2004 トルコ公演
本文へジャンプ 3月26日〜4月2日 



4月1・2日(木・金) さよならトルコ

トルコ最終日。今日も5時半のコーランで目覚めず7時前に目が覚めた。
いつものように風呂に入り、朝食を挟んで公演日記やメールの返事を書く。
11:30ロビー集合なので、荷造りをして10時頃最後の散策に一人街に出る。
デジカメであちこち小1時間ほど撮りながらホテルに戻りロビーへ。
トラックとワゴン車に我々の鳴り物とスーツケース、
歌舞伎舞一行の衣装・かつら・装置にスーツケースなどを積み込み、
マイクロバスにゾロゾロ乗り込みアダナ空港へ。
空港前で落語・歌舞伎両グループ集まって集合写真を撮る。
ここからイスタンブールまで1時間半かけて移動し、イスタンブールから成田へ。
イスタンブールでは2時間半ほどの待ち時間があって、
残ったトルコ・リラを使おうとしたが、300万TL(400円ちょっと)しかなく、
何も買える物がなかった。
12時間のフライトでお昼前成田着。
ここで歌舞伎の皆さんとはお別れ。
我々はここで伊丹便の出発まで6時間過ごさないといけない。
昼食後それぞれ時間を潰して7時過ぎ伊丹に時間通り帰ってきた。
今回の旅はイスタンブールもアダナも新しいホテルだったので電話回線が実に
スムーズに繋がり、メールのやり取りやホームページの更新に苦労する事がなかった。
原始的な音響カプラーも持って行ったが出番無し。
特にアダナ・ヒルトンは部屋の電話機にPCを繋ぎホテルのサーバーに接続すれば速度も速い。
今までホテルの部屋の電話が壁から直付けになってて、
ビジネスセンターに行かないとPCがつなげられなかったり、
ホテルの交換機とモデムの相性が悪かったりと、
すんなり繋がるところの方が少なかったので助かった。
国民の99%がイスラム教の国だと言うことで、「お玉牛」の夜這いや胸をまさぐる場面など
拒絶反応を起こされるかと心配したが取り越し苦労で、
みんな酒もガンガン飲むし、街中で平気で性器まで露出したポルノ雑誌が売られ、
ホテルのペイTVではモザイク無しのハード・コアのポルノ・ビデオが流れてて日本以上。
親日家の国とは聞いていたけど、どこに行っても日本人には親切でビックリする。
特にアダナはイスタンブールのような観光地ではないので(地中海沿岸最大の工業都市)
日本人は珍しかったかも知れないが、こんなに日本人に親切な国は初めて。
去年の東京独演会でゲスト出演してくださったタブラ奏者の逆瀬川健治さんが、
「エルトゥールル号」とイラン・イラク戦争時の日本とトルコの話をメールで伝えてくれた。
明治3年に和歌山沖で遭難したトルコ軍艦エルトゥールル号の乗組員を漁民達が助け、
傷の手当てをし、残り少ない食料を分け与え死者を手厚く葬った。
その行為が明治天皇の耳に入り、医者や看護婦が派遣され、食料や衣類も送られ、
日本全国から遺族に寄付が集まった。
トルコではこのことが教科書に載って子供達に語り継がれ、日本に恩義を感じているらしい。
そして100年後のイラン・イラク戦争。
イラクにいる外国人に対し48時間以内に退去を命ずるフセイン。
48時間後には外国機は撃ち落とされる。
空港に殺到する外国人達。
各国は自国民救出のため特別機を出すが日本は対応が遅れ、外交官・商社の家族など
2百数十名が取り残されたが、
トルコ政府がトルコ航空機2機をイラクに送り日本人を成田に送り届けた。
邦人を乗せた飛行機がバクダッドを飛び立ったのは、タイムリミットの1時間30分前だったそうだ。
後日駐日トルコ大使がこのことを、100年前のエルトゥールル号の事は今もトルコ国民は忘れていません、
これは助けてくれた日本人への恩返しですと語ったそう。
去年行ったフィンランドも親日家の国だったが日露戦争で憎きロシアをやっつけてくれた
日本に対してやはり恩義を感じてるようで「東郷ビール」なんてのも売られてた。
一昨年のドイツではベルリンの日本大使館やケルンの日本文化センターは
イタリアの大使館・文化センターと並んで綺麗な公園脇の一等地に建っていた。
それは同盟国だったから。
日本人はいつまでもそんなことを恩義に感じたり仲間意識を外国に持ったりするだろうか。
外国を旅して現地の人の話を聞くといつも「ローマ軍が来てこの石畳を作った」とか、
「バイキングから財宝を守るために財宝を池に沈めた」とか、
自分たちの住む町の歴史的な話をみんな語る。
僕らは自分たちの街の歴史的な話を語れるだろか。
外国ではいいことも悪いことも語り継がれる。
日本人はあまりにも無頓着すぎるのではないか。
国際紛争は昔からの遺恨が根になっていることが多い。
日本人はそんな昔のことをいつまでと思うが、そのことが外国との意識のズレになっていまいか。
独自の歴史と文化を持ちながら日本人は日本のことをわかっていない。
日本に対して親切なトルコを旅して、日本人の歴史に対する鈍さを感じた、そんな旅だった。



4日間滞在したアダナ・ヒルトンSA。


アダナ空港前での集合写真。


トルコ航空でイスタンブールへ。ターミナルから飛行機までは徒歩。



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