2002秋 欧州公演日記
本文へジャンプ 9月24日〜10月3日 



9月24日(火) ブルガリア到着


今日から1月のドイツ公演に続いて、今年2度目の海外公演。
今回はブルガリア・ベルギー・ノルウェーの3カ国を駆け足で回る。
全部違う言語での字幕公演となる。
ツアーメンバーは僕の他にいつものプロデューサー、マイケル・ジャックソンに
鳴り物班としてお馴染みの三味線マルコ(住田益子)、桂福矢(太鼓・笛)、
今回初参加の笑福亭風喬(太鼓・鉦)の5人。
8:50関空集合。
僕が一番乗りだった。しばらくしてメンバーが集まりチェックイン。
最初の目的地ブルガリアには、まずオーストリア航空でウィーンまで飛び、
そこから乗り替えてブルガリアの首都ソフィアまで行く。
出発まで2時間ほどあるので空港内のラウンジ「錦」でのんびり。
1時間ちょっとで搭乗手続きが始まった。
今回は全行程ビジネスクラスという贅沢な旅なので
ウィーンまでの12時間非常に快適だったが、
作業しようと使い始めたパソコンがすぐにバッテリー切れでダウン。
フルチャージしたはずだけど、どうやら繋いでいる光学マウスがかなり電気を食うよう。
スチュワーデスにパソコンのバッテリーを借りようと思ったら、
レンタルのバッテリーはないという。
一昨年のエジンバラ公演の帰り、日本の航空会社のビジネスクラスでは
機種ごとのバッテリーレンタルが無料であったので、
どこの会社でもそんなサービスをしてると思っていた。
機内から電源をとるコードセットがあるらしいけど2万円以上もする。
しかたがない、字幕チェックは4時間ある乗り換えのウィーン空港ですることにする。
予定より少し早くウィーン着。
フィンガーデッキを通るだけでかなり寒い。
見送りのスチュウワーデスはコートに革の手袋までしてる。
乗り換えのフロアーに4時間いてもおもしろくないので、
いったん入国して広い空港のターミナルビルですごすことにする。
通過だけの国だけどいったんビルの外に出てオーストリアの空気を吸う。
ここのショップはハロッズまで入っていて、ブランドの店も多く広い。
少し店をのぞいてビジネスラウンジへ。
広いフロアーでサラリーマン達がテーブルを囲んでビールを飲みながら談笑していたり、
静かに本を読んだり書類を広げたり、PCとにらめっこしたりしてる。
PCデスクもあるが回線を使わないので奥のゆったりした椅子の席に陣取る。
コンセントから電源を供給してマイケルと字幕のチェック。
作業してると4時間はすぐに過ぎた。
ところが、出発の時のセキュリティー・チェックで、マルコの三味線が引っかかった。
三味線ケースを開けろと言って、入念に三味線のパーツを調べる。
三味線はコンパクトに3分割されるので小さなトランクに収まるが、
手拭いで丹念に包んだばちや棹を全部広げて見る。
そのとき担当者が「こま」を落として、折れてしまった。
どうやら棹の継ぎ目や、ばちの重りとして金属が埋め込まれていて、
それがX線を通すと、何か仕込んでいるように見えたらしい。
「こま」の予備はあるらしいが、こう言うことがあると公演に差し障る。
順調に来てたのにいきなりけつまづいた。
昨年の英仏公演では、ロンドンからパリに移動する日がニューヨークテロの翌日だったので、
セキュリーティー・チェックがやたら厳しく、三味線も機内持ち込みが出来なかった。
仕方なく壊れ物のシールを貼ってもらって預けたがやはり少し破損してたらしい。
これから何度も飛行機に乗るので気をつけないといけない。
ソフィアまではラウダ航空。
日本ではあまり耳馴染みのない航空会社だけど往年のF1ドライバー、
ニキ・ラウダの航空会社だとマイケルが教えてくれた。
こちらも順調で1時間半ほどでソフィア着。
空港には在ブルガリア日本大使館の荻野理事官が迎えに来てくれていた。
今回の欧州公演はもともと荻野さんとのやりとりで始まった。
何度もメールや電話で公演実現に向けて話をし、
今年の2月には実家の川西に帰ることがあるからと、
たまたま出演していた「もとまち寄席」にまで来てくれた。
7ヶ月ぶりの再会。
ワゴン車でヒルトンホテルへ。
今回は全員個室。
いつも海外と言えば僕と同室だった福矢は、夢のようと目を輝かせていた。
おまけにツインのシングルユース。
ゆったりしていて広い。
長い一日を過ごして、明日も朝早い。
風呂上がりのビールも効いてきたのでこのままベッドにもぐり込むことにする。



関空からウィーンへ向かうオーストリア航空の機内で。



ブルガリアの通貨レヴァ。
肖像画の名前はブルガリア語なので誰だかわからない。



在ブルガリア大使からの夕食会の招待状。
金色の五七の桐の紋が入っている。



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