日本ワールドカップ挑戦史


1938年 フランス大会
日本は初エントリーしたが、日支事変の影響で棄権してしまう。

1954年 スイス大会
試合年月日
相手国
結 果
試合会場
監 督
その他
1954.03.07
韓国
● 1−5
神宮競技場
竹腰 重丸
初参加の第1戦は大敗
1954.03.14
韓国
△ 2−2
神宮競技場
予選敗退が決定

  • 日本がワールドカップの地区予選に参加したのは、第2次世界大戦後の1954年からである。
  • 竹腰監督の下でヨーロッパのクラブチームを招き、強化試合を行った後での参加であったが、 戦争による世界レベルからの後れは大きく、苦難の歴史が始まった。


1962年 チリ大会
試合年月日
相手国
結 果
試合会場
監 督
その他
1960.11.06
韓国
● 1−2
ソウル
高橋 英辰
惜敗
1961.06.11
韓国
● 0−2
国立
予選敗退が決定

  • やはり韓国の壁にはねかえされる。日本の植民地としての屈辱を味わった韓国は 何がなんでも日本に負ける訳にはいかなかったのである。その気迫あふれるプレーに圧倒され、 韓国に対するコンプレックスもこのころから生まれてきた。


1970年 メキシコ大会
試合年月日
相手国
結 果
試合会場
監 督
その他
1969.10.10
オーストラリア
● 1−3
ソウル
長沼 健
 
1969.10.12
韓国
△ 2−2
 
1969.10.16
オーストラリア
△ 1−1
 
1969.10.18
韓国
● 0−2
 

  • 韓国と2試合を行い1敗1分、またしても勝つことが出来なかった。
  • オーストラリアにも1敗1分、依然ワールドカップ予選での勝利は無い。
  • 前年のメキシコ五輪で7得点で得点王に輝いた「釜本 邦茂」が病気で 予選に出場できなかった事もあり、銅メダルの勢いを持ち込めなかった。


1974年 西ドイツ大会
試合年月日
相手国
結 果
試合会場
監 督
その他
1973.05.16
イスラエル
● 1−2
ソウル
長沼 健
 
1973.05.20
南ベトナム
○ 4−0
初勝利
1973.05.22
香港
● 0−1
 
1973.05.26
イスラエル
● 0−1
延長戦の末惜敗

  • 南ベトナム戦で、ワールドカップ地区予選初勝利を挙げる。この時の日本代表監督は、 現在の「長沼 健」日本サッカー協会会長である。
  • 結果は1勝3敗で、本大会への道のりは依然見えていない。


1978年 アルゼンチン大会
試合年月日
相手国
結 果
試合会場
監 督
その他
1977.03.06
イスラエル
● 0−2
テルアビブ
二宮 寛
 
1977.03.10
イスラエル
● 0−2
 
1977.03.26
韓国
△ 0−0
国立
 
1977.04.03
韓国
● 0−1
ソウル
 

  • この予選では3敗1分と勝つ事が出来ず、またも地区予選敗退。
  • 東京五輪、メキシコ五輪と活躍した日本代表だが、その後の代表強化が実らず アジアの壁を突破出来ない状態が続いた。サッカー人気も下降線をたどり、長い低迷期が続く事になる。


