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司馬遼太郎

最後の将軍 −徳川慶喜−  2004年8月読了
会社を辞めたら最初によもうと準備しておいた本。
徳川慶喜は徳川家第15代将軍である。
本来ならば将軍が出ない水戸家の血を濃く引く慶喜がなぜ将軍になったのか?
しかも、幕引きが確実な徳川将軍家の跡を何故継ぐ気になったのか?
この人は、馬鹿なのか?阿呆なのか?天才なのか?
小心者なのか?豪胆な奴か?
色々な逸話を聞くと本当に良く分からない人なのだが・・・
読んで見ても良く分からない。
この本からは両方に見えるのだ・・・徳川慶喜は凡人には計り知れない人なのだ。

それにしてもこの明治を迎える日本は薩摩・長州の2藩の汚いともいえる謀略で血を流しながら変わって行った。
その時代の人たちのことを英雄視するようなTV番組を見たことがあるがそうだろうか?
土佐の坂本竜馬が生きていたら・・・時代はどう変わっただろうか?
・・・って良く考えたことがあるが、どうだったろうか?

戦雲の夢  2004年6月読了
この物語は、長曾我部盛親(ちょうそかべ もりちか)の敗北の人生の物語である。
人間、何が幸せなのか判らない。
ただ一ついえるのは不幸な人に付いた人は不幸な人生を送るだけなのである。

豊臣から徳川の世に移る中、全く浮かない人生を歩んだ長曾我部盛親という大名の人性訓に富んだお話なのだ。

義経 上・下  2004年3月読了
新装版文庫(字がでかい)で読みやすい初版。
2004年2月10日の版なので、私の43歳の誕生日版なのである。

国民的英雄である義経のお話の司馬さん版。
僕の田舎は伊豆なので、子供の頃から源氏のお話は身近な昔話として聴いて育った。
やっぱり、どの義経のお話も義経の最期の記述が希薄なのだ。
司馬さんのこの本も同様であった。
ちょっと期待していたのだけれど・・・


俄(にわか)−浪華遊侠伝−  2004年2月読了
読む本がいよいよ無くなって、タイ工場の日本人食堂という滅多に行かない部屋の書棚で見つけた本。
江戸から明治へと時代が遷り変わる中で、時代に翻弄されつつも自分の二本の足で飄々と何故か時代の壁を乗り越えて来られた浪花の親分のお話。
このお話を読むと、芥川龍之介の蜘蛛の糸ではないが、人間の因果について考えさせられる。
要は、人の道(倫理的に)から外れちゃあロクな人生(=死に方)を歩めないよ。
任侠人だって、人の道を外れなきゃあ誰もが羨む様な人生を歩めた確かな事実がこれに記されています。
2004年2月コラートにて


坂の上の雲 全8巻  2003年12月読了
司馬遼太郎の本を読むのをずっと我慢してきた。
それは、暇になったとき(例えば、生きていたら定年後)にゆっくり読もうと思っていたからである。
(もちろん大作が多い事も理由の一つだが・・・)
過去に、当然何冊か読んでそう思っていたのだが、心境(状況)の変化で、読みたいものは読めるうちに読んでしまおう・・・と思って最初に選んだ。
先ずタイトルの話から・・・

僕の田舎は伊豆の修善寺である。伊豆の山々に囲まれ、当然坂も多い。
夏の暑い日、汗をかきながら坂道を登る。その坂の先に青い空が浮かびその雲を見つめながら坂を一生懸命上る子供の頃の自分・・・
その頃のように一生懸命に成れないでいる自分。何かその頃のノスタルジーを感じさせる様なタイトルにずっと惹かれていた。

本書の内容はそのタイトルから受けるイメージそのまんまの内容である。
正岡子規、秋山好古、真之、この3人の明治の人達の成長と、対照的な生き方。
そして、子規の死後、日露戦争での好古、真之の軍隊のコマの中での生き方。

著者がこの大作の中で表現したかったことは、そのタイトルそのものである。
さっき読み終えたばかりの僕の頭の中で、ぐるぐる何かが回っていて言葉にならない。
2003年12月コラートにて


>過去に読了した本
城を取る話
他、もう一度読み直すのでまた書きます。