裁判所に提出した保育専門家の意見書です


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Posted by 一弁護士 on 2002/03/09 23:21:01:

In Reply to: 裁判所に提出した法学専門家の意見書です Posted by 一弁護士 on 2002/03/09 23:08:54:


       意 見 書
                      佛教大学助教授 丸山 美和子
    大阪地方裁判所 第2民事部 御中

    1.子どもの発達保障における保育所の役割

     1.1「保育」の概念と保育所の機能

     保育所は、児童福祉法第39条1項によって「日日保護者の委託を受けて、保育に欠けるその乳児又は幼児を保育することを目的とする施設」と規定されている。では、ここでいう「保育」とは、いったい何を指しているのであろうか。保育所の役割を考えるにあたっては、まず「保育」の概念を明確にする必要があると言えよう。
     「保育用語辞典」によれば、保育は「養護と教育と一体となった人間形成の営み」1、あるいは「乳児、幼児を対象として、その生存を保障する『養護』と心身の健全な成長・発達を助長する『教育』とが一体となった働きかけ」2であると定義されている。
    以前、日本教育学会は「保育」ということばを英訳するにあたり、その概念を巡って十分な論議を行った。そしてその結果、「保育」を「early childhood care and education」と訳した。「保育」には「care」の機能と「education」の機能があることを明確にするための工夫」であったと考えられる3。
     保育を「養護」と「教育」の統合概念であるとするならば、日日保育を行うことを目的とする保育所は、子どもを養護し教育する施設となる。そして、そのことによって保護者の生活・労働保障と子どもの発達保障を統一して行う機能をもった場であると言うことができよう。
     一般的には、「幼稚園は教育」「保育所は保護」と図式的に捉えられやすいが、実は、どちらも教育機能は共通して有している。保育は「福祉」であって「教育」ではないかのように理解したり、教育機能において、保育所を幼稚園より低いもののように捉えるのは、大きな誤解あるいは認識不足であると言わざるを得ない。
     本意見書においては、筆者の専門領域と関わって、保育所における子どもの教育機能(発達保障機能)に視点をあて、保育所の経営主体が変更されることに伴う問題点を考察していきたい。

      1.2保育所の「発達保障機能」について

    今日の保育所には、発達保障機能のより一層の充実がとりわけ強く求められている。
    保育所が「子育て支援機能」を担いつつあることもそのひとつの証と言える。
     「子育て支援は、当初行政的には「少子化対策」として打ち出された観がある。
    1994年12月に出された「エンゼルプラン」ではその面が強く打ち出された。よって、その具体化として出された「緊急保育対策等5か年事業」においては、低年齢児(0〜2歳児)の保育の促進、延長保育、一時的保育、病気回復期保育等が強調された。
    女性が結婚後も働き続けることが一般的になってきた社会の中で、当時の厚生省は、三歳までは常時家庭内での母親による子育てが重要という「三歳児神話」を撤廃し4、働きながらも子どもを産み育てる条件を考えざるを得なくなったのである5。1999年に出された「新エンゼルプラン」も「重点的に推進すべき少子化対策の具体的実施計画」とされている。
     しかし、実際に保育所が担う「子育て支援」は、単に少子化対策のみでなく、地域の子どもたちも含めた発達保障をめざしたものであることが求められている。今日、子どもの発達上に様々な問題状況が現れているからである。
     保育・教育現場において、「子どもが変わった」「子どもの体と心が何かおかしい」という声が、ベテラン保育者・教師たちから聞かれるようになったのは、1970年代頃からである。「姿勢が悪い」「運動がぎこちない」「手先が不器用」といえる子どもが多いと指摘され始めた。その後、運動面や手指操作面の問題のみならず、行動をコントロールできない状態や発達上のアンバランス、さらに「食べる・眠る・意欲的に活動する」といった「生きる力全体の弱みと歪み」等も指摘されるに至った。こうした子どもの問題が生じてくる背景要因の一つとして、家庭・地域・社会の子育て文化の衰退や子育て機能の低下が指摘された。合わせて、学童期・思春期・青年期に現れる問題も、乳幼児期にその芽や根を持っているものがあることも言われ始めた6。そして、このような問題を克服するために「子育ての専門機関」としての保育所が注目され、乳幼児期の発達保障機関としての役割に対する期待が高まっているのである。
     子どもの発達保障を考えた場合、必ずしも、母親との関係の中だけで生活するのが子どもにとって好ましいとは言えないという状況認識は確実に広がってきている。その一つの現れが、乳幼児検診後のフォロー体制の問題であろう。乳幼児検診において、発達上気になる子どもが発見された場合、できるだけ早く組織的保育と子ども集団を保障することが子どもの発達保障につながると考えられている。保育所における障害児保育枠も、そうした中で拡大されてきた経過がある。保護者が就労しておらず家庭で保育する条件があったとしても、子どもに発達上の課題がある場合は保育所入所を認めている。現在、児童福祉法の「保育に欠ける」という文言は、発達保障機能を有する「保育を必要とする」と理解されてきている7。高石市もそのような認識の上で、これまで保育所における障害児保育を拡大・充実させてきたのであろうと推察する。ここには、母子関係や親子関係のみが子どもの発達保障の条件ではなく、集団保障や目的意識的な保育を受けることが発達保障にとって必要であり、保育所がその機能を大きく有しているという認識が存在している。

