2001 英仏公演日記
本文へジャンプ 8月17日〜9月16日 



9月11日(火)バッキンガム宮殿見学


今、バッキンガム宮殿は期間限定で内部見学ができるというので、
聡君が切符をとってくれた。
まぁ御所の特別拝観みたいなもの。
時間指定があるので僕らは12:30の回を頼んであった。
家族が出払ってから3人で歩いて5分のヘンドン・セントラル駅へ。
家のドアを閉めてから携帯を忘れたことに気がつく。
充電していてカバンに入れるのを忘れていた。
鍵は持ってないし、
マイケルとバッキンガム付近で合流することになってるので携帯がないのは辛い。
仕方がない、公衆電話で連絡を取ることにする。
1回乗り替えて約40分後、ビクトリア駅に着く。
途中道に迷ったが、道行く人に尋ね何とかバッキンガム宮殿に到着。
ちょうど衛兵の交代をやっていた。
12:30の回の行列に並び、中に入るとき
飛行機のようにカバンをX線検査機にかけられ、金属探知ゲートをくぐらされる。
僕はカメラなどが入ったバッグと、衣装の入ったカバンを持ち、
マルコは三味線を持っていた。
しかし手荷物預かりがあるので身軽なかっこで見学できる。
各国語の解説パンフがあるので早速日本語のパンフを購入。
お客用の玄関ホール、玉座が並んだ接見の間、絵画の間、彫刻の間など
約1時間見学。絵画の間にはレンブラントやフェルメールもあった。
宮殿の横から入って内部を見学し裏庭に出る。
写真撮影禁止だけど裏庭でこっそりデジカメ隠し撮り。
庭を通って出口付近に仮設土産物屋がちゃんとある。
期間限定の王室土産。王族の肖像画が入ったチョコレートや
紋章の入った宝石入れなど、そこで約1万円ほど買い物してしまった。
まんまと王室商売にハマってしまった。
何とかマイケルと合流し、福矢とマルコはそのまま散策し、
僕とマイケルで去年今年とお世話になっている大和日英基金に挨拶に出かける。
おなじみの河村さんと会談後、今回参加している「JAPAN 2001」の担当者、
佐野さんを訪ね、日本大使館に行こうとしてるところに
聡君からマイケルの携帯に電話があった。
ニューヨークのワールド・トレーディング・センターにジェット機が突っ込み、
今2棟とも炎上しているという。
どこかテレビのあるパブに行こうと車を止めたがテレビのあるパブが見つからない。
歩いていると電気屋があり、入っていってそこのテレビを見る。
信じられない光景が繰り返し放送されていた。
電気屋を出て歩いていると建物の前にテレビカメラが何台か並んでいて、
衛星の中継車が止まっている。
何だろうと見ているとマイケルが、「アメリカ大使館や、危ないから離れよ」と真顔で言う。
回りの警官隊はみな防弾チョッキを着ている。
本当に標的になる建物なので慌ててそこを離れる。
日本大使館へは明日行くことにして会場のホテルへ5時半頃到着。
福矢とマルコはすでに来ていて、やはり貿易センタービルの事は知らなかった。
はじめは冗談だと思ったらしいが事の重大さに二人ともショックを受けたよう。
昼間別の事に会場を使っていたのでまた設営しないと行けないが、
段取りはわかっているし、字幕機材の設営がないので早く作業は終わった。
200人ソールド・アウトのはずだったが、さすがにあんな事件の後、空席が目立つ。
後で聞くと聡君の知り合いで実際に以前貿易センタービルで働いていて、
そこでご主人と知り合い、結婚して・・・
と貿易センタービルにいろんな思い出を持った女性が来てたそう。
聡君がそんなときにわざわざ・・・というと、
気が滅入るから今日は笑いに来ましたと言ってくれたそう。
来てくれたお客さんはみんなよく笑って帰ってくれた。
福矢は「時うどん」、僕は「お玉牛」と「冷蔵庫哀詩」の2席。
終演後JALの伊賀さん、聡君を交え6人で打ち上げ。
我々の英国打ち上げでもある。
オープンして1週間という居酒屋で久しぶりに焼酎を飲む。
出汁巻きや焼きおにぎりといった居酒屋の定番メニューが懐かしくてありがたい。
長い英国公演も終わり明日はいよいよパリに渡る。


バッキンガム宮殿の裏庭で隠し撮り。


会場のケンジントン・パレス・ホテル



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