2001 英仏公演日記
本文へジャンプ 8月17日〜9月16日 



9月12日(水)ロンドンからパリへ


朝8時半、寝ている福矢とマルコを聡君の家に残して地下鉄で
日本大使館のあるグリーン・パークに向かう。
大使館前で待ち合わせしていたマイケルと合流。
日本大使館は去年も訪問したが、入り口でいきなりセキュリティーチェクがあった。
やはりあんな事件の後なのでチェックが厳しい。
バッグを開けて中を見せ、金属探知ゲートをくぐって中に入る。
受付で来意を告げ、ビジターのIDカードを首から下げ待合室へ。
すぐに一等書記官の佐野さん登場。
今回我々は英国での日本展「JAPAN 2001」の参加公演なので、
担当者の佐野さんに公演の報告と挨拶をする。
佐野さんも落語が好きだそうで、ロンドン公演は行きたかったが
仕事で行けなかったと残念そうだった。
大使館を出て見上げると日の丸が半旗になっていた。
テロの犠牲者を悼んでのことだろう。
マイケルの車で聡君宅に戻り、荷物を全部積み込む。
今日は奥さんが家にいたので、家の前でお礼を言い、
僕たちを2週間運んでくれたレンタカー前で写真を撮る。
エジンバラからハートバーン、湖水地方、シェフィールド、メリング、マンチェスター、
そしてロンドンと、後ろが見えないほどぎっしり荷物を積み込み、
のどかな田舎道や高速を何千kmと走ってきたスコーダのワゴンとも今日でお別れ。
聡君の家から約40分のスタンステッド空港に到着。
ところがマイケルは他の仕事がトラブっていて、僕ら3人でパリに行かないといけなくなった。
3人の搭乗で全部の荷物を乗せると超過料金をかなり取られるので、
大太鼓は荷物の少ないマイケルが後で持って来ることになった。
チェックインカウンターでいくらかの超過料金を払い荷物を預けたが、
テロのおかげでやたら厳しい。
一人一人に「自分で荷物を詰めましたか」「誰かに頼まれた荷物はありますか」
「自分で鍵を閉めましたか」など何項目か聞かれ、
いつも機内持ち込みしてるバッグも今日はダメだという。
財布や携帯、パスポートをポケットに入れパソコンを抱えてターミナルを移動する。
マルコは大事な三味線まで預けさせられて心配そう。
楽器だから大事に扱うようにと言うステッカーは一応貼ってあるが、
裏でどんな扱いされるかわからない。
セキュリティーチェックではX線の機械を通すだけでは飽きたらず、
PCを作動させてみろという。
仕方がないのでソフトケースからパソコンを出しスイッチを入れる。
まだ完全に立ち上がっていない状態で行っていいと言われたが、
立ち上がっていないのですぐに終了できない。
ノートPCを開けたまま歩いて、ゲートに向かうトラムに乗り込んだ。
動き出してすぐ携帯をセキュリティーチェックに忘れたことを思い出した。
マイケルとの連絡のためにフランスでも使えるように空港で設定してもらったとこだった。
PCに気を取られて携帯のことが頭からすっかり消えていた。
国際線の空港というものは、トラムに乗ると後戻りがしにくい。
ゲートのある駅で立っている空港職員にセキュリティーで携帯を忘れたというが、
そこで言えと指さす。
そこではまたセキュリティーチェックをやっていた。
全員ボディーチェックを受け、またPCを作動させろと言う。
またスイッチを入れて、携帯のことを言うが、むこうが何を言ってるのかよくわからない。
こういう時にマイケルがいないのは辛い。
まだ念入りなボディー・チェックを受けてる福矢とマルコを残してゲートに向かい、
ゲートの職員に携帯のことを話すが、やはり向こうの言ってることがわからない。
忘れ物センターらしき電話番号を教えてもらったので、公衆電話からマイケルに電話し、
マイケルからかけてもらうことにした。
少し遅れて福矢達は来たが、マルコに聞くとハンカチまで触って調べられたそう。
そういえば最初のチェックでPCを作動させられ、何か丸い紙でPCの回りをこすっていた。
何をしてるのかと見ていたら、そのこすった紙を機械に入れていた。
たぶんPCに爆薬などが仕掛けられていないか、火薬や薬品の臭いを紙に吸着させて
機械で感知していたのだと思う。
少し遅れて小さな飛行機はパリに向かった。
パリまで約1時間。東京〜大阪みたいな距離。
列車での移動という案も出たが列車は飛行機より高いらしい。
シャルル・ド・ゴール空港に無事着いて、荷物が出てくるのを待っていたら、
舞台設営の道具が入ったゴルフバッグと、キャリーがいつまでたっても出てこない。
とうとうそのコンベアーには我々3人しかいなくなった。
セキュリティーのおばちゃんに聞くと向こうの航空会社のカウンターで言えと言う。
まいった。荷物が出てこないと言うことは何とか伝えられるだろうけど、
向こうの言う事がわからないので、またわからずじまいになってしまうかもしれない。
こんな時にマイケルがいてくれたらなぁ。
カウンターを探していると福矢が向こうから「兄さん、ありましたぁ」と叫ぶ。
よかった。
荷物を押してロビーに出ると公演主催者、日仏文化センターの服部さんと、
アシスタントの松永さんが迎えに来てくれていた。
2台の車に分乗してセンターへ。
日仏文化センターは木造3階建てで、3階に100人が入れるスペースがある。
早速、高座を組みプロジェクター位置を決める。
後は明日マイケルが荷物を持ってきてからする事にし、
借りてもらったアパートに向かう。
我々の部屋は4階と聞いて、はじめドキッとしたがエレベーターがちゃんとついているそう。
エジンバラの5階のフラットの階段をヒーヒー言って担ぎ上げていたので、
またかいなと思ってしまった。
空港でチェックインしたときに計量を見たら、僕のスーツケースは34kgあった。
エジンバラと違って近代的なアパートで3LDK。
早速部屋割りにかかる。
ツインは僕と福矢で、シングルはマルコ。体の大きなマイケルはWベッドの部屋。
外に出て中華料理を食べる。
英語はあまり通じないようだし、「老酒」「紹興酒」も通じず、
仕方がないので「青島ビール」を飲み続けた。
料理はうまかった。


半旗になった大使館の日の丸


2週間僕らを運んだスコーダのワゴン



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