◆アーノルド・シュワルツェネッガー(アーノルド・ストロング)

アーノルド・シュワルツェネッガー(アーノルド・ストロング) ◆Arnold Schwarzenegger
◆あーのるどしゅわるつぇねっがー

◆1947年7月30日生まれ
◆出身地:オーストリア/グラーツ

◆デビュー作:「SF超人ヘラクレス」(1970)

◆本名はArnold Alois Schwarzenegger。4人家族の次男。父は村の警察署長。少年時代はランニング、槍投げ、サッカーなどに熱中。14歳の時、ボディビルのトレーニング・ジムに入門。18歳の時、ボディビルコンテスト「ジュニア・ミスター・ヨーロッパ」で優勝。ボディビルダーとして生活していくことを決め、知人のジム経営者をたより、ドイツ/ミュンヘンへ渡る。1967年、「ミスター・ユニヴァース・コンテスト(アマチュア部門)」で史上最年少(20歳)のチャンピオンとなる。その後、国際ボディビル連盟の有力者から誘われて渡米。ミスター・ユニバース、ミスター・オリンピア、ミスター・ワールドを含む13の世界選手権を獲得するという異例の記録を樹立した。ウィスコンシン大学でビジネスの学位を取得し、ボディビル器具の通信販売では大当たり、ボディビルダー本3冊はベストセラーになった。映画デビューは「SF超人ヘラクレス」(1970)。アーノルド・ストロングの芸名で主役で出演したが、英語がうまく話せないためか失敗に終わる。「ステイ・ハングリー」(1976)の監督ボブ・レーフェルソンに勧められ演劇スクールで本格的に演劇を学ぶ。同作品ではゴールデン・グローブ賞の新人賞を受賞した。ボディビルのドキュメンタリー「鋼鉄の男」(1977)で注目を集め、「コナン・ザ・グレート」(1982)で大ブレイク。全世界で1億ドルの興収を記録し世界中に多くの熱狂的なファンを作った。1983年に、オーストリア国籍のままアメリカ市民権を取得。続く「ターミネーター」(1984)が製作費約7億円の低予算だが、公開わずか1週間で製作費分を稼ぎ出す大ヒットを記録。タイム誌のトップ10ムービーに選出されるほどの高い評価を獲得し、ハリウッド・トップスターの仲間入りを果たした。「ツインズ」(1988)ではコメディの才能を開花させ、より幅広いファンを獲得。続編の「ターミネーター2」(1991)では世界で5億6千万ドル以上の興収を記録し、過去12年間で最も成功した映画のひとつとなり、肉体派アクション・スターNo.1の座を揺るぎないものにした。私生活では、1986年にケネディ大統領の姪でCBSのニュース・キャスター、マリア・シュライヴァーと10年越しの交際の末結婚。4人の子供を持つ良きファミリー・マンとして知られている。シルヴェスター・スタローン、ブルース・ウィリスらと、レストラン・チェーン「プラネット・ハリウッド」を共同経営したが、2000年、経営から離脱。2003年秋、民主党のグレイ・デービス知事カリフォルニア州知事のリコール選挙に伴う知事選に立候補(共和党)。357万票余りを獲得し、2位のクルス・ブスタマンテ副知事(民主党)に120万票近い大差をつけ大勝。セクハラ疑惑などの攻撃にさらされたなかでの当選には、ケネディ一族出身の妻が大きな役割を果たしたという。勝利宣言を行った10月8日の記者会見で「今後映画の仕事は一切せず、知事の仕事に専念する」と明言している。その他、慈善活動などにも積極的で、1979年にはスペシャル・オリンピックスでインターナショナル・ウェイト・トレーニング・コーチに就任。1991年にはロサンゼルスのホーレンベック・ユース・センター・インナーシティ・ゲームズの委員長に就任。1990年〜1993年、スポーツに関するブッシュ大統領諮問委員会の委員長に任命され、ピート・ウィルソンの下でスポーツに関するカリフォルニア州知事諮問委員会の委員長をつとめた。1995年にナショナル・インナーシティ・ゲームズ・ファンデーション(ICG)を設立し、子供の教育問題と積極的に取り組む。ICGは今では国内15都市に広がり、400の学校に通う25万人の子供達が参加している。2001年には第2回年間世界スポーツ賞(2nd Annual World Sports Awards)で特別賞を受賞。業績と慈善活動が評価された。

