Swingin' Days
Lover's step

 
 
みんな、笑った
 
 
 
 
 
 
雨。
 
雨が降っている。
 
木々を静かに濡らして、
家々を静かに染めて、
空間を埋めるように、
細い糸のようなその粒で空間を埋めるようにして、
 
静かに雨が降っている。
 
少しだけ開けた窓から雨の匂いがする。
騒ぐ心を鎮めるような、
懐かしい記憶を喚び起こすような、
そんな匂い。
 
どこかで嗅いだことのある匂い。
 
私は頬杖をついて窓の外を見ている。
教室の中は緊張と静寂。
 
シャープペンシルの芯が机に触れる音と、
紙擦れの音だけが静かに響いてくる。
 
この学校で受ける試験も残りわずか。
 
この中間試験が終われば、あと一回を残すだけ。
 
 
 
−−−−−−−−−−−−−−−−
 
 
「よし、やめ、解答用紙を後ろから前に回して」
 
チャイムの音の終りと重なるようにして、担任が言う。
その言葉とともに中間試験が終わりを迎える。
安堵とも後悔ともつかないため息が教室のあちこちから漏れる。
簡単なホームルームが終わって、ようやく教室の中に日常の騒がしさが戻ってくる。
 
 
「美坂、帰りに職員室に寄ってくれ」
その言葉を残して担任は教室から出ていった。
 
 
 
「香里、何かしたの〜?」
相変わらず緊張感の無い声で名雪が訊いてくる。
残りのふたり、潤と相沢君も、私に注目している。
 
「さあ?心当たりはないわね」
私はそう答える。
 
「それより、」
斜め後ろを振り返って言う。
 
「今日は早く帰って寝てね、潤」
 
ああ、と答える彼の顔はかなり疲れた表情を浮かべていた。
試験期間中、ほとんど寝てないって言ってたから。
眼の下にできたくまがそれを証明していた。
 
だから、私は心配だった。
 
 
「北川、愛されてるな」
 
そう言って、相沢君が潤と私の顔を見較べる様にする。
私は、頬が紅くなるのを感じて、それをごまかすように言う。
 
 
「じゃあ、またね」
鞄を持って席を立つ。
 
 
おい、水瀬、と言う小さな声が聞こえた気がしたけど、
気にせずに教室の出口に向かって歩き出す。
 
 
「あ、香里、待って、待って」
名雪が追いかけてくる。
そして、私の前に左の手のひらを差し出す。
 
どう反応していいのか私が戸惑ってると、
名雪が私の右手を掴んで自分の手に重ねさせる。
 
「なんなの?名雪」
「えっと、香里の手、綺麗だな〜と思って」
 
それで、あわてて追いかけてきたの?
ごめんね、いきなり〜と言って、自分の席に戻る名雪を見つめる。
 
一体なんだろう?
そう思いつつ職員室に向かう。
潤と相沢君が手を顔に当てて俯いてるのが、視界の片隅に入った。
 
 
 
−−−−−−−−−−−−−−−−
 
 
 
細かい雨が静かに降っていた。
頭の中に薄いヴェールがかかっているような感じ。
 
油断すると意識が眠りの淵に引込まれてしまいそうな、
でも、妙に意識が高揚しているような、奇妙な感覚。
 
 
「名雪、お前、あれじゃあバレバレだろ?」
「う、だって、祐一と北川君が急かすから..」
「美坂のやつ、勘が鋭いからな、気づかれたかもな」
 
 
三つ並んだ傘、
商店街に向かう俺たち。
聞くともなしにふたりの会話を聞きながら、俺は思う。
 
 
”他人のことにはよく気がつくんだけどな、自分のことになると、途端に鈍くなるんだよな、香里は。”
 
「おい、北川、なに、にやにやしてるんだよ」
 
相沢の声で現実に引き戻される。
 
 
 
−−−−−−−−−−−−−−−−
 
 
 
