(1)出発からローテンブルクまで

この夏休みを利用して家族でヨーロッパに旅行した。子供達は初めての海外旅行。かく言う親たちも2回目で共に10年以上前の経験であるから、こちらもどきどきもの。決して子供たちに見苦しいところをさらしてはならぬと意気込んで行ったものですが、結果は・・・。

行き先はドイツ、スイス、フランスの3ヶ国。8月始めの日曜日成田から出発して、ちょうど1週間後の日曜日の1時間後に帰ってくるというツアー旅行。寝る時間を除けば乗り物に乗っている時間のほうが多いような強行軍だった。全行程の後半分は私が1989年に旅行したときと同じコースであり、これは配偶者の永年の夢でもあった。

マインツ
最初の宿泊地はマインツ。20時ころホテルに着いたが、緯度とサマータイムのおかげで外は明るい。スリッパを持ってこなかったことを後悔。必需品リストには載っていたのだが、「飛行機の中なら必要ないと思って・・・」とは配偶者の弁。ホテルで使うのだと説明しなかった私がバカ。パリのホテルには備えられていたが、旅の終わりじゃあねえ。

子供たちは疲れでバタンキュー。大人は二人で散歩。途中、「Anna-Seghers-Bucherei(アンナ ゼーガース記念文庫?)」を発見。日曜の夜とあって当然閉まっている。帰国後ホームページで、彼女が1900年マインツ生まれであることを知った。 ホームページによると「Das Siebte Kreuz(第七の十字架)」は映画化されているらしい。入社後の新人研修で入居した研修施設の図書室に邦訳本があり、読んだ記憶がある。昭和20年代に出版されたと思しき粗末な紙質の本であった。「Die Toten bleiben jung(死者はいつまでも若い)」なんてのもありましたねえ。
出版に因んで言えば、活字印刷の発明者グーテンベルクはマインツで生まれている。Man of Millennium として、催しが1年間びっしりと計画されているようだ。

現地時間で16時ころの食事であったので空腹。空いていたピザ屋に入る。イタリア系の店で、相手は英語が不自由。こちらも超不自由というわけでオーダーに一苦労。ピザを食べて人心地。旅行期間中を通じて自由に食べた食事は、エスニック風とラーメンのみ。子供の好みによる・・・ものであるが、やはり言葉だ。

23時過ぎ就寝。やっと眠れる・・・。が、目が覚めたのは2時ころ。以降うつらうつらと。
しかし、もっと悲劇があった。別室で寝ていた娘が目覚めたのは0時30分ごろ。朝までマンガを読んだり、ラジオ体操をしたりで大変だったそうだ。一家4人、時計どおりの生活が出来るようになるのは水曜日のことである。ついでに言えば帰国後時差ぼけが直ったのは10日後。これは私だけ。


朝からワインを飲み子供たちのヒンシュクをかう
マインツのホテルの朝食はパンとジュース、コーヒーのコンチネンタルスタイル。ドイツパンになじめずハラペコのはずの子供たちも早々とごちそうさま。娘は昼食以降もこんな調子で、子供づれで来たことを早くも後悔。

ライン河下りはリューデスハイムからサンクトゴアールまで。船出発までの時間を惜しんでワインレストランへ直行。勧められるままに試飲。子供たちにも注いでくれるが、アル中にしちゃあいけないと彼らの分も飲むこととなり、ほろ酔い。子供たちから冷たい視線を浴びる。
旅に出て運転する必要もないとなれば、酒が恋しくなるのは飲兵衛の性である。乾燥しているから喉も乾きやすい。朝からはさすがにこの日だけだったが、その後も昼食には飲んだ。その度に子供たちから避難の眼差し、叱責を浴びたのには参った。(しかし、それで怯むようじゃあ親が廃る!)
ドイツワインは甘いほど高価なんだとか。最高級品はシロップと見まごうほどで敬遠、甘くないほうを選んで自宅へ送る。

川下りの船は超満員。飛び交う声は英語、ドイツ語、イタリア語、フランス語、スペイン語、・・・日本語は?人数の割にはほとんで聞こえない。一番の元気はイタリア語。どこに行ってもそうでしたね。物言わぬ民。日本語が聞こえない理由?・・・以心伝心でしゃべりまくる必要がない?議論、対話の習慣が少ない?知ったかぶりして話すと嫌われる?観光物に関する知識が少なく、そもそも話すことがない?
東洋人−西洋人ということでもない。この船では聞こえませんでしたが、次ぎのハイデルベルク以降あちらこちらで中国語、朝鮮語が聞こえてきました。地続きで異民族、異人種と接触して生きてきた経験がDNAに刷り込まれ・・・なんてのは私の空想でした。

さて、空想を中断させてしまう風の強さである。ことしのヨーロッパは異常気象で、ドイツでも悪天候が続いているらしい。この川下りでも強風が吹き続け、ローレライの付近では雨も混じってきた。おかげでみんな船室へ引きこもり、デッキに残ったのはわずかな人数。カメラ位置を思う存分選べたのはいいが、この天気じゃあね。ローレライの岩のところでライン河はもっとも川幅が狭く、岩の上で誘う乙女に見とれ操船を誤るとたちまち急流に飲み込まれ命を落とす。というのがローレライの伝説だが、川幅はとうとうと広く難所には見えない。聞けばローレライの岩付近に限らず、昔は川中に岩礁が至るところにあり船乗りを悩ませていたとのこと。危険な岩礁を取り除くことが出来て始めて安全な航行が出来るようになったとのことであった。


ハイデルベルク大学に野球部はない?
2日目の午後ハイデルベルクへ。ロンバーグのオペレッタ「学生王子」の甘美なセレナードのメロディは子供たちには全く無縁。こうして引っ張りまわされるくらいなら来なきゃあ良かったぐらいに思っている。
街並みを古いままに保っているおかげで、アルトハイデルベルク内の道路は車走行には不向きにできている。全面的に駐停車禁止。我々のような団体観光客の乗降のための停車も建前上は許されないのだから、サッと降り、サッと乗り込まなければならないが、一番大変なのはバスの運転手と添乗員さん。そうでなくともダラダラ歩きたがる我々を叱咤激励(叱咤はしないか。恐喝?)して約束した場所に時間ピッタリに誘導する。

古城から眺めるハイデルベルクの街並みは圧巻だった。はるか郊外には一部移転したハイデルベルク大学のキャンパス。
ドイツの大学の学費はかなり安いそうだ。学生は社会の財産として特権が与えられていた名残であろうか。数年前までは無料であったとも聞いた。生活費も日本よりは安いし、進学先として魅力的ではないか。ヘーゲル、ボルン、マックス・ウェーバー、フォイエルバハ、ヤスパース、・・・。子供を激励すると言ってはドイツ旅行することも出来るし、・・・。安上がりは付け足しで、子供が成長するためには自立を促す環境に身を置いたほうがいいな、海外留学はその絶好の機会であるなという気持ちによるものである。もちろん強要するものではない。
息子にその話をすると、「行く気はないよ。野球部はないし」だと。夏の練習を休んで旅行に来た息子は心底野球が好きで、大学でも野球をする気でいるらしい。

古城街道を経てローテンブルクへ。
仕掛け時計のマイスタートルンクが22:00に見られるよという話があったが、疲れて出ていく元気もない。

























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