    2.子どもが一方的に保育所を変えられることで受ける発達上の不利益

     乳幼児期は、一生の内で最も発達的変化の速度が速く、可塑性も大きい時期である。
    乳幼児期にどのような保育を受けるかということが、その後の子どもの人格形成に大きな影響を与える。その影響は、思春期・青年期にまで至ると考えられる8。その意味で、「保育」は子どもの将来に渡って影響を及ぼす重大な責任のある仕事だと筆者は考えている。
     しかし義務教育機関ではない保育所においては、その保育内容は実にバラエティに富んでいる。「自由保育」を標榜している所もあれば、英語やピアノ等の教室を設ける「塾型」と言われる保育を行っている所もある。「裸保育」と銘打ち体力づくりを売りにしている所もある。また、「お勉強の時間」を設定し、文字・計算等の早期学習指導に力を入れている所もあるし、日々の生活の力を育てることにウェイトを置いている所もある。まさに千差万別である。
     このような中で、保護者が保育所を選択するにあたっては、その保育内容・保育方針が大きな判断基準となる。我が子を安心して託すことができるかどうかは、その家の子育て方針と保育所の保育方針が一致するかどうかによっている。単に、家から近いとか、便利だとかということだけで選択している訳ではない。もちろん、通勤条件・保育時間も重要な要素ではあるが、それと同じくらいに、いやそれ以上に保育内容そのものが重要なのである。実際に筆者は、発達相談活動を通して、保育内容で保育所を選択しその保育所の近くに引っ越した保護者や、保育内容が自己の養育観と異なったためわざわざ遠方の保育所に転園した保護者等、保育方針・保育内容こそを保育所選択の判断根拠とした多くの保護者たちと出会ってきた。
     先にも述べたように、今日、保育所の保育内容は実に多様である。「同種同等の保育」というのは、現実に存在しないし、有り得ない。仮に設備面や人的配置の条件が一致し、客観的に価値として「同等」と評価しうるとしても、保育内容・保育方針において「同一」では決してない。それが同一でなければ、子どもや保護者にとって「同等」とは決して言えない。
     また、同等の保育を担保するものとして「保育所保育指針」があるという主張がある。保育所保育指針は厚生省児童家庭局長通知によって「保育所における保育内容が一層充実されるよう貴管下の地方公共団体及び保育所」の指導方針であり学習指導要領のように国家的基準として法的拘束力を発揮するものではないものと理解されている。保育所指導指針を持って「同種同等の保育」が保障できるというのは論拠のない主張である。現実に保育内容は公立と民間でも異なっており、民間内の差はとりわけ大きい。また、同じ自治体の公立間においても、地域性や園の規模等を反映して、保育内容には違いがある。その違いを踏まえて、保護者は我が子にとって最善と思える選択を行うのである。その選択は、単に公立か民間かではなく、「○○保育所」という固有名詞による選択である。
     そのような判断で選択し子どもを入所させた保育所の保育方針・内容が、入所後一方的に変更されることは、保護者と子どもに大きな不利益をもたらすものである。「保育」の教育機能を考えると、その不利益は容易に回復しがたいものであると言える。
    もちろん教育的視点で捉えたとき、保護者の選択が客観的に常に正しいとは限らない。
    保育・教育内容に対する価値判断は、当然その保育・教育観に左右されるものであり、現在、保育・教育観は実に多様であるからである。しかし、多様な保育観が存在する以上、多様な保育の中から一つのものを選択する権利は保護者にあると言えよう。保護者は、我が子にとって最適と思える保育内容の保育所を選択し、我が子を入所させる必要がある。また、現在そうしていると考えられる。それは、行政や外圧により一方的に変更を求められる性質のものではないはずである。
     すなわち、一旦行政として入所選択を認めた以上、「その保育所を廃止しても他の保育所に入所させれば不都合は無い」という論は決して成り立たない。子どもの発達保障という点において、回復しがたい不利益を子どもとその保護者に与える可能性が存在するのである。
     1989年11月20日、国際連合は「児童の権利に関する条約」(子どもの権利条約)を採択し、それはわが国でも1994年5月22日に批准された。この条約では、第18条1項において「締約国は、児童の養育及び発達について父母が共同の責任を有するという原則についての認識を確保するために最善の努力を払う。父母又は場合により法廷保護者は、児童の養育及び発達についての第一義的な責任を有する。児童の最善の利益は、これらの者の基本的な関心事項となるものとする」とされており、さらに2項では、「締約国は、この条項に定める権利を保障し及び促進するため、父母及び法廷保護者が児童の養護についての責任を遂行するに当たりこれらの者に対して適当な援助を与えるものとし、また、児童の養護のための施設、設備及び役務の提供の発展を確保する」と明記されている9。子どもの発達に影響をおよぼすような保育内容の変更につながる措置を、行政が保護者の選択を無視し、一方的に行なうことは、「児童の権利に関する条約」にも反する危険性が大きいのではないだろうか。

