《Part IV... - Drive on! <Akiko> Climb up -》
 
 
「さて」
 
 何々スカイライン(Seven の振動で『何々』が読めなかった)はこちら、という道路標
示に従い道を折れ、そのスカイラインの入口らしい所で一度 Sevenを停めて秋子さんが、
そう声を発する。
 
「エンジンも足回りも温まってきたようだし、私自身も温まってきたようだから、少し本
 気を出させてもらうわね」
 
 そう俺にいつもの笑顔と共に言葉をかけ、更に注意を促す。
 
「この手のサスペンションがあって無きが如しのような車は、身体をしっかりホールドす
 るとコーナーを曲がる時なんかの横Gが全て首に掛かってくる感じがして横に持ってい
 かれそうになるから、注意してね」
 
 どう注意すれば良いのか今一分らなかったが、取敢えず頷いておく。
 
「シートベルトは…、大丈夫ね」
 
 言葉だけではなく顔を俺のベルトのバックルに寄せて、更にロックを確認してくれる。
 う〜ん、何だかさっきから大袈裟だな、と思っていたが、声には出さない。というより
も出せなかった、という方が正解だろうか。何故ならその時の俺は、手を回せばそのまま
両腕で包み込める距離にある秋子さんを、意識せずにはいられなかったからだっ!
 あぁ、もぅ笑ってくれっ、男とは悲しい生き物さ…。
 
「それじゃ、…行くわよっ!」
 
 
 グォン、グァン、グアッ! ァァァアアアアーー……
 
         キャキャッ、
 
         ドンッ!
 
         グキッ、
 
        「ぐぁっ!」
 
 
 …一応、解説しておこう。
 
 上から其々、軽く二回ほどアクセルを煽り、グッ、と回転を上げて唸るエンジン音。
 回転を上げつつクラッチを繋いだのだろう、タイヤを軽く鳴らしつつスタートする Seven。
 まるで後ろから蹴られたようなショックを感じる、俺の背中。
 慣性の法則により(苦笑)、ガクンと後ろに持って行かれる、俺の頭。
 思わず呻き声が出てしまった、俺。
 
 …とまぁこんな事が、一瞬に起った訳だ。
 
 ……後から思い返した事だけどな……。
 
 
 ………。
 
 ……。
 
 …。
 
 
「………」
 
 どうやら頂上のパーキングエリアらしき所に着いたようだが、途中の記憶が跳んでいる
ようだ…。
 
「………ん」
 
 ぼんやりと憶えているのは、コーナーの度に左右に振られ、加速の度にシートに押し付
けられる俺の身体、減速の度に肩に食い込むシートベルト、視界はただ流れる景色、頭は
空っぽ…。
 
「…一さ…」
 
 あぁ…、空が青いぜ……。
 
「祐一さ…」
 
 …何だろう、女神の声が聴こえる気がする…。
 
「祐一さん?」
 
 見上げていた空に、見慣れた女性の顔が被さる。
 
「…あれ、秋子さん…」
「ちょっと、いきなりだったかしらね」
「…えっと…」
 
 …。
 あぁ、そうだった、秋子さんの運転で、ここまで来たんだった…。
 …。
 それにしても、なんて加速だったんだろう。
 それは例えて言うならば、静止状態からいきなりジェットコースターのトップスピード
まで、途中の経過をすっ飛ばして持って行った感じ、といえば近いかもしれない。俺はあ
まりその手の絶叫マシンは得意な方ではないのだが、これは更にその上、定まったレール
が無いと来た。そしてコーナーの度に加減速、左右に大きく振られる Sevenと俺。
 …並みじゃないぜ…。
 運転しているのが秋子さんでなければ、さっさと逃げ出してるな、俺。
 …秋子さんでも、怖いものは怖いけどな…。
 
「大丈夫? 放心してるみたいだけど」
「え、えぇ、大丈夫…、だと思います」
「あんまり大丈夫じゃないみたいね。驚いた?」
「…度肝を抜かれました…」
「ふふっ、そうね、普通の車じゃないから、初めての人は大抵驚くわね」
 
 くすくすと、悪戯っ子のような笑みを洩らす秋子さん。
 こんな面も持っていたんだな…。
 もしかして、その為にここに来るまで、あくまで丁寧に運転してたんじゃないか、と思
わず勘繰ってしまうぞ。
 
「そろそろ良い時間だし、ここでお昼にしましょうか」
 
 
 
 ★ ★ ★ ★
 
 
 
《Part V... - Intermission -》
 
 
 言われてみればそろそろ昼食の時間だった。
 秋子さんに言われて、改めて腹が減っている事に気付いた。
 朝から新たな発見と驚きの連続だった為、時間が経つのも忘れてしまっていたみたいだ。
単純な奴だな、俺も(苦笑)。
 しかし、こんな所でお昼、と言われても、何処で何を食べるというのだろう?
 
