心の闇
Hello, darkness
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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 わたしは 上手に 笑えてるかな?
 
 
 
 
 
 
 
 
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 闇の中にゆらりと白い靄のようなものが浮かぶ。
 それは、急速にかたちを変えて、人の子の姿になる。
 私はゆっくりと息を吸う。
 吸った息を体の中心でぴたりと止める。
 体の奥底から波のように光が押し寄せる。
 その波が一番大きくうねる瞬間を過たずに、刀を振るう。
 ごく軽く、けれど、渾身の思いを込めて。
 
 
 “ヒュンッ”
 
 
 耳に聞こえる音ではない。心に直接響く音。
 それを末期に白い靄は消え去る。現世(うつしよ)から永遠に消え去る。
 私は刀身が”それ”を捉える瞬間に堅く目を閉じていた。
 瞼の裏に白い光芒。そして、心に響く音。
 それが全ての終わりの合図。
 
 私は眼を開く。
 そして、私はまたひとつ、笑顔をそこに置き去りにする。
 
 
 
 
 
 
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 わたしは ただしい。
 私は正しいことをしているよね。
 人々に禍いをもたらすもの。迷い彷徨い歩くもの。ここに在るべきではないもの。
 そういったものを斬っているだけ。
 人々のために。ただ、人々の幸せな日常が崩れないように。
 
 
 なのに。
 
 なのに、なぜ―――――
 
 彼らはあんなに悲しそうなの?
 
 
 なのに、なぜ―――――
 あの子たちは私を怖れるの?
 
 
 なのに、なぜ―――――
 私はこんなに苦しいんだろう?
 
 
 
 
 
 
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「薫、ずいぶんと疲れているようですね」
 私をいたわるやさしい声。
「いや、大丈夫」
 私は素っ気なく答える。
 私だけがこんなやさしさに包まれていいわけがない。
 それが、何者であれ、他者に悲しみと怖れをもたらすこと、それが、私の生業であるならば、私だけが、
あたたかい場所にいていいわけがない。
 だから私は、やさしい手さえ拒絶してしまう。
 
 
 真夜中過ぎ、静かに扉を開けて寮に入る。
「お帰り、神咲さん」
 大きな体躯の男の人。 神奈さんの代理の臨時管理人。
 彼が、屈託のない、大きな笑顔で迎えてくれる。
 私の中で何かが震える。
 ずっと昔に閉ざしたはずの、何か。
 ずっと昔に閉ざさざるをえなかった、何か。
 一瞬の沈黙の後、私はその震えが収まるのを待って言う。
「槙原さん、」
「前にも言いましたが、うちの帰りが遅いときには、先に寝てしまって構いませんので」 
私のきつい言葉を受け止めても、まだ曖昧に笑っている、彼。
 彼をそのままに、私は階段を登る。
 少し胸の奥が痛んだ。
 右手に持った『十六夜』が、キンッとひとつ鳴った。
 
 
 
 
 
 
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 うれしい笑顔はあのとき捨てた。
 森の中、泣き続けていた女の子を斬ったとき。
 『お母さん』と呼び続けて、現実を映さない瞳で森を彷徨う、”女の子だったもの”を在るべき場所へと還したときに。
 
 慈愛の笑顔はあのとき捨てた。
 夕暮れ、茜に染まる公園で、遊び続ける幼い兄妹を斬ったとき。
 無邪気な笑顔を私に向けた”兄妹だったもの”を還したときに。
 
 ひとつひとつ笑顔を捨てて、
 けれど、いつまで経っても空にはならない私の心。
 
 いったい、いくつの笑顔を捨てればいい?
 いくつ捨てれば、それは無くなる?
 いつになれば、
 いつになれば、私は、揺れない心を手に入れられる?
 
 どうして笑顔が湧いてくるの?
 私はそれを捨てたいのに。
 私は笑ってはいけないのに。
 
 私の手は、こんなにも汚れているのに。
 こんなにも、みんなの涙で濡れているのに。
 
 
 
 
 
 
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「目を開きなさい....、薫」
 やさしい声が意識を呼び覚ます。
 頬にひやりとした手が触れる。気持ちのいい指の感触。
 その指が私の顔をゆっくりとなぞる。その形を確かめるように、私の涙を拭うように。
「あなたは、また、泣いていたのですね...」
 私はゆっくりと目を開く。
 光を映さない瞳、けれども、やさしい色を湛えた瞳が私に向けられている。
「閉じこめられた笑顔...」
「それが涙に変わって、溢れ出してしまったのですね」静かな声が、そう紡ぐ。
「いや、うちは...」
 泣いてなどいない、そう続けようとして、十六夜の言葉に遮られる。
「薫...」
「目を開くのですよ...」
「目を開いて、すべてのものをしっかりと見つめなさい」
 
 
 
 
 
 
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 そして、また夜の闇の中。
 私は、また、”人であったもの”と対峙する。
 一瞬、ほんの一瞬、目を閉じる。永遠とも思える刹那。視覚以外の感覚をすべて研ぎ澄
ます。どこか遠くで鳥が啼く声がする。
 体の奥底から光が湧き上がる。それは、光の奔流。私の中にある泉から溢れだした、清
らかな光の奔流。
 『十六夜』を上段に構える。刀身が赤い透明な光を纏う。あたたかな光、慈愛の光。
「せいっ」
 気を吐き、刀を突く。
 確かな手応えとともに、いつものように心に響く音を残して、”それ”は、
永遠へと旅立つ。
 
