「123は投票に行こう」の徳島市の住民投票から早1ヶ月経ったが、その後どうなっているのでしょうか。間接民主制の否定だ、衆愚だなどなどテレビ、新聞でかまびすしく騒がれたのが遠い昔のような気がしますが、マスコミが取り上げると否とに関わりなく、吉野川第十堰をどうするのが社会にとってもっともいい選択なのか、地元では多分議論されているに違いない。
さて住民投票といえば我が白石市でも、産業廃棄物処分場の建設計画を巡って行われた。平成10年のことである。廃棄物処分場を巡る住民投票としては全国で4番目(現在まで計5回行われている)。投票率70.99%、反対が94.44%(絶対反対率67.04%)という結果だった。先行した3つの住民投票と比べ投票率が低かったが、首長主導での住民投票など実施に至る経緯が違ったとはいえ、市民の関心度を示すものとしたら実に寂しいことだ。
産業廃棄物処理施設設置許可申請に際し住民の同意を得ることを求めた宮城県の行政指導に対し、それを不服とした事業者との係争中に行われた住民投票は、平成11年4月に宮城県の敗訴が決まり、裁判そのものの結果には影響を与えなかった。
しかし、裁判の結果は多分予想されていたことで、こうした運動を通じて環境に対する市民の意識を高めたことが最大の成果ではなかったか、と私は思う。その意味では住民投票後の活動が大事なわけですが、NPO法人「蔵王のブナと水を守る会」など一部の活動を見聞きするのみとは非常に残念だ。
住民投票前後の新聞各紙には、先行した他の地域に比べ、若者、主婦の参加が少ないことを指摘しているものがあった。理念に燃え、ときに過激・向こう見ずに運動する若者と、生活者として、子供の身近な保護者としてこうした問題にもっとも共感しえる主婦層のエネルギーなくしては、流れを変えるほどの運動は成り立たないのだろう。
いずれそうした弱点を抱えて始まった運動は、修復されることなく現在に至っているように見える(私のアンテナの高さを棚に上げて書いたことです。過ちは許されよ)。しかし、まだ遅くはない。設置許可申請に対する審議は始まったばかりだ。建設が認められるにしても将来に悔いを残すことのない施設にするためにはどのような内容のものにするのか、智恵を出し(出させ?)、関心を呼び起こし、持続させることができれば、処理施設建設計画の行方に光明を点すことができると信じる。
もっと大事なのは、ごみ減量に向けて、いま自分ができることを考えるきっかけとし、実践していくことであろう。生活のなかで確実にでてくるごみ、廃棄物をどう少なくし、どう回収のサイクルのなかに入れ込んで行くか、一人ひとりに突き付けられた課題である。行政は・・・と叫んでもだめだ。私は・・・である。
00.2.27
雁風呂
今年の花は平年より遅れそうで、当初の計画どおり花見を行うかどうかなんて声もまわりから聞こえているが、白石川堤の桜の名所「一目千本桜」はまもなく花見の真っ盛りを迎える。
あれほど川面を埋めていた渡り鳥もすっかりいなくなってしまった。ことしは外が浜にどれだけの木片が残されたことやら。
標題については昨年の12月に書いたが、その後いろいろ調べてきた。結果をここで記す。
「世界大博物図鑑」第4巻鳥類(荒俣宏著、平凡社)のガンの項にそのまま記述。同様に平凡社刊「世界大百科」にも記述。こちらは佐々木清光著。
どちらにも参考文献として「採薬使記」が上げられている。本書については、「阿部照任・松井重康口述
高大醇録」と京都大学の富士川本目録に記載されているが、京都まで追いかけていく元気は今のところない。内容は書名と雁風呂との関わりから察するに、薬草を求めて諸国を旅した記録かとも思うが、わからない。
その名もずばり「随筆雁風呂」という本がある。内田清之助著、昭和21年、光文社刊。著者は名高い鳥類学者であり、鳥に関する随筆が収録されている。書名の由来ともなった「雁風呂再吟味」は昭和17年に書かれたもので、内容は次のとおり。
著者は以前雁風呂についてふれ、海岸にうち捨てられた木片の由来を、秋に海を越えて渡ってくる鳥が置いて行ったものだと書いたところ、読者から、春先に持ち去る主のなくなった木片のはずだ。雁風呂が春の季語になっているのも、その理由による。との指摘を受け、納得。日本人の心根のやさしさに思いを馳せる。という内容である。ついでに、欧米の公園で動物や鳥が人間から餌を与えられる光景が多く見られるのに対し、日本(戦前の日本である)ではそういったことがなく、よって日本人は動物愛護の精神に欠ける、と言われることに対し、それは、家の台所から排水と一緒に飯粒が流れているように、日本の都市には餌があふれているからであると断じている。