居間でなんとなく雑誌を広げていた。
文字を目で追うけど、内容が頭に入ってこない。
 
妙に時計の音が耳につく。
静かな時間。
昼と夕方との境目の時間。
 
母さんと父さんは仕事。
栞は部活があるらしい。
家には私一人。
 
何をやっても中途半端な感じ。
そのことに入っていけない感じ。
試験の疲れ、
きっとそれもあるけど、
でも、もっと大きな理由は、ひとつ気にかかることがあるから。
 
 
カレンダーに眼を移す。
18回目の私の誕生日、
その日まであと二日。
 
 
何か期待してもいいのかな?
まだ、何の約束もしてないけど。
試験期間だったから言い出せなかったけど。
 
 
潤は何か考えてくれてるのかな?
 
 
 
そうか、気にかかることがもうひとつ。
今日の担任の話。
 
 
その返事の期限まで、あと一週間。
 
 
 
−−−−−−−−−−−−−−−−
 
 
風呂上がり、バスタオルで髪を拭きながら廊下に出ると、電話のベルが鳴った。
 
「はい、美坂ですけど」
「あ、北川といいますが...」
 
ちょっと緊張した彼の声。
その声と丁寧な口調がすこし面白い。
 
私と母さんと栞、電話で聞くと声がとてもよく似ているらしい。
一度、母さんと私を間違えてから、彼は丁寧に話すようになった。
相手が誰か確認するまでは。
 
「香里よ、潤」
「おっ、香里か」
彼の声の様子ががらりと変る。
こういう所もなんだかうれしい。
 
こころを許してる、そんな感じがするから。
 
 
「香里、栞ちゃんいるか?」
 
私に用じゃないの?明後日のことだと思ったのに。
 
「ええ、いるわよ」
 
「代わってくれるか」
 
私には何も用が無いの?
 
「わかったわ」
 
私は階段の下から栞を呼ぶ。
 
はーい、二階でとるねえ、と大きな声。
 
電話の受話器を親機に戻す。
 
 
なんとなくその場に立ちつくしてしまう。
 
 
 
 
 
トントントンと、階段を降りる音。
 
「あれ、どうしたのお姉ちゃん?」
 
栞の怪訝そうな声。
 
「電話終わったの?栞」
「うん、終わったよ、わたしお風呂入るね」
 
そう言って、なにかメロディーを口ずさみながら、バスルームの扉を開ける。
 
 
あれ、
 
潤は私に用事じゃなかったのか。
 
 
あれ、
 
おかしいな。
 
 
 
なんで、
 
こんなことで、
 
 
 
なんで、
 
こんなつまらないことで涙が出そうになるんだろう、
 
 
 
 
 
私は。
 
 
 
−−−−−−−−−−−−−−−−
 
 
 
「おい、北川、見つかったのはいいけど、天気は大丈夫なのか?明日」
電車の中、ふたりして、大きな紙袋を提げて、
片手には雨に濡れた傘を持って。
 
「俺に聞かれても、わかるわけないだろ」
「お前、本当に普段の行いがわるいみたいだな」
「なんでだ?」
「おっ、忘れたのか、あの台風の日を」
 
面白そうに相沢が言う。
 
忘れるわけがない。
俺たちのきっかけ。
そして、こいつ、相沢が俺の友達でいてくれることに感謝したあの日のことを。
 
「ま、いいけどな、それぐらい間抜けな方がお前らしいしな」
黙ってる俺を見て、相沢が言う。
「お前、間抜けはないだろ」
俺の抗議を笑顔で受け流す。
 
 
 
「で、明日は美坂の家に行けばいいんだな」
中間試験明けの休みの日。
昨日からの雨が降り続ける秋の半ば。
「ああ、頼むよ」
朝から、相沢とふたりである物を探し回った。
三つ先のターミナル駅の商店街でそれは見つかった。
季節はずれの、でも、どうしても手に入れたかったもの。
「水瀬と、あゆちゃんは来れるのか?」
「いや、あゆは明日は仕事だ」
「そうか」
「ああ」
 
 
自分達の街の駅の前、降っているのかいないのかわからないくらいの静かな雨。
「じゃあな、北川」
「おお、また明日な」
相沢がそう言って帰りかけて、
ふと、立ち止まって振り返る。
 