 私は閉じようとする瞼をかろうじて押し止めた。
 目を開けて、その瞬間を見た。
 白い光の瞬き。
 その中に、確かに笑顔が見えた。
 それは、安堵の笑顔。
 戒めから解かれたことへの、感謝の笑顔。
 それは、私が捨て去ろうと努めてきた、大事な表情。
 
 
 
 
 
 
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 深夜というよりも早朝といった方がふさわしいような時間。
 私は静かに寮のドアを開く。
 キッチンの扉が開く音がして、それに重みのある足音が続く。
「おかえり、神咲さん」
 彼が笑って迎えてくれる。
 目の下の隈が、彼がどんな夜を過ごしていたかを教えてくれる。
「すいません、こんな時間に」私は軽く頭を下げる。
 いや、たまたま早く目が覚めただけだから、とはっきりしない声で言った後で、
彼が笑顔で口にする。
「お腹は空いてない?」
「すぐに、みそ汁、温められるけど」
 やさしい表情、私への思いやりが込められた視線。
 さっき感じた私の中の光、それとよく似た波動を伝える彼の視線。
 私を満たしてゆく、あたたかいもの。
「はい、じゃあ、いただきます」
 自然に口をついて出た言葉。自然に綻んだ表情。
 驚いたように彼が私を見つめている。
「何か?」
「あ、いや、あったかいおにぎりもあるけど、どう?」
「はい、それもいただきます」
 表情が大きく綻ぶのが、自分でもわかる。
 
 
 
 
 
 
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 私はもう長い間それに背を向けていたから、だから、こんなときにどういう表情を
すればいいのかわからない。
 柔らかな湯気と幸せな匂いに満たされた食卓。
 体の中のすべての強張りを解いてくれるような雰囲気。
 向かいの席に座って、おだやかな表情で私を見る男の人。
 あたたかいみそ汁。
 あたたかいおにぎり。
 窓の外では、夜の闇が、そろそろ一日の持ち時間を使い果たす頃。
 
「あの」
 私の声に反応して、私の眼を捉える彼の視線。
「じっと見つめられてると、食べにくかとですが」
「ああ、そうだよな、ごめん、ごめん」
 彼が慌てて目を逸らす。
 そして、湯呑みを口に運ぶ。
「熱っ」
 そう言って、慌てて湯呑みをテーブルに戻す。見ると、目尻に涙が浮かんでいる。
 その仕草がおかしくて、子供のような表情がおかしくて、なんだか幸せで、
私の口元はまた綻んでしまう。
「あっ」彼がまた私を見つめる。
 彼の瞳に喜びの色が見える。
 私はそれがうれしかった。
 私の表情が、彼に喜びを与えているということが、ただうれしかった。
 だから、もう長い間つくっていなかった表情をつくる。
 その表情をつくろうと努める。
 その表情を見て、彼の表情もゆっくりと変わる。
 眩しいものを見るように、彼が目を細める。
「耕介さん」
「はいっ?」
 突然、名前を呼ばれて驚いたような彼の返事。
「とても、とても、美味しかですよ」
 彼が大きく笑う。
「そうか、よかった」
「もっと食べる?」
「はいっ」
 
 私も大きく笑う。
 
 
 大きく笑ったつもり。
 
 
 きっと大きく笑えたと思う。
 
 
 
 いつしか、夜の闇は朝の透明な光に取って代わられていて、リビングの窓から注ぐ やわらかな光が、部屋の中を満たしていた。
 
 
 
 
 
 
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 私の闇。
 私の心の闇。
 おそらく、けして消え去ることのない闇。
 
 けれど、闇を照らす光は必ずあるから。
 それは、確かにここにあるから。
 行きつく先は見えないけれど、私は光とともにありたいと思う。
 
 
 私の業(ごう)が罪ならば、その罰は、私が負おう。
 私の業(わざ)が誰かを傷つけるのなら、その痛みは、私が受けよう。
 けれど、もう笑顔は捨てない。
 心に浮かぶ笑顔を消さない。
 それを絶やすことの無いように、私はしっかり歩いていきたい。
 
 
 光があるから、闇は生じるし、闇があるなら、光は射すから。
 そして、本当の闇を知るものは、本当の光をも見つけられるはずだから。
 
 だから私は歩いてゆこう。
 顔を上げて、光を見つめて。
 いつか、自然な笑顔をあなたに見せることができるように。
 いつか、自然な笑顔であなたと笑いあえるように。
 
 もしかしたら、そんなところに、
そんな小さなところにこそ、本当の光はあるのかもしれない。
 そういう風に私は思う。
 
 
 
 
 
 
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「神咲さん」
 
「はい?」
 
「神咲さんってさ、」
 
「かわいい顔で笑うんだね」
 
 
 朝の真新しい光に満たされた食卓で、彼がそう言ってくれた。
 
 
 
 
 
 
 
 
(They step into the Light, slowly.)
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【初出】Ivory SS掲示板 1999/9/9 【改稿】1999/12/12
【One Word】
初の「とらいあんぐるハート2」SSです。
薫です。好きです。もっといろいろ書きたいですね、薫SS。
HID (1999/9/10)
 
【改稿にあたって】
自分の文のスタイルが変わっているんですね。良いことかどうかわかりませんが、一部に手を加えました。
わたしの薫のイメージは、やはり変わっていませんので、内容自体には変化はないと思います。
HID(1999/12/11)
 
 
 
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