これは雁風呂を解き明かす材料にはならない。
それにしても、水鳥はそのまま海上で休むことはできるはずですよね。わざわざ木片を運ぶ必要はないような気がするのですが。
こんな解釈をしている人もいる。(ミツバチ便り99 「雁の使い」清水惣之助)
昔、津軽の人たちは目の前にある津軽藩の御料林への立ち入りが許されず、毎日の薪にも苦労が絶えなかったそうです。海辺に打ち寄せられた木片は、津軽の人たちにとって貴重な贈り物となったのでした。春になって北へ帰る雁の鳴き声を聞きながら海辺に打ち寄せられた木々を拾ったこともあったことでしょう。厳しい風土と貧しさが、このような心をやさしく、またあわれを誘う民話を生んだに違いありません。
なるほどそれならわかる。
先の「世界大百科」ではつぎのとおり結んである。「・・・これは事実より宗教的創作とするのが妥当であろう」。
さらに、東奥日報社刊「青森県事典」には、「・・・外ケ浜一帯にはこうしたガンの伝承はなく、ガンが枝をくわえて飛来することもない。鶴の湯のような鳥教えの湯の話しがもとにあるのか、または中央の文芸家の空想的な創作とみた方がよい」と書いてある。物語の現場の外ケ浜にも伝承自体もないというのは驚きであった。しかも、そんな物語の舞台にされて迷惑ですとでも言いたげな気配も感じさせる。
ところがこんな記述にであった。
水上勉の「若狭の鳥たち」(小学館「野鳥の歳時記」より)。群れから離れ、よたよた沼のあたりに残る雁がいる風景にふれたあと、「雁は、海をこえてくる時、越えだを口にくわえてくるときいた。波の上でやすむ時に、止まり木にするのだという。その枝を、若狭の浜に着いて捨てるときいたが。浜にかたちのいい小枝が落ちているのを見た子供は、それを拾って、炉火のつけ木にするべく母のもとへもち帰る。「雁木を焚く」ということばの真意はしたぬが、浜にこぼれた枝であったことはたしかだろう。」
水上勉さんが実際に若狭に住んでいた頃に聞き知ったこととすれば、外ケ浜の、そんな言い伝えもないと言いきった風情とはだいぶ異なる。しかし、こうした物語の地として奥州外ケ浜を選んだのは、「中央の文芸家」としては妥当な選択だったのでしょうね。地名の音の響き、厳しい自然と貧しさ、そんななかでのやさしい心。はまっていますねえ。
観光資源の要素として「物語」が不可欠だということを、ホワイトキューブで2月8日に行われた観光に関するシンポジウムで宮城大学の外川洋子さんが話しておられた。ここで「物語」は事実、史実である必要はない。創作でいいそうである。単に美しい風景、珍しいものというだけではなく、それにまつわる「物語」、「言い伝え」が人を惹き、引きつけ、その場にいることで、観光客自身の新たな「空想」、「物語」を呼び覚ますことになるのだろう。
その観点からすれば、外が浜と雁風呂、すばらしい物語ではありませんか。同じ外が浜の善知鳥にまつわる「うたふ」、「やすたか」より上質な観光資源になることは間違いない。
春まだきのみちのく外が浜。浜にぽつんと置かれた桶風呂ひとつ。客は浜に打ち上げられた木片を拾い、それを釜にくべてから、風呂に入る。
こんな企画をやったら、観光客は押すな押すなでしょうね。たきぎにする木片の数を確保する裏方はたいへんですが。
00.04.11
水溜りのアメンボ
「ことしのゴールデンウィークは天候に恵まれて・・・」などとテレビで言っていたが、関東以西のこと。連休前から寒気団が張り出して、ここ宮城県は天候不順が続いた。雨も降った。しかし、悪いことばかりではない。この雨と暇のおかげで長年の疑問を解消することができた。
| ここ3年間、「水溜りのアメンボはどこから来るのか」疑問を持ちつづけてきた。 話しはホームページを初めて作ったときにさかのぼるが、社内用に「わたしの家族」なんてのを作っているなかで、その疑問が生れた。 5月の晴れた休日。外でこどもが遊んでいる、・・・なんて始まって、社宅の駐車場に出来た水溜りにアメンボがいる。駐車場は排水が悪く、ちょっとした雨で水溜りができるが、どんな大きなものでも、2日もあれば消えてしまう。その中に姿を現わしたアメンボ。いったいどこから・・・、そしてどこへ。 |
