2002秋 欧州公演日記
本文へジャンプ 9月24日〜10月3日 



9月29日(日) ノルウェー移動


朝、衣紋掛けに掛けている衣装を全部たたむ。
今回衣装は「お玉牛」は黄土色の色紋付きで、「皿屋敷」は黒紋付きに袴。
移動の度に広げてある荷物をスーツケースに戻す作業がつきまとう。
それだけで30分ほどかかる。
10時30分頃ロビーに集合していると荻野さんと塚原さんが来る。
車2台に全部の荷物を積み込み、空港へ。
チェックインの後大使館のお二人と別れ、ビジネスラウンジへ。
乗り継ぎのコペンハーゲンまではスカンジナビア航空。
1時間40分ほどでコペンハーゲンに到着。
3時間ほどの待ち時間の間、買い物したりビジネスラウンジで
メールチェック。
ベルギーのホテルでは回線が繋がらなかったのでここで繋ぐ。
ホテルのフロントで聞くと、アジアのパソコンとホテルの交換機の相性が悪いようで、
よくアジアからのお客さんからクレームをつけられるそう。
空港によってPC用電話の使い方が違うので、何度か失敗しながらいつも手探りで繋ぐ。
しかし確実に繋がるのでラウンジはありがたい。
ノルウェーのトロンハイムまではウィドゥロ航空と言う聞いたこともない航空会社。
これまたプロペラの小さな機体で、乗り込んで驚いた。
離陸から着陸までずっとコックピットのドアを開けっ放しのまま飛んでいた。
客席から操縦してる様子がよく見える。
ハイジャックのことなど全然心配していないのんびりした飛行機。
1時間ほどで着陸したので降りようとすると、マイケルがここは違うという。
聞くと経由地らしい。
そういえば目的地の表示にトロンハイム以外の名前も書いていたような気がする。
これはわからん。
機内アナウンスも何を言ってるのかわからないし、
うっかりするとこの小さな空港で降りてしまう。
乗ったままでいいのかと思ったら一旦降りて別の飛行機に乗り換えないといけないらしい。
荷物もまた一旦受け取って預けなおさないといけない。
我々の荷物は無事出てきたが、
同じ飛行機に乗っていた日本人男性の荷物が出てこないと言う。
成田からコペンハーゲン経由でトロンハイムへ行くその男性は、
我々と同じくノルウェーにおける日本展「JAPAN 2002」のために
トロンハイムへ向かっている筑波大学の先生らしい。
同じような飛行機にまた乗ってトロンハイムへ。
時間通り8時30分頃トロンハイム着。
トロンハイム空港では大使館の長尾さんが待っていた。
「長尾薫」とだけ聞いていたので、男性か女性かわからなかったが、女性だった。
今回の宿はブリタニア・ホテル。
外観やロビーは歴史を感じさせる落ち着いた雰囲気。
ここは「JAPAN 2002」協賛ホテルと言うことで、
我々だけでなく他の参加者も、大使館員や大使夫妻も、
「JAPAN 2002」に関係する日本人はこのホテルに泊まっているらしい。
ロビーで長尾さんから在日本ノルウェー王国特命全権大使の
オッド・フォッスアイドブローテン氏を紹介される。
このイベントのためわざわざ東京からノルウェーに戻っているらしい。
我々の公演会場トロンネラグ民族博物館の館長ペッター・スウォールト氏も出迎えに来ていた。
荷物を部屋に置いて、風邪気味のマルコをホテルに残し、会場に下見に行くことにする。
市の中心部から車で10分ほどの丘の上にある民族博物館の映画館のようなホールが会場。
大きなスクリーンやビデオプロジェクターが設置されているのはいいけど、
客席の傾斜が急すぎて、高座を組むと前の人の頭で高座が全く見えない。
ここでやるとなると2mほどの高さの高座を組まないといけないし、
下座のスペースも反響が大きすぎて辛い。
急遽ホールの向かいのパーティー・スペースのような部屋に会場を変更。
公演は夜だけど、明日朝から設営をする事にする。
一旦ホテルに戻って、長尾さんと明日のスケジュールを確認、
我々は近所のセブン・イレブンで買い物。
軽い機内食ばかりで小腹が空いた。
食事できるところはもう閉まってるらしいので、軽く食べられるものや飲み物をそこで買う。
福矢の部屋に僕と風喬が集まり、パスタやピザを食べながら少し酒を飲んで部屋に戻った。



ブラッセル空港で。
右が大使館の荻野さん。左が日本広報文化センター所長の塚原さん。



トロンハイムへ向かう小さな飛行機。



ハイジャックの心配などせず、
ずっと操縦室を開けっぱなしのフレンドリーな航空会社。



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