2001 英仏公演日記
本文へジャンプ 8月17日〜9月16日 



9月6日(木)日英春歌合戦


いつものように10時過ぎにB&Bからマイケル宅に。
午前中はメールとホームページの更新。
作業途中でロンドンで一緒に食事したとし子さんがやってきて、一緒に昼食。
昼からは福矢とマルコはママと近所を散策にでかけて行き、
マイケルと僕はダイニングルームにPCを並べてそれぞれ仕事。
僕は遅れているフランス語版字幕の入力作業にかかる。
ちんぷんかんぷんのフランス語を1行ずつ入力していく、手間のかかる作業。
4時頃、前日予約していたマッサージをしてもらうためスポーツクラブに出かける。
重い荷物の上げ下ろしで、首筋から肩にかけてこりがある。
僕がマッサージをしてもらっている間、マイケルは同じクラブ内で散髪。
彼はもう2ヶ月もヨーロッパやアメリカを旅していて、散髪したかったらしい。
更衣室でガウンに着替えマッサージルームへ。
ベッドに顔がすっぽり入る穴が空いていて、ガウンを脱いでうつぶせに寝る。
腰にバスタオルを掛け、背中にオイルが塗られる。
ソフトなオイルマッサージが気持ちいい。
約30分のマッサージだけど、いつの間にか眠っていて、自分の寝息で目が覚める。
マイケル宅に戻ってフランス語入力作業を再開。
今日はバーベキューパーティーらしいので、料理ができるまで作業を続ける。
マイケルととし子さんは用事で出かけ、ダイニングで一人仕事していると、
リビングで大勢の話し声が聞こえ、三味線の音色、ギターで歌う声も聞こえる。
両親の友達ボブさん夫妻がやって来て、マルコがサービスで三味線を弾いてると、
福矢も負けじとマイケルが昔使っていたギターを出してきて弾いていたよう。
座持ちは彼らに任せて仕事を続ける。
やがて食事の支度ができたとマルコが呼びに来た。
まずはスペアリブ。これがとてつもなくうまく、娘のフィオナよりママの方がうまい。
皿に付いたタレまでパンできれいにふき取って食べる。
庭ではパパのピータ−が肉やソーセージを焼いていた。
大きな皿に肉、鶏、ソーセージ、サラダなどを盛り、リビングのソファーに座って食事する。
マイケルととし子さんも帰ってきて食事の輪に加わる。
食事の後、ママが落語を聞かせてほしいと言う。
今まで息子の仕事仲間とは言え、見知らぬ日本人を世話してきて、
いったい僕たちがどんなパフォーマンスをするのか知りたかったのだと思う。
車から太鼓やプロジェクターなどを降ろし、リビングの端にスクリーンを設置。
低いリビングテーブルの上にクッションを置いて簡易高座の出来上がり。
僕の着物は宿に置いてきたので服のままやることにしたが、
マルコなどはいつの間にか和服に着替えて大サービス。
マクラの一部分、小咄や簡単な鳴り物などが入ったところをやる。
マイケルの両親、ボブさん夫妻大笑い。
落語の後、サービスに例のちょんこ節をすることにする。
ちょんこ節の字幕をすぐさま探して、歌に合わせて字幕を出す。
こちらもみんなで「chonko chonko」と合唱しながら大受け。
歌が終わって「chonko」の意味をマイケルが話すと、
知らずにみんなで大きな声で合唱していたことにまた大爆笑。
それではオリジナルをと、元のえげつない原語の歌詞で歌う。
マイケルが翻訳するとおっちゃんおばちゃん達はゲラゲラ笑い、
マイケルの親父さんは「ちょんこ」の所を勝手に「プッシ、プッシー」と変えて大合唱。
どんな親や!
ちょんこ節の後マイケルの親父さんがそれではと、学生時代ラグビー部で歌っていた
春歌を歌い出す。
ボブさん達も思い出したのか一緒に歌い出し、
日英大春歌大会になってしまった。
方法としては低レベルかもしれないが、とてもうち解けた気がした。


バーベキュー係りのマイケルの父(左)と、友人のボブさん。


シャンペンで乾杯。この後大春歌大会に。



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