“Starting over”という話の意味  〜あとがきにかえて〜

 
 
 
“Starting over”を書き終えて一週間が経った。これを書きながらずっと抱いていた疑問「どうして自分はこんなに香里に、 美坂姉妹にこだわるのか?」
 その答えが見えてきた気がする。
 香里の弱さ、悲しさ、つらさがわかるから。
 どうして?
 たぶん、それは、自分の中にあるものと同じだから。
 
 もう何年も前になるが、僕は父を亡くした。
 1年間の闘病生活。
 まだ治る可能性があるうちは良かった。1月に始まった彼の闘病生活は、夏を越えて秋を迎える頃には絶望的なものに変わっていった。
 僕はとっくに実家を出ていたから、彼の病状は主に電話で母から聞くことになった。
 電話に出るのが嫌だった。夜中とか朝方に電話が鳴ると逃げ出したいような気分になった。
 それでも時間を見つけては、母に電話した。それぐらいしか出来ることがなかったから。 そうすることで、自分が何もできないということを否定したかったから。
 
 だから、栞の存在を否定するしかなかった香里の弱さがよくわかる。
 その苦しさや無力感がよくわかる。
 
 
 機会を見て有休をとっては、飛行機で実家に帰り、病院に行った。
 病室にいても何もすることはなかった。
 父は声帯を取ってしまっていたから、話もできなかった。
 その上、痛み止めで朦朧としていた。
 いつ来るのかわからない終わり。
 それに向かって行くだけだった。
 とてもじゃないが『奇跡』なんて言葉を思い浮かべることなど出来なかった。
 それでも不思議なのは、その看病の間に父と話をしたような気がすることだ。
 とても不思議な話を聞いた、痛み止めの見せる幻覚のような話。
 
 今、思い出してみると、父の声を聴いたような気がする。
 もちろん、そんなことは錯覚なんだけど。
 
 12月31日、闘病生活を翌年に持ち越すまいとするように父は亡くなった。
 ちょうど僕が晩飯を食べに家に帰っている間。自分でそうなることがわかっていた気がする。わかっていて家に帰った気がする。
 最後の場面にいたくなかったから、最後の場面に泣く母を見たくなかったから。
 自分がそのとき何をすればいいのかわからなかったから。
 
 車を運転して病院に行く間、特に考えも浮かばなかった。
 悲しみもなかった、泣きもしなかった。
 
 母の泣き顔を見て、叔母たちの泣き顔を見て、父の顔を確認してから、病院の入り口に置いたままにしていた車を駐車場に移すときに少しだけ泣いた。それは悲しいというよりは、彼の報われなかった闘病生活がくやしかったからだと思う。
 
 葬式でも、通夜でも泣きはしなかった。
 それどころじゃないくらい忙しかったから、とても疲れていたから。
 
 今思えば、そのとき泣いていた方が良かったんだと思う。
 そうすれば、今も自分の中に残る乾いたかなしみが少しは減っていたのかな、とも思う。
 本当のところはどうなのかは、一生わからないけれど。
 
“Starting over”の中で、一度も使っていない言葉がある。その周辺を行き来しながら、それに直面しながら、半ば意識的に、半ば無意識的に、自分が「死」という言葉を避けてるのに気づいて、苦笑してしまう。
 
 だから、たとえお話の中でも、香里があんな扱いを受けるのが我慢できなかった。
 栞シナリオで、主人公に「あの子なんのために生まれてきたの?」と訊くのも嫌だった。この子はこんな子じゃないはずだと思った。
 そんな答えは自分で見つけることが出来る子だと思った。
 根拠はなんだろう?根拠なんかないのかもしれない。
 ただ、そうあってほしかっただけかもしれない。
 きっかけさえ掴めば、正しいことを見つけられる、そう思いたかった。
 なにより、後悔と悲しみしかない世界に誰かが墜ちていくのかと思うと我慢できなかった。たとえ、それがゲームの中のことだとしても。 
 たぶん自分自身を救いたかったのだと今は思う。
 香里に思いを託したかったのだと思う。
 確かに現実には願いや思いはあまりに無力で、『奇跡』など望むべくもない。
 それでも、変にリアリストのふりをして生きてゆくよりは、人の思いが持つ力を信じていきたい。信じていないと生きていて楽しくないと思う。
 それを信じていくために、せめて話の中だけでも、思いが、願いが、かなうのを見たかったのだと思う。
 
 父が亡くなってからの何年かの間に、なんども繰り返し浮かんできた疑問。
「なぜ、あれほどの苦しみに耐えた彼の思いが報われなかったのか」
「なぜ、あれほど献身的な看病をしていた母の思いが報われなかったのか」
 それに答えは見つからないけれど、それでも、それが無駄なことではないと信じたかったのだと思う。(生き残ることだけが報いではないと言う人もいるかもしれないが、それはまた別の話だ)
 
 たぶん、それを信じていくためにこの話を書いたのだと思う。
 いや、信じていくためにと言うと大げさかな、
『自分の考えがそういう方向に向くために』というほうが、より正確かもしれない。
 
 結局のところ、この話は香里のためのものであり、栞のためのものであり、何より自分自身のために書かれたものだ。
 
 そんな話のために時間を割いて読んでもらって、その上に感想まで書いてくれた人々には 本当に感謝している。
 この物語を何とか最後まで書くことができたのは、間違いなく、そういった人々のおかげだと思う。
 だからみなさんに、このSSを、そしてつまらないこのあとがきを読んでくれたみなさんに本当に心からお礼を言いたいと思う。
 
「ありがとう」
 
 
 
 この物語を書いている間に流れていたThe Sting、The Corrs、タイトルの元になった曲を作ったJohn Lennon、
『Kanon』という素晴らしい世界を提示してくれたスタッフの方々、そして、この物語を読んでいただいた方に再度の感謝を捧げつつ。
 
  HID
(1999/7/18)
 
 
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