2001 英仏公演日記
本文へジャンプ 8月17日〜9月16日 



9月15日(土)全日程終了


朝、今日はバスタブにお湯を溜めてゆっくり風呂に入る。
B&Bはほとんどがシャーワーしか付いてなかったし、
フラットでの共同生活だったりでゆっくり風呂を使えなかったが、
まだ誰も起きてないしここは湯船がきれいで大きいし、湯量もたっぷりある。
のんびり風呂を使い、ホームページの更新にかかる。
忙しくて更新できなかったりするので溜まってきている。
更新が終わった後マイケルがPCを貸してくれと言う。
マイケルのプロバイダーはパリではうまく繋げないらしい。
僕のPCでなにやらネットを探してる。
聞くと飛行機は明日の便が何とかとれたが、
ここのアパートは今日で引き払うことになってる。
1日安い宿をネットで探しているという。
10時半にアパートを引き払い、11時に日仏文化センターに荷物を置かせてもらって、
わずかの時間だけど買い物や観光に出かけ、
3時にセンターに戻って空港に行くという段取り。
11時を過ぎても宿が見つからないらしいが、
そのままセンターにタクシー2台で分乗して荷物を運び、それぞれ街に出る。
マルコと福矢はどこか買い物にでかけ、僕はとりあえず
シャンゼリゼにメトロで出かける。マイケルは残って宿探し。
シャンゼリゼは車道よりも歩道がやたら広く、観光客が多数歩いている。
シャンゼリゼからコンコルド広場に入り左に曲がる。
たくさん花が供えられていて何かと思うと、アメリカ大使館前でテロの犠牲者を悼んで
市民が献花をしている。
記帳場所がもうけられているので、
記帳の列に並び、名前を書き「安らかに」とメッセージを添える。
帳面をみるといろんな国の言葉でたくさんメーッセージが書かれていた。
オペラ座などを写真に撮り、またメトロに乗ってセンターに戻る。
3時頃福矢もマルコも戻ってきたがマイケルは戻ってこなかった。
我々の便は18:05発だけど、セキュリティー・チェックで時間がかかるかもしれないので
早い目のに空港に行くことにしていた。
後部座席を倒した服部さんの車にほとんど荷物を積み込み、
僕とマルコはあとからのタクシーに乗ることにする。
実はこっちのタクシーは日本より料金は安いけど、
大きな荷物を乗せると一ついくらと超過料金が取られる。
後から来たタクシーはベンツのEシリーズのワゴンだった。
こっちはベンツのタクシーが多く気持ちいい。
いろいろとお世話をしてくれた松永さんに別れを告げ、
市内から高速に乗って30分ほどでシャルル・ド・ゴール空港に到着。
全部の荷物をカートに載せた服部さんと福矢と合流。
そこにマイケルが見送りに現れた。センターの出発時間を30分間違っていたそう。
セキュリティー・チェック前は長蛇の列。
30分ほど並んで中に入る。
セキュリティー・チェックは1回だけで、PCを立ち上げろとも言われない。
イギリスを出る時、何度も厳しいチェックを受けたのが嘘のよう。
警戒レベルが下がったのかもしれない。
飛行機は30分ほど遅れて搭乗になり、乗ってからも1時間以上動かなかった。
やはりまだ空のダイヤが乱れてるみたい。
帰りは11時間半ほどで、16日(日)14:50関空着。
空港には家内と娘、姉と兄が迎えに来ていた。
そしてエジンバラまで取材に来てくれた朝日新聞の上田文世さんが待ちかまえていた。
到着出口付近でその後の様子、感想などを聞かれた。
福矢とマルコは空港で別れ、35kgのスーツケースと、鳴り物類、設営・字幕機材を
家族・兄弟で運びリムジンバスで大阪へ。
梅田からタクシー2台に荷物を乗せ家路についた。
日本でも経験したことのない31日間、8カ所、17公演と言う長期公演。
言葉のわからない異国の地で、荷物の運搬、会場設営と撤収、共同生活、
街や田舎を旅し、いろんな人達とふれ合い、ただの観光旅行や公演旅行では味わえない
一生のうちで2度と味わえない得難い旅だったと思う。
内外で支えてくださった皆様、イギリス・フランスで親切にしてくださった皆様、
そして僕のわがままと夢に付き合ってくれたマイケルと福矢、マルコに
心からお礼を言いたいと思います。
ありがとうございました。


アメリカ大使館前に供えられた花束。


オペラ座前。



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