2003 欧州公演日記
本文へジャンプ 9月24日〜30日 



9月25日(木)ロシア公演

7時頃に目が覚め、シャワーを浴びレストランに。
ところがカードキーを見せて部屋につけてもらおうと思ったのに
キャッシュでないとダメらしい。
モスクワは少ししかいないし、下手にルーブルが残っても仕方がないので
ルーブルに金を替えてない。
すぐマイケルの部屋に行きルーブルをもらい、福矢・マルコに声を掛けて
レストランに。
マイケルも後から合流。
朝食後、公演に必要な物をスーツケースから出し、別のカバンに詰めてロビーに。
大使館の日下部さんらと大使館の車で公演会場のロシア演劇人同盟シアターに向かう。
演劇人同盟シアターは2階席も合わせると約400人ほどのこぢんまりした劇場で、
落語にはぴったりの会場。
今回の公演はすごい反響だそうで、予約で満席になり、
補助席が出るらしい。
10時から設営開始。
プロジェクターの位置決めをし高座を組み照明を調節し、
音響チェックする。
劇場スタッフもこちらの要求に応えててきぱき作業は進み、
1時頃あらかた設営は終わった。
昼食後、公使挨拶や落語終わりでする質疑応答の照明きっかけなどの
リハーサルを簡単にして少し観光。
大使宅を訪問することになっているので1時間半ほどしか時間がない。
川端さんととりあえず赤の広場へ。
みんなで写真を撮って土産物屋へ車で連れて行ってもらう。
屋台の土産物屋でマトリョーシカをいくつか買う。
途中で川端さんの携帯に日本から電話。
外務省欧州局ロシア課の野口さんだった。
野口さんは今回の公演でかなり精力的に動いてくださり、
大阪での直前のリハーサルにも東京からわざわざ駆けつけてくださった。
公演のことが心配らしく、電話してくれたよう。
準備は無事終わり、後は公演を待つばかりと伝えると、
では帰宅しますと言う答え。
時差を考えると日本では夜の11時頃。
何か起こったときのために外務省で待機してくれたよう。
そそくさと買い物を済ませて大使公邸へ。
大使夫人が玄関まで出迎えてくださり応接室へ。
野村大使夫妻と約30分ほど談笑。
隣の暖炉の部屋や壁に掛けられた横山大観の絵などを説明していただく。
大使は今日の公演を聞きに行きたかったが仕事で行けないと残念そうだった。
玄関先まで見送りに出てこられた大使夫妻に挨拶し、
再びホールに。
早い目に衣装に着替え、インターネット放送や雑誌、
モスクワの民放テレビなどのインタビューを開演までに3件こなした。
開演前、伊藤公使夫妻が楽屋に来られご挨拶。
そして野村大使夫人が差し入れを持って来てくださった。
7時、伊藤公使の挨拶の後公演スタート。
会場はざっと見渡して85%がロシア人だけど、
笑いはここもやはり日本と同じ所でちゃんと返ってくる。
マクラのロシアネタもうけたし、字幕のタイミングも合ってるよう。
皿屋敷終わりで質疑応答タイム。
大使館のアレクセイさんの通訳で観客からの質問に答えるが、
あちこちから質問が飛び、なかなか終われない。
みんなとても熱心。
終演後鳴り物や字幕機材、毛せん・座布団の高座回りなど
かたづけ車で移動。
この後は伊藤公使主催の夕食会。
10時頃「キーテジ」というロシア料理屋に到着。
伊藤公使、川端さん、アレクセイさんに我々4人、
ウォッカで公演成功を祝い、ボルシチやチョウザメなどのロシア料理を頂く。
夕食会が終わってホテルに送ってもらったが、
福矢・マルコをホテルに残し、僕とマイケルは飲みに出かけた。
巨大ホテルの回りを歩いて飲み屋を探すが時間も遅いので開いてない。
仕方がないのでホテルのバーで飲むことにする。
我々の宿泊してる棟と違う入り口から入ってホテル内を移動しようと思ったが、
何度も行き止まりになり、自分の棟に戻れない。
一旦ホテルを出て外側を歩いて我々の棟にやっと帰り着いた。
2階のバーで1時間ほど飲む。
かなり酔っぱらってしまった。
明日はヘルシンキに移動する。



クレムリンをバックに赤の広場で。右後ろの建物がレーニン廟。


大使公邸で野村大使ご夫妻と。


会場は補助席まで一杯。



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