2001 英仏公演日記
本文へジャンプ 8月17日〜9月16日 



9月14日(金)英仏公演最終日


午前中はゆっくりして昼食後、マルコは松永さんと買い物に出かけ、
マイケルはパリから日本行きの便を捜しに出かけた。
マイケルは今回の仕事の後、別の仕事で残る可能性があったので、
帰りは我々の便だけが決まっていた。
ところが日本に帰らないといけなくなり便を捜したが、
アメリカでのテロの影響で空の便が世界的に乱れ、切符がとれない。
かたことのフランス語で電話するのはらちがあかないと、直接カウンターで探すことにしたよう。
僕と福矢二人で街に出る。
我々のバンドルザンヌのアパートから最寄りのメトロ、プレース・デ・イタリーに向かう。
地下鉄には自動券売機があまりない。
ガイドブックに切符は「ビエ」と書いてあったので、
メトロの切符売り場で「ドゥ・ビエ・シル・ブ・プレ(切符2枚くださいな)」と言ってみる。
ちゃんと2枚出てきた。
メトロの構内ではアフリカ人が木琴のような打楽器を演奏していたり、
バイオリンの演奏があったり、電車の中にアコーディオンの流しがいたり、
結構地下鉄は音楽にあふれている。
6番線でシャルル・ド・ゴール・エトワールへ。
駅を出るとすぐに凱旋門がそびえ立つ。
あまり時間がないので写真を撮ってまた地下鉄へ向かいエッフェル塔へ。
1番線に乗ってフランクリン・D・ルーズベルト駅で9番に乗り替え、
アルマ・マルソー駅で降りる。
少し離れたところに出てしまったようだけど、エッフェル塔の全景を写真に納めるには
これぐらい離れた方がいいみたい。
エッフェル塔の展望台は行列ができていた。
時間がなかったので、展望台に上がることをあきらめ、
日仏文化センターのあるネイションに向かう。
メトロや街で気が付いたのは、爪をかむ男が多いことと物乞いが多いと言うこと。
電車や街でよく爪をかむ男を目撃する。
こっちでは爪をかんでもおかぁちゃんに怒られへんのかな。
物乞いは乳飲み子を抱えた女性で、小さな子供を抱いて金を入れる紙コップを差し出す。
やたら多い。2時間街を歩けば5人は出会う。
入り時間の4時を過ぎてネイションに到着。
しかしここは大きなサークル交差点の真ん中で、このサークルを中心に
道路が放射状に10本ぐらい延びている。
どの角を曲がったらセンターに行けるのかわからない。
福矢が前日このあたりをうろついていたので彼の記憶を頼りにしたが、
頼ったのが間違いだった。
結局一つずつ通りの名前を確認しながらサークルをぐるっと歩いて
会場にたどり着いた。
昨日できなかった字幕の変更にかかる。
センターのスタッフ3人で翻訳作業にかかり、順番を入れ替えたりしながら何とか
開演30分前の7時半にフランス語版ニューバージョンが完成。
英国版ではこんな出囃子もできますと「イエローサブマリン」を演奏していたが
昨日からは「オー、シャンゼリゼ」に変わり、
手拭いの使い方の「ブック」「レター」「ハンカチーフ」は
「リーブル」「レットル」「ムシュワーグ」に変わった。
実はこの発音は昨日開演直前に服部さんからレクチャーをうけた。
フランス語はカタカナで書いてもわからない発音があるので難しい。
ヨーロッパのいろんな公演をプロデュースしているセーラさんが開演前に来て、
少し話をして下座見学。
金曜日と言うこともあって今日は満席。
今日も7割強が日本人。
新しく入れた考え落ちの小咄も後から後から笑いが起こってよくうけた。
終演後セーラさんが僕にもわかるように噛んで含めるような英語で、
マイケルが是非来てくれと言うので見に来たが、
とてもすばらしくて驚いたと言うようなことを言ってくれた。
懇親会の前に高座前でお客さん達も交えて記念撮影し、
一階のサロンでお客さん達とシャンパンで談笑。
鳴り物や道具類はセンターに残し、僕ら4人と松永さんで食事に行く。
松永さんのお薦めのフランス料理屋さんへタクシーで向かう。
それぞれビーフや鴨などを注文。
店の親父は気さくで安くてうまかった。
あと、またまたカフェで一杯飲んでヨーロッパ打ち上げをした。
これで英仏8カ所、17公演全て終了した。
明日はいよいよ帰国。


凱旋門の前で。


終演後お客さん達と記念撮影。



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