『そして祝福の鐘の下へ』
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
――栞。
 
――あたしの妹。
 
――大切で可愛い妹。
 
 
……こんこん。
 
小さく扉が叩かれる。
遠慮がちに開いた隙間から淡い光が漏れた。
 
「…お姉ちゃん。もう、寝ちゃった?」
 
言いながら顔を覗かせたのは、妹の栞。
囁くような細い声を廊下から投げかけてくる。
 
「まだ起きてるわよ。どうしたの、こんな時間に?」
「ねえ、お姉ちゃん、そっちに行ってもいいかな」
「まあ……別にいいわよ」
 
それを聞いて、どこか嬉しそうに栞がとことこ近づいてくる。
きっと口元に微笑みでも浮かべているのだろう。
長年一緒に暮らした妹だ。
見なくても大体どんな表情をしているかはわかる。
 
「あら? それはなに?」
「今日はお姉ちゃんの隣で寝ようかな…って」
 
栞は持っていた枕を胸に抱える。
少し顔を伏せて、あたしに表情を見られたくないようだ。
きっと、……寂しいのだろう。
 
「わかったわ、仕方がないわね。まだまだ甘えん坊の子供なんだから」
「もうっ、子供じゃないよっ」
 
と、言ったものの栞は隣に潜り込んでくる。
言動と行動が矛盾してるわよ、栞。
 
「じゃあ、おやすみ。お姉ちゃん」
「おやすみなさい、栞」
 
 
しばらくそのまま天井を見上げる。
耳を澄ませば栞の息遣いが小さく聞こえる。
そういえば、栞と一緒に眠るのはいつぶりだろうか?
ああ、そうだ、あの時以来だ……。
 
 
”まあ、栞には運動神経がないから仕方ないわね”
”でもモグラ叩きって本当に難しいんだよ”
”…きっと栞だけよ”
”もうっ、お姉ちゃんのイジワル”
”ふふっ、冗談よ。ごめんね、栞”
”うん”
”……”
”……”
”……栞、本当にごめんね”
”…お、お姉ちゃん?”
”いままで、本当にごめんね”
”ねえ、お姉ちゃん。今日は隣で寝てもいいかな?”
 
 
あの時……。
栞と久しぶりに話ができた、ある夜。
あたしが逃げることをやめた、あの夜。
栞が本当に嬉しそうに『お姉ちゃん』と言ってくれた、あの夜。
そう、あの時以来だ……。
 
 
「なんだか寝れないね」
 
不意に栞が呟く。
どうやら栞も眠れずに天井を見上げていたようだ。
 
「あたしはともかく栞は早く寝ないと明日が大変よ」
「平気だもん……たぶん」
 
まったく、この娘は一生に一度の晴れ舞台に寝不足で挑む気なのだろうか。
 
「目の下にクマがある花嫁なんてみたくないわよ、あたし」
「私もそんな花嫁にはなりたくない…」
 
栞がぎゅっとあたしの袖をつかむ。
今日までずっと同じ屋根の下で暮らしていたあたしの妹。
いつも一緒にいたあたしの妹。
栞は堪えるように瞳に涙を浮かべていた。
 
「…お姉ちゃん」
「どうしたの?」
「お姉ちゃんは、…ずっとお姉ちゃんだよね」
 
消えるようなはかなげな声。
明日、愛する人の元に行くあたしの妹。
それでも慣れ親しんだ家を離れることに寂しさを感じているのだろう。
そして、ずっと一緒にいたあたしと離れることにも……。
 
「栞はずっとあたしの妹よ」
「……うん」
「この家から離れたって、名字が変わったって、ずっと……」
「……うん」
「だから、相沢君にめいっぱい幸せにしてもらいなさいよ」
「……うん」
 
泣き笑いを浮かべて栞が頷く。
そして、すこしあたしの側に寄り添ってきてから、栞は微笑んだ。
 
 
いつもの調子で、
 
いつもの口調で、
 
いつもの笑顔で、
 
いつもの栞らしく、
 
 
「でも、祐一さんのことは相沢君でなくて、せめて祐一君って呼んでね」
 
「私は明日から 相沢 栞 だから。ね、お姉ちゃんっ」
 
 
 
――栞。
 
――あたしの妹。
 
――大切で可愛い妹。
 
――いままでも、これからも、ずっと……。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
本当は10000HIT突破まで待とうかと思いましたがお贈りしますね。
近々10000HITに行きそうですし…。まあ、8000HIT突破記念ということにでもしてください。
いつもお世話になっているHIDさんへささやかながら感謝の気持ちです。
書きながら考えた拙いSSですが、よろしければお納めください。
え? 10000HIT突破記念時に別のSSが欲しい? えっと、前向きに善処します……。
 
8/29 苦悩者
 
 
【お礼の言葉】
いや、苦悩者さんらしい、やわらかいタッチでとてもいい話ですね。
親ではなく、不安な気持ちを姉にぶつける。
栞と香里の絆がその辺にも感じられます。
しかし、香里が義姉かあ、祐一大変そうだなあ(苦笑)
というか、ちょっとうらやましいかも(笑)
 
ありがとうございました。
 
HID
1999/8/30


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