2001 英仏公演日記
本文へジャンプ 8月17日〜9月16日 



8月27日(月)フリンジ最終日


今日はエジンバラでの最終公演。
午前中はいつものようにそれぞれの用事をした。
マイケルはレンタカーの契約が切れるので、大きい車に替えに出かけに行った。
週単位で借りると安くなるので31日の大移動のために大きい車に今のうちに
乗り替えようということだ。
朝日の上田さんが僕の部屋にやってきて、持ってきたノートパソコンがおかしいという。
見に行くと画面が真っ黒になっている部分と色が極彩色になっている部分に分かれ、
デスクトップ画面が出ていない。
よく見てみると、液晶パネルが割れていた。
昨日までちゃんと使っていたそうやけど、机の上に置いといて割れることもない。
誰も上田さんの部屋には入ってないし・・・。
上田さんはPCをプチプチで梱包し、バスタオルを巻いてリュックに入れ、
機内持ち込みで運んできたそうやけど、どこかでぶつけられたのかもしれない。
今まで何とかもっていたが、とうとう液晶が漏れだし画面が見えなくなったのかもしれない。
中には大事なデータもあるみたいやけど、ダメージはディスプレイだけで、
ハードディスクが無事ならデータは大丈夫だろう。
昼食をとっているとマイケルが戻ってきた。
レンタカーを借り替えようとしたら、クレジットカードが使えないからだめだと言われたらしい。
先週ちゃんと入金したのになにかの手違いで入金されていないことになっていて、
おまけに今日は月曜日なのに金融機関が休みで確認できないらしい。
現金ではだめだと言うことで明日銀行に連絡し、車は明日借りることにする。
昼から公演内容の変更打ち合わせ。
小咄を少し足し、今日はフリンジ最後の公演なのでなにかエンディングをしようと言うことになった。
お客さんからはミュージシャン達が見たいというリクエストが結構あるので、
落語のあと囃子方を舞台に出し、何曲か演奏することにする。
1曲目は「なすとかぼちゃ」。
なすびとかぼちゃが畑で喧嘩するコミカルな曲。
2曲目はなるべく陽気なアップテンポの曲でいこうと検討した結果、
決まったのは「ちょんこ節」だった。
この曲はアップテンポの陽気な曲だけど、性器の原語がもろに出てくるえげつない曲。
日本ではまず舞台では歌われない。宴会の時みんなで回す酒席の唄。
日本人も来たりするのでそのままではできないので、ソフトな歌詞を探す。
「八五郎坊主」に出てくる「坊主抱いて寝りゃ可愛いてならぬ、
どこが尻やら頭やら」はすぐ決まったが、舞台でできない歌詞ばかり思い出す。
マイケルはゲラゲラ笑っていたけど、舞台ではかけられない。
こういうことはと二代目春団治夫人に国際電話を掛け、
電話でちょんこ節の歌詞を聞くが、やはりえげつないのばかり。
都々逸の歌詞がそのままはまるので都々逸の歌詞を聞くと、
今度は粋すぎて日本人でもわからない。
都々逸やさのさから使えそうな歌詞をいくつか教えてもらった。
最後は故砂川捨丸師の「可哀相だよズボンのおなら、右と左に泣き別れ」を付け、
創作で「うれしいもんだねキルトのおなら、共に手をとり風になる」と
スコットランドの男性スカート、キルトをおり込んで
きれいなのか汚いのかわからないご当地歌詞を作って入れた。
今日の入りは約15人、7割が英国人。
落語が終わって囃子方を舞台に出し、「なすかぼ」をマルコが歌ったあと、
「ちょんこ節」を僕とマルコが掛け合いで歌う。
英国人達も手拍子しながら訳も分からず「chonko chonko」と合唱する。
おそらく今日が、海外の舞台で演奏された初めての「ちょんこ節」だと思う。
川上音次郎の「おっぺけぺ」と同じように海を渡った「ちょんこ節」は後世に語り継がれ、
「長崎ぶらぶら節」ならぬ「エジンバラちょんこ節」として映画化されるかも・・・・
・・・・・せえへん、せえへん!
こうして僕たちのエジンバラ公演も終わり、8月5日から3週間にわたった
エジンバラ・フェスティバル・フリンジは幕を閉じた。


僕たちが勝手に「博士」と名付け、とってもよく働いてくれた劇場スタッフ。


終演後舞台で記念撮影



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