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当時図書館、ホームページを調べてみたが解答は見つからなかった。アメンボの生態について観察、記述したものはなかったのですね。その後も思い出すたびに水溜りを眺める、本を拾い読みする程度のことはしてみたが、結局わからずじまいのままだった。
答えはやはり現地、現物にありました。
アメンボは飛ぶことができる。あの水溜りのアメンボは広瀬川から飛んできているのだ・・・たぶん。
5月3日の午後、Kは前日の雨でできた水溜りのアメンボを眺めていました。暇を持て余しているKはしばらく見ていましたが、時間の経過とともにアメンボの数が増えていくような気がします。水の中から湧いてでもくるように。
アメンボは水の上にしか棲めないと思っているKは、アメンボを陸へ上げたらどうなるだろうかと考えます。一匹のアメンボを手で追い立て陸に上げましたが、別にどうということもないようです。陸(ぬれたアスファルトですが)を追い立てるとアメンボは最初は小さく、さらに空中高く飛び上がり、すぐ降りてくるだろうとの予想を裏切り、空高く見失ってしまいました。追跡できた高さは社宅の3階程度の高さにも思えましたが、あんな小さな虫が飛ぶのをそんな高さまで目で追いかけることができるとも思えず、もっと低いかもしれない。別のアメンボに狙いを付け、同じようにやってみたが、こちらは数十センチ飛びあがり水溜りに逃げてしまいました。
結局実験は2例で終わってしまったのですが、Kはアメンボは飛ぶことができることを知り、今見たことを一刻も早く配偶者に知らせようと家へ駆け込んでゆきました。(彼女も同じ疑問を持っていることを知っていたのでした)
アメンボが空高く飛びあがったときすごい飛翔力だと思ったが、あとで考えて見ると、他の虫に比べ特段すごいとは思えない。水の上に棲んでいるイメージがあるため、セミやカメムシと同じ半翅目の昆虫(アブラムシも仲間だ)であることを忘れ、「すごい」となってしまうのだろう。

翌々日、立ち読みでアメンボの生態が書かれている本を見つけた。「虫のおもしろ私生活」(主婦と生活社)。発行が1998年だから以前から目に付いていたはずだが、中味を読むのは初めて。
その中にはこんなことが書いてある。アメンボは飛ぶことができる。天気が良ければ消えてしまうような水溜りで泳いでいるアメンボは、川、沼、海!から飛んできたものだ。ただ、アメンボには川など恒常的に水のあるところにのみ棲むものと、水溜りにも棲むものとがあり、前者の場合は翅が小さくなりほとんど飛べない、などと書いてある。
見開き2ページ程度の分量で昆虫に関する知識をまとめた本で、いわゆる専門書ではない。解答自体は前述の経緯で既に分かっていたが、3年越しの疑問が手近な本にこうも簡単に記述されているのに出くわし、やっと見つけたうれしさよりも拍子抜けの気持ちが強かった。唯一の喜びは、「アメンボが飛ぶのを見た人はめったにいない」と書き添えてあったこと。・・・そう、めったに見られないものを見たんだという満足感。誇らしい?気持ち。
アメンボについてホームページで取り上げたことをきっかけに、近所の図書館にある全部の百科事典、昆虫事典の類のアメンボの項を全部読んだ。なんらかのヒントになることを期待し昆虫に関する本も読みふけった。インターネット上の情報もいろいろ検索してみた。その結果今まで考えもしなかった知識・情報を得ることができた。昆虫少年の進化形のおとなが大勢いることも知った。しかし結果から言えば、今回もっとも知りたいと思った情報は実際に観察するなかで得られた。同じ情報は本にも書いてあったが、実地にこの眼で見たのをきっかけにしたかのようなタイミングで見つかったというのも何か暗示的である。
私が勤務するNTTの行動指針のひとつに「現地に行こう、現物にさわろう」ということばがある。空理・空論に陥ることを戒め、現地で実際に起きていることをしっかりと把握することから始めようということだと思うが、これがなかなか出来ない。過去の記録や理論に頼り、今何が起きているか実際に自分の目で確かめることを怠る。実際に見たとしても、こだわりがあるからほんとうのところが見えない。インターネット結構。バーチャル結構。しかし実物の世界があって初めて成り立つバーチャルだということは忘れてなるまい。
つい力んでしまったが、アメンボの疑問はまだまだ残っている。川からわざわざ水溜りに飛んでくるのは何故か。さほど獲物がいるとも思えない場所へどうして。そもそも、そこに水溜りができたなんてどうして分かるの。
アメンボとのつきあいはまだ続きそうである。
00.05.10