1982年 スペイン大会
試合年月日
相手国
結 果
試合会場
監 督
その他
1980.12.22
シンガポール
○ 1−0
香港
川淵 三郎
 
1980.12.26
中国
● 0−1
 
1980.12.28
マカオ
○ 3−0
初めて複数の勝利を挙げる
1980.12.30
北朝鮮
● 0−1
延長戦の末惜敗

  • この予選では、2勝2敗と健闘。監督は現Jリーグ チェアマンである「川淵 三郎」である。


1986年 メキシコ大会
一次予選
試合年月日
相手国
結 果
試合会場
監 督
その他
1985.02.23
シンガポール
○ 3−1
シンガポール
森 孝慈
 
1985.03.21
北朝鮮
○ 1−0
国立
 
1985.04.30
北朝鮮
△ 0−0
平壌
 
1985.05.18
シンガポール
○ 5−0
国立
 

最終予選
試合年月日
相手国
結 果
試合会場
監 督
その他
1985.08.11
香港
○ 3−0
神戸ユニバーシアード
森 孝慈
 
1985.09.22
香港
○ 2−1
香港
 
1985.10.26
韓国
● 1−2
国立
 
1985.11.03
韓国
● 0−1
ソウル
 

  • ★ 伝説のフリーキック ★
    最終予選、香港に2勝した日本は国立競技場で韓国と対戦した。2点をリードされた日本は 前半終了間際にフリーキックのチャンスを得る。これを 木村和司が右足でゴール左上隅に決めた。 30mはあろうこのFKは後々に「伝説のフリーキック」として語り継がれる事になる。
  • しかし、この試合は1−2で敗れ、続く韓国での第2戦も敗れ、ライバル韓国の前に涙を飲んだ。 が、日本サッカーに明るい光がさした予選となった。
  • このころの代表メンバーには、木村和司、加藤久 等、が名を連ねていた。


1990年 イタリア大会
試合年月日
相手国
結 果
試合会場
監 督
その他
1989.05.22
香港
△ 0−0
香港
横山 謙三
 
1989.05.28
インドネシア
△ 0−0
ジャカルタ
 
1989.06.04
北朝鮮
○ 2−1
国立
 
1989.06.11
インドネシア
○ 5−0
西が丘
 
1989.06.18
香港
△ 0−0
神戸総合
 
1989.06.25
北朝鮮
● 0−2
平壌
 

  • この予選では、2勝1敗3分と健闘。しかし、北朝鮮のアウェーでの負けが響き1次予選敗退となる。


1994年 アメリカ大会
一次予選
試合年月日
相手国
結 果
試合会場
監 督
その他
1993.04.08
タイ
○ 1−0
神戸ユニバーシアード
ハンス・オフト
 
1993.04.11
バングラデシュ
○ 8−0
国立
 
1993.04.15
スリランカ
○ 5−0
 
1993.04.18
アラブ首長国連邦
○ 2−0
 
1993.04.28
タイ
○ 1−0
ドバイ
 
1993.04.30
バングラデシュ
○ 4−1
 
1993.05.05
スリランカ
○ 6−0
 
1993.05.07
アラブ首長国連邦
△ 1−1
アルアイン
5月Jリーグ開幕

最終予選
試合年月日
相手国
結 果
試合会場
監 督
その他
1993.10.15
サウジアラビア
△ 0−0
ドーハ
ハンス・オフト
 
1993.10.18
イラン
● 1−2
スパーサブ中山登場!
1993.10.21
北朝鮮
○ 3−0
 
1993.10.25
韓国
○ 1−0
W杯予選で韓国から初勝利
1993.10.28
イラク
△ 2−2
ドーハの悲劇!

  • オフト監督の下、1次予選を勝ち進んだ日本はドーハでの最終予選に臨んだ。 1試合目強豪サウジアラビアに引き分け無難にスタートしたかに見えたが、 2試合目イランに1−2で敗れる。この時、交代出場して執念の1点を取った のがスーパサブ「中山 雅史」であった。流れを引き寄せるに十分だったが。
  • この予選ではライバル韓国をワールドカップ予選で初めて破り、あと1つ勝てば アメリカ大会初出場が決定するところまでこぎつけた。
  • ★ ドーハの悲劇 ★
    最終予選、運命のイラク戦。カズの先制ゴールで流れを掴むが、イラクも猛反撃。 後半早々に同点に追いつかれる。しかし、後半24分、中山がラモスのパスを受け 執念の勝ち越しゴール。誰もがワールドカップ初出場を確信した時悲劇が起こった。 ロスタイムに同点ゴールを決められ2−2の引き分け。またしてもあと一歩で・・
    日本の引き分けで歓喜の渦に包まれたのは皮肉にも韓国であった。
  • このころの代表メンバーには、カズ、ラモス、柱谷 哲二、井原 正巳、中山 雅史 等、 が名を連ねていた。


