2003 韓国公演日記
本文へジャンプ 6月17日〜20日 



6月17日(火) 韓国到着

今日から韓国公演。
今までイギリス・フランス・ドイツ・ブルガリア・ベルギー・ノルウェーと欧州ばかりの公演だったが、
今回初めてのアジアでの公演となる。
4月の末にいつもの海外公演のプロデューサー、マイケル・ジャックソンから連絡があり、
韓国の水原(スウォン)で行われる国際演劇祭で公演して欲しいと打診があったという。
急な話で、日程を聞くと演劇祭のエンディングにと言う事だったが、
エンディングの6月21日はすでに仕事が入っていて、6月14日〜21日の演劇祭期間で
出演可能なのは18・19日のみ。
先方に伝えるとそれでもよいので是非という事だった。
17日の仕事は幸い昼だったので、夜に韓国入りして次の日の18日昼間セッティング、
その夜と19日夜に公演し、20日に帰国するという日程。
すぐにいつもの鳴り物メンバー、三味線のマルコ(住田益子)と太鼓の桂福矢、
それに去年秋の欧州公演にも参加した笑福亭風喬に連絡し、
「韓国に焼き肉食べに行こう」と、だますようにスケジュールを押さえた。
韓国語の翻訳は向こうでしてくれると言う事だったが、
「鳴り物解説」「お玉牛」「皿屋敷」などの翻訳が遅れ、
「皿屋敷」と「鳴り物解説」が送られてきたのは現地に発つ5日前、
「お玉牛」は2日前の夜だった。
コメディーは翻訳内容によって笑えなくなってしまうので、
韓国語に堪能な人間にチェックしてもらおうと、4年前に一心寺シアターでやった
「音楽劇 ザ・忠臣蔵」で共演した許秀美ちゃんにうちに来てもらったり、
メールでデータを送って訂正してもらった。
実はマイケルもこの芝居で知り合った。
僕と小米朝が吉良上野介をWキャストでやって、マイケルが大石内蔵助だった。
芝居の稽古の雑談から世界最大の芸術祭「エジンバラ・フェスティバル」のことを聞き、
是非ともその芸術祭に落語でと、右も左もわからず資金集めして参加したのが
海外公演の始まりだった。
昨日の深夜まで字幕の訂正をして、この日の夜19:00関空発のアシアナ航空で
韓国の仁川(インチョン)空港へ。
約1時間半のフライト。
空港に演劇祭のスタッフが迎えに来てるはずだけど、到着口を出ても誰も声を掛けてくれない。
宿泊地の情報も矢のような催促を何度もして、やっと連絡してきたのが今日の昼頃だった。
つまり発つ直前まで泊まるところもわからなかった。
事務局はかなり忙殺されてるよう。
ロビーで待つ事20分。やっとスタッフの女性が現れた。
迎えに来たオ・スジョンさんは英語がきるので、マイケルを通じて彼女とやり取りする。
韓国にいる間、彼女がずっと我々に付いて世話してくれるらしい。
2台の車に分乗してソウルの南40kmにあるスウォン市まで約1時間半。
最初の宿泊地ラ・ビエ・ドアに到着。とっても立派なホテルで、
韓国プロ野球チームのロッテ・ジャイアンツもここに泊まってるらしく、
ロビー前にはチーム名入りバスが2台停まっていて、ユニフォーム姿の選手もロビーにいた。
福矢と風喬はツインで他はツインのシングルユース。
ロビーでITIの小田切さんを紹介してもらう。
ITIは国際演劇協会で、今回のフェスティバルをサポートしている。
今回は韓国の演劇集団の他に、日本、イタリア、モルドバ、イランからも
アーティストが参加している。
小田切さんとフェスティバルのアート・ディレクター、オ・セホさん達と近所で食事。
ジンロをたくさん飲んで部屋に戻って風呂に入り、バッタリ眠り込んだ。


テーブルの上は韓国らしく赤い色の料理ばかり。辛いけどうまい。


フェスティバルのIDカード。Story Tellerと書かれている。



フェスティバルのパンフには各国語で解説が書かれているが、「お玉牛」と「皿屋敷」の日本語の紹介文が何か変。



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