「心配しなくても大丈夫よ、ちゃんと持ってきたから」
 
 ぐはっ、また読まれてしまった。
 俺ってそんなに感情が顔に出易いのかなぁ…。
 
「さ、それじゃ早速用意するから、手伝ってね」
 
 言葉と同時に、やはり颯爽と Sevenの運転席から抜け出し、座席の後ろのトランクルー
ム(と呼んで良いのだろうか? ボディーの後端から座席までの空いた空間を幌で被せて
あるだけの質素なものなのだが)から、それらしい荷物を取り出す。
 それじゃあ俺も、と秋子さんに続いて颯爽と Sevenから降り…、る、つもりが意に反し
て、とてもみっともないものになってしまった。
 …。
 思い返してみれば、乗り込むのにさえ、あれほど苦労したのだ。そんなに簡単に、この
Seven のボディーに嵌り込んだ自分の身体を抜き出せるはずはなかった。
 取敢えず両手をボディーのそれらしい所で支えて身体を持ち上げ、両足を引っ張り出そ
うとして蹴っ躓きそうになり失敗し、改めて片足づつ引っ張り出そうとして振らつきつつ、
何とか脱出を果たす。みっともね〜〜。
 うぅっ、秋子さんが見て見ぬふりをしてくれるのが、有難いのか悲しいのか良く分らな
い…。
 ま、誰しも最初は同じ苦労をしてるんだろう、多分。
 そう納得しておく事にする。
 
「ふぅっ、暑いわね」
 
 そう言いつつ、ジャケットを脱ぐ秋子さん。
 そうか? と思ったが、記憶の跳んだ隙間に残っている様子は、確かに激しいドライヴ
シーンだったような…。
 って、えぇっ!
 …。
 使い込まれたような皮ジャン、それだけでもなんと言うか歴史を物語っていそうなのだ
が、それは今は置いておいて。
 その下はTシャツ一枚、ではないですかっ!
 
「………」
 
 思わず節句してしまう俺。
 
「大丈夫よ、帰り用にセーターはちゃんと持ってきたから」
 
 等とニッコリ笑う。
 って、そういう問題じゃあないっ!
 今の季節にそんな姿を見られるとは思わなかったから、ドキドキだ。
 やっぱり「モータースポーツ」と言うくらいだから、汗もかくのかもな…、と何とか自
分に納得させる。
 
 ………。
 ……。
 …。
 
 とまぁ俺の思惑は他所に、昼食の準備は整った。
 何時の間に用意したのだろう(少なくとも俺は気付かなかった)、ランチボックス、何
か独特の香りがする紅茶(ハーブティーという奴だろうか?)、レジャーシート。
 パーキングエリアの横にちょうど具合の良さそうな草原があり、そこにレジャーシート
を広げ、持参したものを並べる。
 
「さ、どうぞ」
 
 と俺に、いつもの笑顔で勧める秋子さん。
 
「それじゃあ、いただきます」
「時間がなかったから有り合せになっちゃったけど、我慢してちょうだいね」
「いえ、そんな事ないですよ」
 
 と言うか、作る時間さえなかった様に思うんだが…。
 まぁいい。
 早速ボックスに綺麗に並べられたサンドイッチに手を伸ばし、はくっ、と口にする。
 
「むぅっ…」
「どうしたの?」
「ごっつぅ、うまい…」
 
 思わず関西弁になってしまうほどの、相変らずの至高の味だった。
 即席なんてとんでもない。
 半熟でも固焼でもない、絶妙な火加減の卵サンド、滑らかな舌触りのポテトサラダ、な
どが疲れた体に染み透ってゆく。
 青空と若葉に囲まれたこの空間が、また何とも言えない調味料となっている。
 デザートのうさぎ林檎もお約束だ。
 
「ふぅっ、ごちそうさまっ」
「お粗末さまでした」
 
 どさっ、とレジャーシートに寝転がる。
 満足、満足。
 
 …空が青いな。
 ぼーっと見ていたら、吸い込まれそうな色。
 冬の凍てつきそうな、何処までも透き通ってゆくような綺麗すぎる青とは違う、これか
ら生まれるであろう、又は生まれたての命を祝福するかのような、柔かな包み込まれるよ
うな青。
 腹がくちて。
 新鮮な驚きの連続に、高揚していた気分も落ち着いて。
 …良い気持だ。
 …。
 そうなってくると、結果は一つ。
 つまりは眠くなってくる、という事だ。
 俺はその感覚に逆らわず、瞼を閉じた…。
 
 
 ………。
 
 ……。
 
 …。
 
 
 …青。
 最初に気付いたのは、それだった。
 …そして、緑の双丘。
 あれ、確かここは山の頂上だった筈だけど…。
 やけに気持ち良い枕だし…。って、俺は枕なんて最初から使ってないぞっ!
 
「目が覚めた?」
 
 双丘の向こうから優しい声がする。
 …。
 答えは簡単。
 何時の間にか秋子さんに膝枕されてるじゃあないかっ!
 
「あっ、ごめんなさいっ!」
 
 がばっ、と起き上がり、そう告げる。
 緑の双丘って…、ジャケットを脱いだその下が緑のTシャツだった、という事で…、つ
まりは、そういう事だ。ぐはぁっ!
 
