2007 ニューヨーク日記
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3月1日(木) シアトルからNYへ


朝5時に起きてバスで空港へ。
空港行きのバスが主要ホテルを循環して空港へ行くそうで、
うちのワーウィック・ホテルの横にもバスが着くそう。
始発の6:25に乗るつもりだが、ちゃんと外で待ってないと、客がいないと思って
通り過ぎるらしい。
6時ぐらいからスーツケースとプロジェクターを持って外で待機。
時間通りにバスが来て乗り込む。
始発なので客は数人。
25分ほどで空港到着。
またEチケットの機械でとまどい、係員に手伝ってもらいながらチェックインする。
セキュリティーはいつも大変。
パソコンをカバンから出し、コート、上着に靴まで脱いでトレーに入れ、
パソコン、プロジェクター、カバン、コート、ジャケット、靴と順にX線を通す。
乗客はみんな慣れたもので、セキュリティーの所に来ると、一斉にコートや背広、靴を脱ぎ、
ベルトをはずし、ポケットから携帯や小銭を出し・・・と、
まるでこれから風呂でも入るのかと言うぐらいの勢いで脱ぎ出す。
いつもプロジェクターはX線検査に引っかかる。
必ずカバンを開けて布で全体を拭き機械にかける。
どうも薬品や火薬の臭いを検知する機械のようで、
この検査をして異常なしとなると放免される。
2001年の英仏公演の時、ロンドンからパリに移動するときは大変だった。
ちょうど9.11のテロの次の日でセキュリティー・レベルが最高だったとみえて、
飛行機に乗るまでにX線2回、ボディーチェックも2回で、
パソコンもX線だけでなく臭い検知器でチェックされた。
そういえば昨年12月のカナダ公演の時にトロントのCNタワーに昇ったときも、
金属探知器と臭い探知機のゲートをくぐって中に入った。
どうもシンボル的建物はテロの標的になるようで、展望塔もセキュリティーは厳しい。
フライトはNYまで約6時間。
この間遅れているNY日記を書く。
時間はたっぷりあるし缶詰状態なので作業がはかどる。
またアメリカ大陸を西の端から東の端まで飛んで、ニューアーク空港へ。
タクシーの列に並ぼうとしたら係の物が行き先を聞くのでマンハッタンと言うと、
マンハッタンは向こうだという。
言われる方向に行くがそれらしい乗り場が見あたらない。
同じように列に並ぼうとしてたおばちゃんを連れてその男がこっちと案内して、
言われるまま付いていくと駐車場に入る。
あれれと思うまもなくスーツケースを素早くトランクに入れる。
見ると車はイエロー・キャブではなく黒塗りのリンカーン。
リモと呼ばれるリムジン・タクシーで、いわば白タク。
マンハッタンにはすごくたくさんこのリモが走っていて、
タクシーより少し高いぐらいだからと利用者も多い。
値段を聞くと$65という。
少し高いが疲れているのでそのまま乗り込む。
まずおばちゃんをホテルまで送って、それから僕のアパートへ。
結局高速代や州を越えての料金やチップなどで$100ほどボラれてしまった。
相乗りなのに・・・・。
JFKやラガーディアにはタクシー乗り場に係員がいて、
もし何かあったらここへ連絡をという紙を配っているので割と安心してタクシーに乗れる。
ニューアークもその係の人だと思ったら白タクのおっさんだった。
なまじJFKやラガーディアを経験してたのがあだとなって、警戒を怠ってしまった。
アパートに戻って荷をほどき夜は食事会。
落語好きの新谷啓子さんが仲間を集めて食事会を開いてくれた。
新谷さんは彦八まつりもわざわざNYから見に来るくぐらいの落語好き。
ミッドタウンのギリシャ料理屋に行くと参加者はほとんど女性。
約10名ほどでワインを飲みながら談笑。
みんな生の落語家とNYで会うことなんかないから、あちこちからいろんな質問がくる。
いろんな人の話を聞くのも面白く、「へ〜」と思ったのは牛肉問題。
狂牛病で米国産牛肉の輸入を日本がストップした時、
アメリカも報復で日本の牛肉を輸入禁止にしたそう。
日本はアメリカに牛肉などあまり輸出してないからたいしたことではないと思ったら、
レトルトのカレーの肉もだめになり、
日本からはレトルトのカレーすら肉抜きだったらしい。
「飛行機の客室乗務員に頼んでレトルトカレーを日本から買ってきてもらったら?」と聞くと、
輸入禁止の物を持ち込むと密輸になる。客室乗務員が密輸するとクビになるからだめとのこと。
参加者に地元のフリー・ペーパー「アメリカン・ドリーム」の板越ジョージさんもいて、
取材の依頼を受ける。
では来週の月曜日にと約束してお開き。
その後数名でまたカフェでだべって車でアパートに送ってもらった。



ギリシャ料理屋さんで食事会。
不動産・弁護士・出版など、みんないろんな仕事をNYでしてる。


店の前で美女に囲まれて。



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