『ねえ、あたし達、ずっと一緒だよね。ね、祐一』
『ん?ああ……そうだな』
『ずっと、四人一緒だよね。離れたりしないよね』
『……ああ』
“Early days”
「おいコラ、親父。どーいうこった!」
「……だから海外に転勤だと言っているだろうが。日本語わからんのか?」
「そーゆーこと言ってんじゃねえよ!なんで俺まで行かなきゃなんねえんだ!」
「おまえこそ俺に海外へ一人で単身赴任しろというのか?」
「う……俺は……母さん!母さんは?」
「母さん海外楽しみだわぁ」
――だ、ダメだ……
「と、とにかく、俺はやだかんな!一人暮し、って手もあるだろ!」
「ダメだ」「ダメよ」
二人の声が寸分の狂いも無く重なった。
くそ……この万年新婚夫婦が……
「祐一」
優しい声。こんなときにそういう声使うのは卑怯だ……
「俺は……俺は転校なんてイヤだ!!」
そう言い放って、自分の部屋へ引きこもった。
落ち着いて考えてみる。
確かに、親父の言う事が正しいのだろう。
一人で海外へ行け、というのは流石に酷な話だし、高校生の息子に一人暮しをさせたくない、と言う気持ちもわかる。
でも、理屈で感情は押さえられない。
――くそっ……
やり場の無い苛立ちがぐるぐると渦巻いていた。
翌朝。
共働きの両親は俺が起きる頃にはもう家を出ている。それを寂しいと思ったときもあった。でも、今日はそれがありがたかった。顔をあわせたくは無かった。
誰もいない家で、パンだけを食べ、俺は家を出た。
「よ、祐一」
「おはよ、祐一」
いつもの通学路。いつもの時間、いつもの場所で、いつものように声がかかる。
「おす、よーこに竜也」
「なんだぁ?洋子の方が先かぁ?」
「バカたれ」
このバカそーなのが近藤竜也。
見た目通りバカで軽くて手の早い、まあ、そ−ゆーヤツだ。
なんでこんなヤツと友人になったのか今でも不思議でならない。
「仲いいね、ふたりとも」
「「じょーだん!!」」
呆れたように言ったのが柊洋子。
こっちも腐れ縁、というヤツだ。
中学のとき初めて会って、それ以来こんな関係が続いている。
「ねーねー、祐一。今日の英語、やってある?」
「……やってあると思うか?」
「やっぱり、」
「後で和也にでも見せてもらうか」
「あたしの見せてあげるよ」
「さんきゅー」
あと、もう一人及川和也って奴がいて俺達はこの四人で行動することが多い。
割とこのメンバーの中で真面目な和也が竜也と親友だっていうんだから人間ってわからないもんだ。
いつもの朝。いつもの会話。でも、転校の事を話さなければならないと思うと、心が重くなった。
「どしたの?ゆーいち?」
「あ?なにが?」
「元気無いみたい」
横で竜也がうんうん、と頷いている。
「なんかあったの?」
「い、いや、別に……」
見る見るよーこが不機嫌になる。
「ふーん、そう、あたし達じゃ相談相手にもならないんだ」
「ちょ……」
「まあまあ、そう言うな洋子。人には話せない悩みのひとつふたつあるもんだ」
おお、こいつにしてはまともな事を。
「そうか……ついに祐一も恋の悩みか……」
「ええっ!!そうなの!ゆーいちっ!」
俺は無言で竜也を蹴り飛ばした。
ひょっとしたら、夢なんじゃないか、そう思える。コイツらといると。
親父の転勤なんて夢で、俺は、ここで暮らして行けるんじゃないか、って。
でも、あれは、夢じゃないんだ……
「ねえ、ゆーいち」
「ん?」
「ゆーいちってさ、好きな人とか、いないの?」
「おっ、それオレも聞きたいな。どうなんだ?」
「……別に……」
「かあー、オマエそればっかだな、カノジョの一人や二人つくったらどうだ?」
「ふたりはマズイでしょ。ゆーいちをあんたみたいな尻軽と一緒にしないで」
よーこがごん、と竜也を殴る。
「尻軽って男に言う言葉か……?」
きーんこーん………
「ゲッ、マズっ」
「走れっ、ふたりとも!」
「わあ〜!、待って待って〜!」
「なんでいつもギリギリなの?」
一時間目終了後の休み時間。隣に座っている和也が尋ねてくる。
「しらね」
和也はにっこりと笑う。
「ま、なんとなくわかるけど」
和也は同じクラス。よーこと竜也はクラスが違う。おかげで教室にいる間は静かだ。
「なんか、あった?」
「へ?なんで?」
「うーん、なんとなく」
「なんだよ、それ」
困ったような顔で、和也は言う。
「なんとなく、そう思ったから」
「よーこと竜也にも同じ事言われたよ」
「ははっ、つきあい長いもんね」
「腐れ縁、だよ」
俺の言葉に、でも、和也は楽しそうに笑っていた。
「ゆーいちゆーいち〜。一緒にかえろ〜」