「あらあら、ゆっくりしていれば良いのに」
 
 そんな名残惜しそうな顔で言われても…。
 
「俺、どの位寝てました?」
「ほんの二、三十分よ」
 
 そうか、何だか熟睡できたように思うのだが、枕が良かったのかもな…。
 …。
 すっ、と立ち上がり、ぐぅっ、と伸びをする。
 
「くあぁ〜〜っ!」
 
 ついでに声まで出てしまう。
 
「さ、片付けましょうか」
「そうですね」
 
 ランチボックスその他は何時の間にか再びトランクに仕舞われていたようだ。
 うぅっ、役に立たなくてごめんなさい…。
 その分残りの仕事を、率先して片付ける。って、後は魔法瓶とレジャーシートだけだっ
たんだけど。
 
「さて、今度は下りね」
「はいっ」
 
 秋子さんが颯爽と運転席に乗り込み、俺もそれに続く。
 …やっぱり颯爽と、という訳にはいかなかったが…。
 
「少しは慣れたかしら、この車に」
「えぇ、そうですね、多分…」
 
(くすっ)
 
「それじゃあ、…行くわよっ!」
 
 
 
 ★ ★ ★ ★
 
 
 
《Part VI... - Drive on! <Akiko> Go down -》
 
 
 グォッ、オン、グアッ! ァァアアアーー……
 
        キャンッ、
 
        グンッ、
 
       「くぅっ!」
 
 
 …念の為、解説しておこう。
 
 上から其々、軽くアクセルを煽り、回転を上げるエンジン音。
 回転を上げつつクラッチを繋ぎ、タイヤを軽く鳴らしつつスタートする Seven。
 学習したので今度は体制を整えておいたのだが、それでもシートに押え付けられる、俺
の背中。
 やっぱり呻き声が出てしまう、俺。
 
 …とまぁこんな所か。
 
 そして…。
 
 風!
 圧倒的な風!!
 空気に質量があると言うことを改めて感じる程。
 
 G!
 強烈なG!
 左右へ、前後へ、身体がシェイクされる!
 
 音!
 排気音!
 エンジン音!
 轟々と唸るエンジン!
 一時とも留まることなく、後ろへ、後ろへと追いやられてゆく排気音!
 
 光!
 目くるめく光!
 重なり合う若葉の隙間から漏れ出ずる陽光、
 フロントウィンドウ枠の乱反射、
 バックミラーから、センターミラーからの反射、
 Sevenが右へ、左へ、Uターン、と方向を変える度に舞い踊る、光の欠片たち!
 
 
 何てこった、世界はこんなにも豊かだったんだ…。
 さっきの登りでは感じられなかった、様々な事象。
 気付かなかった現実。
 …新しい世界を垣間見た一瞬…。
 ……そして、それは多分、更に大きく眼前に広がってくるのだろう……。
 
 ………。
 ……。
 …。
 
 
 所謂ワインディングロード、って呼ばれているらしい(要は曲りくねった山道の事だな)
下り道を、相変わらず軽快に駆け抜ける Seven。
 しかしあれだな、階段は昇りよりも降りの方が危ない、とよく言われるけど、車の運転
もそうじゃないのかな。何となくだけど。
 そう、さっき例えたジェットコースター。
 登りならば、重力に逆らって車体を上へ上へ、と押し上げていく為に『頑張ってるぜ!』
という雰囲気で怖さもいくらかは減るんだけど、ちょっとこの下りは違うぞ。逆に重力が
味方したかの如く(俺にとっては敵だ)車体を加速させる。ただ重力を味方にしただけの
ジェットコースターでさえ、アレなんだ(どれ?)。これは更にエンジンで加速している
と来たもんだ。尋常じゃない…。
 等と恐怖を紛らわせる為に頭の中でグルグルと他事を巡らせる。
 そうすると、何時の間にか下り坂は段々と緩やかになってきて…。
 いつしか、山の麓の出発点まで戻って来たのだった。
 
 …ふぅ、何とか意識を保っている事は出来たぜ…。
 先程は意識を失うという醜態を見せてしまったからな。
 秋子さんは何も言わないし、何とも思っていないとは思うんだけど、それを二度も繰り
返すのは、オレのなけなしのプライドが許さない。
 まぁ少しはこの Sevenに慣れた、という事もあるんだろうが。
 
「お疲れさま」
 
 う〜む、秋子さんの方がよっぽど疲れたように思うんだが。
 とはいえ俺も疲れたのは事実だ。
 しかし、そんな事を口に出すわけにもいかんしな…。
 
「いえ、秋子さんこそお疲れさまでした」
「暫くこの車ともご無沙汰だったから、久し振りに運転すると確かに疲れるわね」
 
 って、そんな事を疲れなぞ微塵も見せずににっこり笑って言われても全然説得力ないん
ですが…。
 あと十往復くらいは余裕で出来そうに見えるのは、俺に気の所為だろうか。
 
「祐一さん、今日は何も予定は無かったのよね」
「はい、そうですけど…、何か?」
「それじゃあ、試してみない?」
「えっ? 何を、ですか?」
 
 答えは薄々判っているのだが、思わず聞き返してしまう。
 
「勿論、この Sevenの運転よ」
 
 
 
 ★ ★ ★ ★
 
 つづく