(2000年)第1回ビリー・ワイルダー賞受賞
「シックス・デイ」(2000) 第21回(2001年)ラジー賞最低主演男優賞ノミネート(本物のアダム・ギブソンに対して)
「シックス・デイ」(2000) 第21回(2001年)ラジー賞最低助演男優賞ノミネート(クローンのアダム・ギブソンに対して)
「シックス・デイ」(2000) 第21回(2001年)ラジー賞最低・スクリーン・カップル賞ノミネート(本物とクローンに対して)
「エンド・オブ・デイズ」(1999) 第20回(2000年)ラジー賞最低主演男優賞ノミネート
「バットマン&ロビン/Mr.フリーズの逆襲」(1997)  第18回(1998年)ラジー賞最低助演男優賞ノミネート
「イレイザー」(1996) 第6回(1997年)MTVムービー・アワードアクション・シーン賞ノミネート
「ジュニア」(1994) ゴールデン・グローブ賞主演男優賞コメディ部門ノミネート
「トゥルーライズ」(1994) 第4回(1995年)MTVムービー・アワードダンス・シーン賞ノミネート
「トゥルーライズ」(1994) 第4回(1995年)MTVムービー・アワードキス・シーン賞ノミネート
「ラスト・アクション・ヒーロー」(1993) 第14回(1994年)ラジー賞最低主演男優賞ノミネート
「ターミネーター2」(1991) 第1回(1992年)MTVムービー・アワード男優賞
「ターミネーター」(1984) (1984年)アヴォリアッツ国際ファンタスティック映画祭グランプリ
「コナン・ザ・グレート」(1982) 第3回(1983年)ラジー賞最低主演男優賞ノミネート
「ステイ・ハングリー」(1976) 第34回(1976年)ゴールデン・グローブ新人男優賞

「ターミネーター3」(2003)
「ランダウン」(2003)
「コラテラル・ダメージ」(2001)
「シックス・デイ」(2000) : 製作/出演
「アルマーニ」(2000)
「エンド・オブ・デイズ」(1999)
「20世紀SF映画大全」(1999)(TV)
「バットマン&ロビン/Mr.フリーズの逆襲」(1997)
「イレイザー」(1996)
「ユニヴァーサル・ストーリー」(1996)(TVM)
「ジングル・オール・ザ・ウェイ」(1996)
「ジュニア」(1994)
「トゥルーライズ」(1994)
「N45゜ 第2話「パオさんとの復讐」」(1994) : 声の友情出演
「ターミネーター2/特別編」(1993)
「ラスト・アクション・ヒーロー」(1993) : 製作総指揮/出演
「キッチン・ウォーズ/彼女の恋は五ツ星」(1992) : 監督
「ゴリラ2」(1992)
「ターミネーター2」(1991)
「プロローグ・オブ・ターミネーター2」(1991)
「キンダガートン・コップ」(1990)
「フィアー・ナイト」(1990)(TVM) : 監督
「トータル・リコール」(1990)
「レッドブル」(1988)
「ツインズ」(1988)
「バトルランナー」(1987)
「プレデター」(1987)
「ゴリラ」(1986)
「コマンドー」(1985)
「レッドソニア」(1985)
「キング・オブ・デストロイヤー/コナンPART2」(1984)
「ターミネーター」(1984)
「コナン・ザ・グレート」(1982)
「愛しのジェーン・マンスフィールド」(1980)(TVM)
「サボテン ジャック」(1979)
「鋼鉄の男」(1977)
「ステイ・ハングリー」(1976)
「ロング・グッドバイ」(1973)
「SF超人ヘラクレス」(1970)