昇降口でよーこに会った。
竜也はサッカー部。
ま、運動神経だけはいいからな。
和也は陸上。
真面目だからちゃんと部活に出てる。竜也と違って。
「いいけど、俺今日まっすぐ帰るぞ」
「そうなの?」
ちょっとがっかりしたような顔。
「そうなの」
ちょっとだけ唇を尖らせた後、
「いいや、じゃ、途中まで」
そう言って、にっこり笑った。
「ねえ、ゆーいちの好きな人って、誰?」
しばらく無言で歩いていたよーこがいきなりそんな事を言った。
「はぁ?」
「朝、言ってたじゃない」
はあ、とため息をつく。
ホンキにしてたのか……
「いないよ。たぶん」
「たぶん、って何?」
「なんとなく」
「……それじゃ、いるって事?」
「わかんね」
剣呑な眼差しになるよーこ。
おお、こわ。
「……ひょっとして、あたしのこと、バカにしてる?」
「いいや、全然」
しばらく俺を睨みつけていた視線がふっ、と気遣うようなものに変わる。
「やっぱり、ヘンだよ、ゆーいち。なんかあったんでしょ」
答えない。
答えないで、俺は走り出した。
「あっ、ゆーいち!?」
「ここでお別れだろ、また明日な」
「あ……うん……」
部屋でテレビを見ていたら帰ってきた親父に呼ばれた。
「なんだよ」
いつも以上にガラの悪い応対になる。
「祐一、正直に言ってくれ。俺達と一緒に行くのは、嫌か?」
「正直に言っていいんだな。なら――Yesだ」
親父と母さんがちょっと悲しそうな顔をする。
ちくり、と胸が痛んだ。
「……祐一。秋子の事、覚えてるよね」
と、母さん。
もちろん憶えている。
「ああ」
「あなたの事を話したらね、あなたさえよければ来てくれてもいい、って」
「秋子さんが……」
記憶を探る。いつも頬に手を当てて微笑んでいる秋子さんの顔がうかんだ。
七年前に行ったきりの、雪の街。
「どっちにしても、この街に残る事はできないんだな……」
「期限は一週間だ。それまでにどっちにするか聞かせてくれ」
「……わかったよ、親父」
どうやらもうこの街にのこると言う選択肢は存在しないらしい。
まあ、常識的に考えれば親父や母さんと一緒に行くべきだろう。
――秋子さん、か
最後に会ったのは七年前。雪の降るあの街で――
そこで気付く。あの街での記憶が――ない。
――あの街で、俺は何をした?
秋子さんと、よく遊んでいた名雪と、そして、白い雪と。
――どうして、何も憶えていない?
なにか、大切な事があった気がする。何かはわからないけど、何か。
七年前……小学4・5年位か。まったく、綺麗さっぱり覚えていないというのも変な話だ。
胸がザワザワする。なんだ?俺は――
――行かなければならない、と思っている?
――行ってはいけない、と思っている?
「何なんだよ、いったい……」
確かにわかっていること。
それは、あの雪の街で何かが俺を待っている、ということ。
俺が、何かあの街に置いてきたものがある、ということ。
かちゃ、とリビングのドアが開いた。
「ん?」
「あれれ?珍しいわね、祐一がこんなに早く起きてるなんて」
俺はゆっくりと立ちあがった。
「親父、母さん。俺……秋子さんのとこ行くよ」
「そう」
「そうか」
それだけ。
それだけだった。
なんて言おうかずっと考えて、
決心を固めて、
でも、口にしてしまえばたったそれだけの事だった。
そして、久しぶりに三人そろって朝食を食べた。
「冗談だろ、オイ」
「……ウソ、だよね」
「……祐一」
そう言って俺を見る三人の視線が痛かった。
「嘘であってほしかったよ。俺も」
「で、でも、一人暮しするとか……」
「俺がそれ考えなかったわけないだろ?却下されたよ」
「う……」
「どこへ、行くの?」
「北海道の叔母さんとこだよ、和也」
「遠いな……」
珍しく竜也が神妙に呟く。
昼休みの、屋上。いや、もう昼休みは終わっている。
俺達以外には誰もいない。
「外国行くよりマシだろ」
「がいこく?」
「親父達と外国行くか、日本に残って叔母さん――秋子さんとこ行くか、どっちかにしろ、って」
「そっか……」
「どうせ行くなら外国にしときゃよかったんじゃねえの?」
「竜也!」「竜也!」
「う……」
「……まあ、竜也のいうことももっともだよな」
「じゃあ、なんでだ?」
「わかんね。なんとなく。あの街に行かなきゃいけない気がした。
こんなんじゃだめか?」
竜也は、にっ、と笑った。
「オマエが決めたんなら、いいんじゃねぇの?」
和也は、いつものように穏やかに笑った。
「もうこれで逢えない、ってわけじゃないからね」
そんな二人の言葉がすごく嬉しかった。
