第八回 死後の世界に行ったの・・・ってホントか?(前編)

第八回・・・以前(第六回あたり)に生まれてくることについて語ったので、今回はいわゆる「死」についてのお話です。よくよく重いテーマをネタにしてくれたモンだ・・・。

まず、今回考察することは、「死んだ後自分の心身はどうなるのか?」ということにしますね。「死とは人生の終着地点である」とかそういう哲学めいたことは各自でご自由に・・・ね(^^)。果たして死んだ後に自分自身が感じることとは何なのか?死後の世界ってどういうこっちゃ?考えてみましょう・・・うーん、空想科学ぅ。

まず、死ぬっていうことはどういうことだろうか?医学的・物理的に考えてみると、心臓が止まったり、脳の働きが止まっちゃったりして、身体の機能がもはや動かなくなってしまうことですよね。この世の中は粒子の動きで成り立っていると考えているわけですから、体を動かすような粒子の動きが無くなって(もしくは動きが変わる)しまうわけですね。体自体は火葬なり、土葬なり、水葬なり、ほったらかしなりで弔われるわけでして、体の粒子は何処へなりと移っていって土の一部とか、食べ物の一部とか、どっか遠い宇宙に飛んでいくとかしてこの世を循環しているわけですな。
さて、ここで誰もが思う一つの疑問、「死んだ後自分の意識はどうなるの?」が思い浮かぶでしょう。私自身でも幾度となく考えたことのあるこの疑問、結論とはハッキリ言い切れませんがココに一つの考えを語ってみますね。

まず自分の意識というモノはどういうものか?以前何回か語っていたように、意識というのは脳の働きで、神経の刺激の伝達の動きで、この世の粒子の動きのとあるパターンであるというモノです。んでもって「死ぬ」といったことになると、意識をする働きをしている粒子もその動きが全く無くなってしまうわけです。ということは、意識をすることは何もない、触れや音等の五感も死んだら脳が働かない(粒子が意識の働きをしない)わけだから、死んで感覚に訪れるコトというのは、何も考えない感じないいわゆる「無」、死んだとも思うこともない、考えるという働きもない本当に「無」、今これ読んで頭の中で考えている「無」という考えすらも無い状況が起こるわけですな。

とココまで話してくると、んじゃあ考えることがないって事は死後の世界って無いのか?臨死体験ってうそっぱちだってーの?と言いたくなってくるでしょ?・・・んー、でもこの後の続きを語るにはこの回がとても長くなっちゃいそうなので今回はここらでシメますね。

・・・うぅーっ、もうちょっと簡潔になると思ってたのにぃ・・・ごめんなさーっい(謝ーっ)。


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