    3.保育所民間委託問題の本質的論点

    高石市立東羽衣保育所が廃止された場合、子どもたちは当然別の保育所に入所することとなる。経営主体が異なる限り、そこの保育内容は高石市立東羽衣保育所とは異なってくる。保育所の経営主体が変わるということは、当然そこの保育内容に変更が生じるということを意味するのである。単に「環境が変わる」「全ての保育者が一度に変わる」ことにより、子どもに不適応が生ずるとか、保護者が一時的な不安を感じるというだけの問題ではない。もちろん、そのこと自体が子どもの発達に与える影響は非常に大きい。しかし、保育内容の変更がもたらす子どもの発達への影響の大きさは、それ以上に計り知れない。乳幼児期が子どもの人格形成の土台を形成する時期であり、その時の保育内容が思春期・青年期にまで影響を及ぼすことを考えると、保護者が選択した保育内容が一方的に変更されてしまうことに対する責任は重大である。
     保育内容の変更は、必ず子どもの発達に悪い影響を与えるとは限らない。客観的には、より子どもに合った保育になる可能性も秘めている。しかし、先にも述べたように、保育内容を選択する権利は基本的には保護者に存在する。保育内容の変更がもたらす影響が、その子どもにとって悪い方向に作用する可能性が多少なりとも存在する場合、行政によるその変更は極めて慎重でなければならない。
     仮に、保育内容が入所している子どもに合わないと専門的に判断される場合、保護者と話し合い、より適切な場を検討し合意を得る努力をすることは、行政的にも在り得ることであろう。しかし、経済効率を理由に保育内容の変更につながる措置を一方的に強いることは許されることではない。
     先に紹介した「児童の権利に関する条約」においても、第3条1項において「児童に関する全ての措置をとるに当たっては、公的若しくは私的な社会福祉施設、裁判所、行政当局又は立法機関のいずれによって行われるものであっても、児童の最善の利益が主として考慮されるものとする」とされ、さらに第6条2項では「締約国は、児童の生存及び発達を可能な最大限の範囲において確保する」と定められている10。
     本件の議論の中心は、今回の措置が「子どもの発達にとって最善の変更であるかどうか」という点に絞られるべきであると考える。経済効率を優先した判断に対して、子どもの発達保障や教育ということに対して無理解であるが故に、そのことが子どもの発達に及ぼす影響を軽視するような議論をしてはならない。
     21世紀が、本当に子どもを大事にする世紀であって欲しい。そして、行政がそれを具体化する役割を担うことを強く願っている。                                以上


    1 岡田正明・千羽喜代子編『現代保育用語辞典』フレーベル館、1977。
    2 森上史朗・柏女霊峰編著『保育用語辞典』ミネルヴァ書房、2000。
    3 田中孝彦『保育の思想』ひとなる書房、1998。
    4 厚生省監修『平成10年版厚生白書 少子化を考えるー子どもを生み育てることに「夢」を持てる社会をー』ぎょうせい、1998。
    5 厚生省の政策としての「子育て支援」における目的と問題点については、次の論文に整理されている。岡崎祐司:『政策的視点から見た「子育て支援」と地域におけるその展開』佛教大学社会学部論集、1999。
    6 尾木直樹『「学級崩壊」をどうみるか』NHKブックス〔862〕、1999。
    7 田中孝彦、前掲書。
    8 乳幼児期の発達が思春期・青年期に与える影響については、多くの文献で指摘されているところである。
     河添邦俊『幼児期の育ちと中学生の心と身体の発達』ひかり書房、1981。
    9 児童福祉法規研究会監修『児童福祉六法(平成10年度版)』中央法規、1998。


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