『そこにいてくれてありがとう』
 
 
 
 
 

 
 
 
 
髪を伸ばしてみようかな
 
わたしは最近そう思う
 
お風呂上がりの鏡の前で
 
朝の仕度の鏡の前で
 
髪を伸ばしてみようかな
 
わたしは最近そう思う
 
 
 
 
 
 
−−−−−−−−−−−−−−−
 
 
 
 
 
 
わたしは何になりたかったんだろう?
 
最近よく考える
 
 
幼稚園のときに先生に訊かれた
 
『みんなは何になりたいの?』
 
 
 綺麗なお嫁さん
 
 やさしい先生
 
 美味しい料理をつくるコックさん
 
 
いろんな夢、いろんな希望
 
 
女の子達のいろんな思い
 
 
 
わたしは何と言っただろう
 
 
 
 
ううん、ホントは憶えているよ
 
 
 
『お姉ちゃんになりたい』って言ったんだ
 
 
 
 
 
 
−−−−−−−−−−−−−−−
 
 
 
 
 
 
わたしの前にはあの人がいた
 
たったひとつの年の違い
 
どうしてこんなに違うんだろう?
 
何度思ったことだろう
 
ぴんと真直ぐに背を伸ばして、しっかりと前を見て
 
迷いもなく歩いていくわたしの一番身近な他人
 
何度、うらやんだことだろう
 
全てを与えられているように見えたあの人を
 
何度、嘆いたことだろう
 
それに較べて、あまりに空っぽな自分のことを
 
『お姉ちゃんに似てかわいいね』
 
そんな言葉が嫌だった
 
『香里の妹』
 
そう呼ばれるのが嫌だった
 
 
わたしはわたしだよ
 
どうして、わたしを見てくれないの
 
いつも心で叫んでいた
 
口に出しては言えなかった
 
口に出すほど自信がなかった
 
わたしはわたしと、言えなかった
 
 
 
 
 
 
−−−−−−−−−−−−−−−
 
 
 
 
 
 
だからわたしは髪を切った
 
けして、長くは伸ばさなかった
 
小さい頃、ずっと、小さい頃の写真
 
一枚だけの古い写真
 
そこにはわたしと姉がいて、
 
見分けがつかないほど二人は似ている
 
たった一枚の古い写真
 
長い髪のわたしの写真
 
 
 
 
 
 
−−−−−−−−−−−−−−−
 
 
 
 
 
 
そんな自分が嫌だった
 
見た目だけでも区別して欲しい
 
卑小な願いが嫌だった
 
それでも、わたしの気持ちも知らずに、
 
姉はわたしを愛してくれた
 
ときには、盲目的に
 
ときには、悲しいほどの真摯さで
 
 
 
 
 
 
−−−−−−−−−−−−−−−
 
 
 
 
 
 
わたしも姉が好きだった
 
誇りにさえ思っていた
 
それは一面では真実
 
ふたりでいると、全てを忘れた
 
ふたりの世界は快適だった
 
わたしたちを並べて較べるそんな誰かがいなかったから
 
 
よく似てるわね、
 
姉妹なのに似てないのね、
 
そんな言葉も無かったから
 
 
 
 
 
 
−−−−−−−−−−−−−−−
 
 
 
 
 
 
あなたの背中を追ってたつもり
 
ずっと、ついて来たつもり
 
でも、滑稽なほどわたしは愚かで
 
気がつくと迷路に置き去りだった
 
閉ざされた迷宮
 
逆さにされた砂時計
 
全ての砂が下に落ちたら、誰も、再び逆さにしない
 
ゆっくりとした収束
 
静かに転げ落ちるわたしの全て
 
わたしが伸ばしたはずの手はついにあなたに届かずに
 
暗い迷路にわたしはひとり
 
 
 
 
 
−−−−−−−−−−−−−−−
 
 
 
 
 
 
おかしいよ
 
やっと「ひとり」になれたのに
 
わたしはちっとも楽じゃないよ
 
「あなたの妹じゃないわたし」
 
いつか望んだはずなのに、ちっともうれしくなんかない
 
 
 
 
おかしいよ
 
涙がたくさん零れるよ
 
 
 
わたしはわたしになれたはず
 
あなたが鎖を断ち切ったから
 
 
「あなたの妹」という戒めを
 
 
あなたが解いてくれたから
 
 
 
 
 
なのに、どうして?
 
 
 
 
涙が涸れてしまいそうだよ
 
 
 
 
 
 
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わかったんだ
 
 
 
わかったんだよ
 
 
 
『あなたになりたかった』
 
 
 
それは本当の気持ちの半分
 
 
 
あとの半分はね
 
 
 
『あなたの妹』でいたかった...
 
 
 
 
 
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妹でいたかった
 
 
一緒に学校に行きたかった
 
 
一緒に料理を作りたかった
 
 
好きな人の話をして、泣いたり、笑ったり、拗ねたり、からかったり
 
 
そういうことがしたかった
 
 
あなたについていくのではなく
 
 
あなたの隣を歩きたかった
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
−−−−−−−−−−−−−−−
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
叶うはずのない願いは叶い
 
わたしは今もここにいる
 
当たり前の暮らしの中で
 
やっぱり『あなたの妹』のままで
 
 
 
 
でもね
 
 
でも、わかってきたんだよ
 
 
わたしはあなたの妹だから今のわたしでいられることに
 
 
あなたに焦がれて、否定して、自分に絶望して、それも否定して
 
 
でも、大事なことに気づけた
 
 
だから、わたしが歩いたあの迷宮はけして無駄ではなかったんだね
 
 
 
もう、あなたの背中は見ない
 
 
あなたの影に怯えない
 
 
わたしがわたしであることを
 
 
かけがえがないと言ってくれる
 
 
そういう人がたくさんいるから
 
 
 
 
ううん、違うね
 
 
そういう人がいることに、やっとわたしは気づけたから
 
 
 
 
一番近くにいる人がずっとそう言ってくれてたことに
 
 
やっとわたしは気づけたから
 
 
 
 
「香里にそっくりだね」
 
 
そう言われるとうれしい
 
 
「似てない姉妹だね」
 
 
そう言われるのもうれしいよ
 
 
 
 
 
 
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髪を伸ばしてみようかな
 
わたしは最近そう思う
 
隣を歩くあなたを見ると
 
やさしく笑うあなたを見ると
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

【初出】1999/8/23 Key SS掲示板 【修正】1999/8/24
【One Word】
「髪を伸ばしてみようかな」のフレーズが頭に浮かびまして、前日睡眠3時間だったので
とっとと寝たかったのですが、思わず書いてしまいました。
 
HID
1999/8/24

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