1998年 フランス大会
一次予選
試合年月日
相手国
結 果
試合会場
監 督
その他
1997.03.23
オマーン
○ 1−0
マスカット
加茂 周
オマーンラウンド
1997.03.25
マカオ
○ 10−0
 
1997.03.27
ネパール
○ 6−0
 
1997.06.22
マカオ
○ 10−0
国立
日本ラウンド
1997.06.25
ネパール
○ 3−0
 
1997.06.28
オマーン
△ 1−1
 

最終予選
試合年月日
相手国
結 果
試合会場
監 督
その他
1997.09.07
ウズベキスタン
○ 6−3
国立
加茂 周
 
1997.09.19
アラブ首長国連邦
△ 0−0
アブダビ
 
1997.09.28
韓国
● 1−2
国立
 
1997.10.04
カザフスタン
△ 1−1
アルマトイ
 
1997.10.11
ウズベキスタン
△ 1−1
タシケント
岡田 武史
加茂監督 更迭!
1997.10.26
アラブ首長国連邦
△ 1−1
国立
 
1997.11.01
韓国
○ 2−0
ソウル
アウェー韓国で勝利
1997.11.08
カザフスタン
○ 5−1
国立
Bグループ2位決定!

アジア第3代表決定戦
試合年月日
相手国
結 果
試合会場
監 督
その他
1997.11.16
イラン
○ 3−2
ジョホールバル
岡田 武史
W杯予選突破!

  • 1次予選は、対戦相手が格下だった事もあり、難なく突破した。しかしその試合内容は 満足出来る内容ではなかった。加茂監督が結果重視の姿勢を取った為、代表のレベル についての議論は起こらなかった。
  • 最終予選は、ホーム アンド アウェー方式での対戦となった。初戦は6−3で圧勝したかに見えた。 しかし、3失点に代表が抱える守備の不安がまず表面化してきた。
  • 韓国に国立で負け、カザフスタンにロスタイムに同点に追いつかれ引き分けた時点で、 加茂監督を更迭し岡田コーチを監督に昇格させるショック療法を行った。
  • その後、なんとか耐え続けた日本代表はアウェーで韓国に勝利し息を吹き返す。そして、 カザフスタンに大勝して、Bグループ2位が確定。Aグループ2位との第3代表決定戦 に駒を進める。Bグループ1位は韓国、Aグループ1位はサウジアラビアだった。
  • ★ ジョホールバルの歓喜 ★
    11月16日、マレーシアのジョホールバルで第3代表決定戦が、日本−イランの間で行われた。 前半、中山の先制ゴールもつかの間、後半に入るとイランの猛攻にあい2失点、 いやなムードがスタンドを包む。しかし、後半14分城が同点のヘディングシュートを決め Vゴール方式の延長戦へ!ここで岡田監督は、相手の疲れを見抜き、野人岡野の投入を決断。 緊張から決定的シュートをはずしまくった野人は、ついに延長28分、決勝ゴールを決める。 ここに、長年挑戦し続けた<ワールドカップ本大会出場>という夢を現実にしたのである。
  • このころの代表メンバーには、カズ、ロペス、中田 英寿 、井原 正巳、 川口 能活、 秋田 豊、岡野 雅行 城 彰二 等が名を連ねていた。

  • 日本に負けたイランは、オーストラリアと第4代表決定戦を行い、最後の予選突破国となる。 下馬評では、ヨーロッパに多数のプロ選手を送り出しているオーストラリアが優位と思われていた。 大型でスピードがあり、日本が苦手にするタイプなだけに、イラン戦で決めた意義は、 とてつもなく大きいのである。


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