2001 英仏公演日記
本文へジャンプ 8月17日〜9月16日 



8月21日(火)ペリエの審査員が来る


今日、我々がエントリーしているコメディー賞、ペリエ・コメディー・アウォードの
審査員が来ることになった。
「皿屋敷」が入力途中だったし、リハもできないので、
今回も「お玉牛」でいくことにする。
ほかにもベルリンの言葉の芸術祭のシモンさんと、ミネソタのフリンジの関係者も来るらしい。
7月末にシモンさんから招待状が送られてきた。
全て英語の文面だけどなんか招待するというようなことが書いてある。
翻訳ソフトで翻訳してみると、来年1月ベルリンで言葉にまつわる
芸術祭を開くのでぜひ出演してほしいというようなことが書いてある。
英国にいたマイケルにメールし、コンタクトするように依頼。
むこうもホリデーやらなんやらでちゃんと話できなかったようだけど、見に来てくれるらしい。
午前中は皆それぞれゆっくりし、昼からチラシ配りと、残って作業する組とに分かれて行動。
ペリエは時間の規定もあって50分以内と言われているので、
夕方チラシ配りを終えて帰ってきた福矢・マルコも交えてリハーサル。
時間を計ると約45分。まあいい時間。
リハ終わりでマイケルが椅子の肘掛けをノックして「タッチ・ウッド」と言った。
イギリスでは木に触っておくと幸運が訪れると言われていると去年教えられたのを思い出した。
僕も同じように机をこんこんとノックして「タッチ・ウッド」。
リハにてまどい、8:00からの公演なのにフラットを出たのが7:10。
車で5分ほどで劇場に着くが、劇場前はタトゥー客のバスが
びっしり停まっていて横付けできない。
中央分離帯に車を止め太鼓など荷物を運び込む。
前の芝居は7:30に終わり、30分で舞台装置や楽屋を入れ替える。
鳴り物などある程度のセッティングは廊下でしておき、
芝居が終わると荷物を会場に運び込む。
予定より15分すぎて前の芝居が終了。
役者やスタッフが全員で撤収作業に取りかかる。
次の設営組と前の撤収組が入り乱れて戦場のよう。
机やベンチを楽屋から運んで高座の設営。
脚立に登ってスクリーンの設置、プロジェクター・照明の位置調節、
ビデオ・デジカメ・パソコン・鳴り物セッティングに着替え・・・。
舞台前に汗だく。
前から押してきた分きっちり15分押しで開演。
客の入りは約20人、まずまずの人数。
終演後マイケルに聞くと審査員は次の時間が迫ってるからと、
落語終わりですぐに出ていったそうやけど、最後までなにやらメモしてたらしい。
 ベルリンから来たシモンさんは思ったより若い女性で、
これから条件面などマイケルと話してもらう。
フラットに荷物を運んだあと、マイケルは仕事、松井さんは芝居を見に我々から離れ、
僕、マルコ、福矢、岡本の4人、イタリア・レストランで夕食をすます。


表通りに面した自分専用の机、窓から大きな尖塔の教会が見える


お手製のスクリーンを張る



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