マイ・バスボート

いちばん最初にバス釣りを始めた頃は、もちろん陸釣りだった。携行性の悪いタックルボックスやサオを持って、野池の岸沿いを歩いたりブッシュをかき分けて、少しでも釣れそうな場所を求めてさまよったものだった。しかし、どんな足場の悪いポイントでもボートがあれば簡単にアプローチできることに気付き、それ以来私のボート歴が始まった。


その1=ビニールボート

このビニールボートは外国製で、商品名を「ツーマンボート」と言った。いまから思うとオモチャそのものだが、パッケージの写真のひとつに、モーターボートに引かれて水上のジャンプ台を飛んでいるものがあったりと、かなり強力なビニールを思わせるイメージがあった。濱新というバッタ屋でたしか7980円くらいで買ったと記憶している。ただし、このボートは底がビニールだったので、さっそくコンパネを底型に切って、自製の底板を作った。このボートに釣友の三宅悟司氏と二人乗り(しかも私は立って釣りをする)して、近所の元禄池や泉南の稲倉ダム、堀河ダムなどに何度か行ったが、岩か何かで穴をあけてしまい、廃船となってしまった。


その2=ゴムボート

ビニールの弱点をカバーするには表面を強くするしかない! ということで、今度は三宅氏にも半額出資してもらい、共同で座板が2枚ついたタイプの4人乗りのゴムボートを購入した。本当はアキレス製の同型のものが欲しかったが、予算の関係でオカモト製のゴムボートとなった。めんどうくさがりやの私は、釣り場で空気を入れて膨らますのもいやなので、いつも空気を入れた状態で保管し、移動の際も車のルーフにそのまま積んで走った。このゴムボートではさらに行動範囲が広がり、泉南の鳥取ダムや奈良の旗尾池、七色ダムまで足をのばした。根掛かりしたルアーを回収したときに飛んできたルアーの針が刺さって空気もれしたこともあったが、自転車のパンク修理キットでリペアし、今も現役である。


その3=アルミボート(ジョンボート)

ビニールボート時代から、ポイント移動時の動力は同船の三宅氏の体力に頼ってきたが、七色ダムに行ったときのあまりの広さに無力さを痛感し、動力船の必要性を強く感じた。喫水が浅いために風に弱いゴムボートを改造するよりは、より居住性も高いアルミボートが最適と考え、近所のボート屋で中古を探したり、新艇のカタログを取り寄せたりしたが、最終的に京都のポパイを訪ね、シ−ニンフ社製のジョンボートJD-12の4年落ちの中古を、ゴムボート同様に三宅氏と共同で購入した。その時の仕様はマーキュリーの4馬力船外機とミンコタの電動フットコンタイプのエレキ(以上中古)のセットで、さらに新品のストアウェイバッテリー80Aと同社の15Aのチャ−ジャーを追加して合計25万円だった。このジョンボートでは、恐いものなしで奈良の池原ダムや二津野ダム、兵庫の生野銀山湖、和歌山の紀ノ川などに出かけたが、一度だけ行った琵琶湖では漁船の波でも転覆するのではないかという恐怖にさらされ、それ以後野池かダム湖を中心に釣行を重ねた。ボート自体は頑丈でいまでも現役だが、エンジンもエレキも途中で故障し、今ではヤマハの4馬力、エビンルードの26.5ポンドおよびミンコタの36ポンド(ハンド)に変更している。


その4=FRPボート(バスボート)

ジョンボートで1回行ったきりの琵琶湖だったが、その後レンタルのバスボートを2度利用したことがあった。1度目は150馬力を積んだプロクラフトの17フィートに三宅氏とその同僚と3人で。何しろ3人ともバスボート初体験のため勝手がわからず苦労した。エンジンの調子が悪かったのか、プレーニングに入って安定したかと思うと急に失速するという変なクセがあり、乗りにくい印象だけが残った。そこで2回目は三宅氏と2人だったので30馬力のハイドロスタ−13フィートにしたが、エンジン角度の調整も必要なく気軽に扱えたので初めてバスボートの魅力を感じることができた。このハイドロスタ−がきっかけとなって、ムラムラとFRPボートへのあこがれが強くなり、欲しくなったらなんとしてでも手に入れたくなる性格も手伝って、無理をしてでも買う気になった。それ以前にもレンジャー社の最低クラスの321Vというタイプが欲しくなったこともあったが、350万円という価格に手も足も出ずあきらめたことがあった。そこで国産の14フィートを考えていたところ、レンジャー社から新しく廉価なR70、R72というタイプが発表され、16.6フィート、ツインコンソール、ベンチシートという願ってもないベストな仕様で値段も円高の恩恵で300万を切る設定だったので、これしかないと思い購入にふみきった。保管場所が近江八幡市の長命寺なので早朝でも片道2時間かかり、夏場など帰りは渋滞に巻き込まれ通うのが大変なのだが、マリーナも使いやすく、スロープが川沿いにあるので荒天時でも上げ降ろししやすいので気に入っている。ただし、平成7年の9月に子供が産まれてからは行く回数も減っており、早くいっしょに釣りができるくらいに大きくなればと願っている。


 

購入から丸8年。マイバスボート・レンジャーR72「エンデバーI号」は長野県・野尻湖で第二の人生を歩み始めました。購入2年目に生まれた長男も今や小学1年生、後に生まれた長女は満4歳を迎えましたが、バスボートで釣りを楽しむにはまだ年月を要しそうです。満8歳というと大変くたびれたボートを想像されるかもしれませんが、通算使用回数が30回にならないであろうこのボートは、見方によっては新艇同様です。このボートを買った1994年頃、釣り雑誌のQ&Aコーナーで「バスボートの寿命は」「日本にバスボートが輸入されてまだ10年たっていないのでなんとも言えないのですが、その第1号のボート(1985年輸入のレンジャー・ローハイド/15フィート)はまだ現役です(故小島圭一氏〜?〜永江一石氏〜並木敏成氏〜ミヤコマリーナ・マリックスでレンタル艇)」とありましたが、自分のボートを見て思ったことは、大事に扱えば一生モンやな、ということです。売却にあたってメンテナンスをお願いしたヴァイタルスピリットさんでも菱田敬一社長に開口一番「きれいに乗ってるなぁ、3年目くらいに見えるで」と言われました。まぁ、この8年間、ボートオーナーとしての喜びは十分に満足させてもらったので、これからは再びジョンボートでリザーバーを攻めたいと思います。


以下次号


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