これまで使用したボード

大学時代からスキーを続けてきて、さらにスケートボードも始めていたのでスノーボードへの移行は人よりスムースな方だったかもしれないが、やはり当時の価格はなかなか手を出しにくいものだった。しかし、あることがきっかけでスケートボードでもなじみのあるシムス社のボードを友人たちといっしょに購入し、連れ立ってスキー場にいくことになった。とは言うものの、身近にコーチがいるわけでもなく、見よう見まねで始めたので現在の状況とくらべると何倍ものムダな時間を要していたように思われる。なんといっても、ほかのスノーボーダーを見かけたらリフトの上から手をふっていたぐらいスノーボーダーが珍しかったぐらいなのだ。


1.シムス 1600FE(87-88年シーズン)

 シムスはバートンと並ぶ最古参メーカーのひとつである。スケートボードのメーカーとしても有名で、かつてクリスチャン・ホソイやレスタ−・カサイら日系人スケーターのシグネチャーモデルをだしていた事もあり、私の好きなスケートボードブランドのひとつだった。やたらとスノーボードのパイオニアを誇示する東海岸のバートンに対し、テリー・キッドウェルやショーン・パーマーらを擁するシムスが実際にはレースで多くの勝利を納めており、最初はこの二人の活躍の陰に隠れて目立たなかったが、のちにバートンに移籍してスノーボードの神様とまで呼ばれたクレッグ・ケリーや、ルックを経て独立して自分のブランドを作ったバート・ラマー(スケート時代からのシムスのライダー)やロブ・モローらも所属していたほどのオールスターチームだった。この頃の雰囲気はビデオ「THIS IS SNOW BOARDING」「SNOW SHREDDERS」(シムス)や「ONE TRACK MIND」「SNOW RULES」(バートン)を観るとよくわかる。

 私がスノーボードを始めた88年頃はスケートボードの延長のような単なるプライウッド(ようするにコンパネのような合板)にエッジとソールをつけたもの(FEシリーズやキッドウェル・フリースタイル、レース用のアルティメートなど)からスキーと同じ構造(ラミネート構造?。ブレ−ドシリーズなど)への転換期の初期で、この1600FEは非常に硬い板ながら捻れには弱いシロモノだった。

 このボードには、シムスのハイバックビンディングをセットしてソフトブーツ(ソレル社のカリブ)で乗ったが、ブーツが柔らかくてなかなかエッジに十分な力が伝えられなかったので、2回目か3回目でソフトブーツには見切りをつけ、モスのプレートビンディングを自作したプレートを介して取り付け、ブーツはコフラック社の山スキー靴・アルボナ(蛍光イエローが眩しかった)に買い替えた。


2.シムス スイッチブレ−ド(88-89年シーズン)

 硬い、捻れに弱い、重い… という1600FEには1年目で限界を感じたので、2シーズン目にはさっそくニューボード、シムス社のスイッチブレ−ドを購入した。このスイッチブレ−ドは前シーズンにも「ブレ−ドジャパン」として輸入代理店のハスコ社が独自に国産化して作って販売していたが、評判がもうひとつだったので、本国・USA製のスイッチブレ−ドが正式に輸入されてきた事を聞いてこのボードに決めた。この頃のフリースタイル系の選択肢といえばほかにシムス社の1/2PIPE、バートン社のエアー(その後、シーズン中にミステリーエアー⇒ケリ−エアー)、クルーズ155&165、アバランチのKICK145&165などしかなかった。この頃のシムスのボードは全てソフトブーツを前提に作られていた(シムス用のプレートビンディングがなかった)ので、エルフゲンのハードビンディングとバートンの輸入元の小倉貿易が発売したフリッチ社(山スキーのビンディングでも有名)のステップイン!ビンディングとを1セットずつ買い、バートンエアーを買った友人と前足をエルフゲン、後ろ足をフリッチになるように分けて取り付けた。(このステップインビンディングはヒール部分が壊れるトラブルが欠陥が分かり、その後回収していた。友人のものも転倒時にパーツが割れてしまった)


3.グヌ− コンセプト(89-90年シーズン)

4.バ−トン M6(89-90年シーズン)

 3年目のこのシーズンは、1600FEにのっていた頃から欲しかったシムスのキッドウェル・フリースタイルがモデルチェンジしてしまうということで、日本に数本入るという旧モデルの予約を入れていたが結局手に入らず、その頃雑誌・スノースタイルの第1号のカタログ特集でGNU(グヌ−)から初めてウッドコアの「コンセプト」というフリースタイルボードが発売される事を知り、大阪で唯一(だったと思う)このメーカーを扱っていた東大阪市のショアーというお店で予約を入れ手に入れた。この年、この「コンセプト」は結局日本にわずかしか輸入されず、大阪では数本しか存在しないという絶品(だったはず)で、私のいちばん好きなボードのひとつである。


5.ニトロ パイロ145(90-91年シーズン)

 ニトロ(のちにナイトロに呼称変更)は、どうもグヌ−を買収してできたような会社で、そのPRビデオ「Go NITRO Video」観ると、シムスから移籍のぺトラ・ムーシック以外の主要なライダーはグヌ−からそのままニトロに移ったようだった。したがってグヌ−の創業者がのちにリブテック(LIB TECH)を新たに作ってその兄弟ブランドとしてグヌ−を復活させるまで、グヌ−は幻のブランドとなっていた。

 このパイロというモデルは、グヌ−の「コンセプト」のコンセプト(ウエストをボードのセンターにし、前後が同形状のキックを持つ)をさらに発展させ、一見前後が同じに見えながら、サイドカーブが非対称でレギュラーでもグ−フィ−でもターンしやすくなるというすぐれものだった。


6.ニトロ エピックLE・ペトラモデル(91-92年シーズン)

 前年のシーズン中に、ショップでニトロのスラロームモデル・エピックを借りたことがあったのだが、やたらと硬い板で思うようにターンできなかった(はっきり言って曲がらなかった)。しかし春のボード試乗会で乗ったニューモデルはとても扱いやすく、さらにその板のLE(リミテッドエディション)として、ソフトなぺトラ・ムーシックモデルが出るというのでさっそく予約して購入した。スキーの頃からミーハーだった私は、ニトロのボードにキムジ−のウェア、エメリーのビンディング、スウォッチのワッペンやステッカーとほぼ同じブランドで固めて喜んでいた。


7.フリ−サーフ スラロ−ムモデル(92-93年シーズン)

 雑誌の記事によると、フリーサーフはもともと各メーカーのプロトタイプを製作していたメーカー。ボードのトップシートに木目調を施したこのモデルは1年落ちだったが、前年から目をつけていた板だったので、会社の近くのタナベスポーツで半額で購入した。板にインサートホールがなかったため、最初エルフゲンのエクストリームビンディングを直付けしたが、実際乗ってみるとスタンスがしっくりこなかったので、スノーボードクリニックに出して4×4のTナットを埋め込んでもらった(その後はスノープロの4×4ビンディングを使用)。このセットはさらに2シーズンも使用し、いよいよ買い換え! の次の年に子供が産まれたので95-96年シーズンは買わずに滑走0回。96-97年シーズンも同じ板で滑走のべ2日。結局そのまま現在に至っている。


雪坊主に載ったよ(98/04/16 更新)

 


以下次号


TOPへ