、あんまりにも足にフィットしているので今まで捨てられずに延命しつづけ、
なんと先日はFISCOにデビューまでしてしまったのである。
そんな靴しか持っていなかったので、そろそろ靴の購入を考えていたのだ。
ちょうど良かった・・・

 2002年10月第四週

 今週は、平日の朝2キロぐらいを何度か走っただけである。
土曜、日曜と忙しくって走れなかったのだな。

 2002年11月第一週

 とっても寒くなってきた。土曜の午前中大井川河川敷のリバティへ行って走ってきた。
朝練をお休みする日が増えたのである。
川下に走っているときは良かったのだが、川上に向かうと風が強くて息が出来なくて困った。
終いには、呼吸困難に陥って走るのを止めてしまった。
しかし、あの風の中を歩いて帰る道のりの寒かったこと・・・・。

 2002年11月第二週

 寒い寒い、風邪を引いてしまった、なかなか治らない。
来週は、キウイマラソンに出場なんだけれどな・・・
週末に、家から浜まで走って、そのまま海岸線をぼちぼち走ってきた。
鼻水が止まらなくって結構走っていてつらいのだ。

 2002年11月第三週

 風邪が治らず絶不調のまま富士川キウイマラソンを迎えてしまった。
水曜日までは朝の走り込みを2.5〜3キロ行ったのだが、風邪が良くならないので女房に止められた。
鼻水が止まらなくってどうしようもないので、土曜日の午前中に共に風邪をひいている娘と一緒に「たきいクリニック」に行って診察をしてもらう。
親子で同じ風邪だとのことで、全く同じ薬をもらって帰ってきた。
そして、デビュー2戦目「富士川キウイマラソン2002」にだらだらと突入するのである。

 2002年11月第四週

 絶不調の富士川キウイマラソンも、どうやらビリにはならずホッとしつつ・・・。
風邪は一体いつになったら治るんだろう?走っていて気分が良くないのである。
最近は、週末も河川敷に行くのはやめて、家の近所をスタスタ・ダラダラ鼻水を流しながら走っている。
大井川町は農道だらけで走って気分がいいかと思いきや、さにあらず。
暴走軽トラや、意地悪おばさん軽自動車にいじめられながらのランニングはちょっと怖いのである。
もし、俺がランニング中に側溝に落ちて死んでいたら、それは軽トラばばあ、または暴走軽トラの仕業である。
決して、私の眼のせいではないのだ。

 2002年11月第五週

 しばらくレースが無いので寂しいな。
年内は、12/15に娘と「ファミリーの部」に出場する袋井ロードレースだけなのだ。

 2002年12月第一・二週

 12/15にゆいちゃんと 「袋井ロードレース」に出るのである。
最近、寒いせいか持病の左ひざ痛が出てきた。
まあ、走れない程の事でも無いのでぼちぼち行くさ・・・

 2002年12月第三週

 年明けの1/19に、大井川河川敷で大井川町の駅伝が行われる。
そのレースに、子供達がバドミントンのチームで参加することになった。
小学二年生の息子のあっくんも1.5km走るのである。
あっくんも、お父さんと走って練習することになったのだ。
そこそこのスピードで、1.8kmを難なく走り切る息子を見ていて将来が楽しみなのである。
それから、次のレースもゆいちゃんと相良のマラソン大会を走ることになった。
自分としては、距離の長い奴を走ってみたいのだが、娘と参加できるなんて事は、今後そう多くは無いだろうから・・・今シーズンはファミリーマラソンでがんばろう!

 〜2003年1月第二週

最近、朝が寒くって全く走れないのである。
寒さの中、外に出る気もしないし、ましてや会社なんかにも当然!行きたくない毎日なのだ。
・・・とか言っていたら、体重はどんどん重くなるし、腹も出てくるし・・・
週末の土曜は大変暖かく久々に河川敷のリバティに一人で走りに行ってきた。
久しぶりなので、ゆっくり4キロぐらい走ってやめようと思っていたのだが、結局6キロ走ってきた。
6キロを39分という超スローペース・・・なのだが僕には充分なスピードなのだ。

来週の日曜はここで大井川町の駅伝が行われる。
結局あっくんは補欠。ゆいちゃんは2番手を走るようだ。
あっくんのデビュー戦が先延ばしになりちょっと残念だなぁ。
*結局あっくんのチームからインフルエンザで欠員が出て、あっくんは大変良い成績で走ってくれました。

2003年1月第三週〜2月第二週

とにかく最近寒くって膝が痛い。
昔のように膝に水が溜まる事は無いのだが、曲げて伸ばすときに左膝がカクカク鳴るのである。
暖かいタイに居た時にはこんな事一度も無かったのだが、寒い日本に戻ったらやっぱり昔のままなのである。
毎日、午後になると少し良くなるのだが・・・とても走れる状態じゃあない。
1月26日に子供と女房がエコパ・アリーナでバドミントンの試合があったときに
、一人でエコパから法多山へ走ってお参りと、厄除け団子を買いに行ったくらいしか走っていない。

(写真: 法多山 ・ 法多山名物厄除け団子)

これじゃあ、真冬に多いマラソン大会にはあんまり参加できないではないか!
・・・と言いつつ、駅伝で自信を付けたあっくんは、2月9日に相良町で行われる「田沼意次マラソン」に出走する決意を表明したのである。
先にエントリーを決めていた「父・娘」チームと共に、「母・息子」チームも参加である。
とうとう我が家は”水口マラソン一家”となったのである。

 2004年8月

 全く久しぶりのマラソン物語である。
この8/31には、先日のバドミントンの大会で体力不足を感じた子供たちが走る気になったので夕方リバティーに行ってきた。
あっくんは30日にかったミズノのランニングシューズを履いて張り切って走ってくれた。
ゆいちゃん1.5km、あっくんとお父さんは3.3km残暑きつい夕方に台風16号の後でゴンゴン流れる大井川を横目に走ったのでした。

 2004年9月

 バドミントンの練習の無い火・木・日には子供と走る事にしている。
ただ、あっくんはお友達のところに行ったり、呼んだりで5時ごろ走れない事が多いのだ。
ま、走るより友達と遊ぶほうが大切だから・・・な。

 2004年10月

 子供たちの走りがだんだん速くなっている。
子供たちにもストップウォッチ付き腕時計を付けさせて無目標で走らせることを止めた。
ペースも段々掴めるようになり記録の向上に結びついている。

 2004年11月

 ゆいちゃんは既に僕より速くなってしまった。
東小往復約1.3kmはゆいちゃんが6分20秒台、自分は6分50秒台がやっとである。
あっくんも早くなって来た。なんと7分10秒ぐらいで走れるようになったのだ。
これから寒くなると・・・また走らなくなるのかな?

 2004年12月

地道に走っている。
2月の相良のファミリーマラソンが僕の復帰戦だ。

 2005年01月

 16日にはあっくんが河川敷で駅伝に出場。
お父さんは・・・寒いので引きこもり・・・・
月末にようやく相良目指して走り出したとさ・・・

 2005年02月

 13日にあっくんと相良町の第48回田沼意次相良町マラソン大会に親子ペアの部(2.5km)に出場。
お父さんもあっくんもい、前日まで伊豆の実家でたらふく飯を食って過していたので体重超過で非常に鈍い走りをした。
結果・・・ビリから2番という記録的大敗。

 2005年03月

 月の初めに足を故障・・・中旬には動くことさえ大変なぐらいにまで痛めてしまった。
直りかけた27日にやっとFISCOで久しぶりに走る。
結果は・・・立ち止まったりして写真を撮影しながら走ったのですが34分ぐらいで5kmを走り終えた。