「……さんきゅ」
よ−こは俯いている。
「……………」
「よーこ?」
返事は無い。
キーンコーン……
「……知らない……」
「へ?」
「ゆーいちなんて知らない!どこへでも行っちゃえ!バカっ!!」
止める間もなく、よーこの体は校舎の中へ消えて行った。
後にはぼーぜんとする俺と、何やらしたり顔で頷いている野郎二人。
「ま、こーなるわな」
「……なんだよ」
「ま、そーゆーこった」
「いつになったら祐一気が付くのかな、って思ってたんだけどね」
「はぁ?」
「そういうことだよ」
『オマエ、ホンキで気付いてなかったの?』
『朴念仁、ってどっちかといえば好感持てるけど、そこまでいくともはや罪だよね』
『洋子も報われねえよなあ、相手がこんなんじゃ』
『洋子にふられたヤツって二桁越えてるらしいよ。その人達も報われないね』
――くそ、言いたい放題言いやがって……
ぶちぶち口の中で毒づきながら帰り道を歩く。
我に返った時は午後の授業はおろか、帰りのH・Rもとうに終わっていた。
「はあ……」
口をついて出るため息。
ぐるぐると同じ所を回りつづける思考。
何度考えても答えは変わらない。
「ったく……」
がしがし、と頭をかく。
空を見上げると、夕焼けから夜の闇に変わりつつあった。
――向こうで見る空は、ここで見る空とは違うのかな?
そんな事を考えてみたりした。
結局、よーこと話しはまともに出来ないまま、俺がこの街をたつ日は来た。
和也とは昨日あった。
今日は試合で見送りに来れない、と言って。
『じゃあ、元気で』
あいつらしいあっさりした言葉だった。
家を出たところに、竜也がいた。
「よう」
「よ」
軽く手を上げる。
「洋子と会ったか?」
俺は首を横に振った。
竜也は頭をがしがしとかく。
「しょーがねーなー、あいつも。おい祐一。飛行機の出る時間何時だ?」
「え?――時だけど?」
「ギリギリだな……。よし、俺が洋子を連れてくる」
「い?どうすんだよ、連れてきて」
ぐいっ、と竜也は俺の胸倉を掴み上げる。
「オマエ、洋子のこと好きなのか?」
「は?好きか嫌いか、って聞かれたら、好き、だけど……」
「友達以上として見れるか?」
「……見れないよ」
「だったら、ふってやれよ。いつまでもオマエなんかに縛られないように」
「そんなもんか?」
「そんなもんだよ」
はあ、と竜也はため息をついた。
「なんでオマエはそうなのかねぇ。その気になりゃカノジョくらいすぐできんのに。何回オマエ紹介してくれ、って言われた事か」
「なあ、それ初耳なんだけど」
「どーせそんな気なかったろ?」
「そりゃそうだけど……」
「いつか拝んでみたいよな。オマエがホンキで惚れる女を」
「……努力するよ」
「ははっ、じゃあ、空港で」
「ああ」
空港。
搭乗時間はもうすぐまで迫っている。
――間に合わなかった、かな。
荷物を持ってゲートに向かう。
そのとき、
「祐一!」
声のした方向を向く。
竜也がいた。それに隠れるようにして、よーこも。
竜也に押し出されるようにしてよーこが前にでる。
――なんて言ったらいいんだろう、こんな時……
迷って、悩んだその末に、口から出たのはたったの一言。
「じゃあな!よーこ!!」
「あ……」
泣いてるような、笑ってるような、そんな顔。
「……うん、バイバイ、ゆーいち!!」
二人に手を振って、俺はゲートをくぐ――ろうとした。
「祐一!」
竜也の声と同時に飛んできたものを反射的に受けとめる。
「餞別だ!持ってけ!」
俺は、竜也を見て、よーこを見て、
もう一度、大きく二人に手を振った。
「さんきゅ!!」
座席に座ったところで、竜也が投げて寄越した包みを開けた。
綺麗な、銀の懐中時計。
「また渋い物を……」
何気なく、裏返す。
自然と、口元に笑顔が浮かぶ。
「泣かせる事してくれんじゃねえの」
パチンと時計を開いて、閉めて、もう一度裏を見た。
YUICHI AIZAWA
YOHKO HIIRAGI
TATUYA KONDO
KAZUYA OIKAWA
その下に、
FOREVER AND EVER
――永遠に、いつまでも。
窓から見下ろした街は、小さく、滲んで見えた。
【感謝の言葉】
誕生日のお祝いにいただきました。
ありがとう、NAOYAさん。
NAOYAさんの書く祐一は、「男の子」していて、なんか見ててうれしくなります(^_^)
わたしの書く祐一はどうも、内省的というか、暗いというか(笑)
洋子、この後どうしたのかな、気になりますね(笑)
HID
1999/10/21
コメントをつける
作者の方にメールする
戻る