 
「なあ、本当にいいのか?」
「何が?」
俺は問い返す。
「はじめての誕生日じゃないのか?」
「俺たちに気つかってるなら...」
相沢の言葉を遮って俺は言う。
「ばか、気なんかつかうか、みんなのほうが楽しそうだからだよ。」
きっと、香里も喜ぶだろうしな。
 
 
俺の言葉を無言で受け止める、相沢。
少しの沈黙のあとで、
「そうか、ならいいんだけどな」
「ああ」
そう言って、その場を去る。
相沢の黒い傘が消えるのを何となく見送る。
 
 
まったく、どうして、俺の周りには、気を使うやつが多いんだろうな。
どうして、こう、やさしいやつが多いんだろうな。
 
 
 
まったく、うれしいことだよな。
 
 
 
−−−−−−−−−−−−−−−−
 
 
 
「お姉ちゃん、もう時間だよ」
栞の呼ぶ声。
中間試験明けの休みの日。
めずらしく家族みんなが揃った。
 
「うん、わかってる」
久しぶりにみんなで夕食を食べに行くことになった。
何となく時間を過ごしているうちに夕方が来た。
 
彼からの連絡はなかった。
ちゃんと、話しておけばよかった。
こんなに気にかかるとは思ってなかったから。
きっと、彼の方から何か言ってくれると思っていたから。
 
「香里、もう出かけるわよ」
母さんの声。
「うん、わかってる」
私はゆっくりと立ち上がって部屋のドアに手をかける。
 
 
なんだか、自分がどんどん弱くなってる気がする。
どんどん、彼の存在が大きくなってる、そんな気がする。
 
私の中で。
 
 
 
−−−−−−−−−−−−−−−−
 
 
 
トゥルルルル....。
電話の発信音が鳴り続ける。
 
おかしいな、この時間で誰も出ないのか。
時計は今日の終わりまであと2時間あまりの時間を示して。
 
トゥルルルル....。
発信音は鳴り続ける。
 
 
まあ、栞ちゃんにも言ってあるしな。
明日、予備校で会うだろうし。
その時に話せばいいか。
 
そんなことを考えながら、受話器を置く。
 
さすがに眠かった。
試験期間の睡眠不足が今になって効いてきている。
 
俺は、部屋に戻ってベッドに倒れ込んだ。
 
あいつの夢でも見れればいいがな...。
 
そんなことを頭の片隅で考えながら。
 
 
 
−−−−−−−−−−−−−−−−
 
 
 
ゆっくりと意識が戻ってくる。
緩慢な覚醒。
眼を開けると部屋の中は薄暗い。
 
ふと、時計を見る。
 
んっ?
 
違和感。
 
ようやく戻ってきた意識が違和感を訴える。
ガバッと起きて時計を手に取る。
 
時計は一時十分前を示している。
 
待ち合わせの時間、
十時。
 
あいつの取っている講義の始まる時間、
午後の一時。
 
講義が始まってしまうと、夕方まで話せない。
 
 
カレンダーを見る。
今日の日付には青いペンで丸がつけられていた。
 
 
 
−−−−−−−−−−−−−−−−
 
 
 
だめだ。
全然、講義が頭に入らない。
 
頭の中にはたくさんの疑問符が渦巻いている。
 
”どうして、彼は来ないの?”
”どうして、なんの連絡もないの?”
”どうして、電話しても誰も出ないの?”
 
”潤は私の誕生日を忘れてるの?”
 
いやになるくらい、そのことから思考が離れてくれない、
何とか講義に耳を傾けても、すぐに、そこに引き戻される。
 
 
たいしたことじゃないよ、といくら言い聞かせても、聞いてくれない。
 
 
私は前からこんなだったかな?
こんなに、私は弱かったかな?
 
 
こんなに、潤のことを好きだったかな?
 
 
講義が耳に入らない。
 
 
窓の外に降る雨の音も、
声をひそめてささやかれる会話も、
教室に響く時計の音も、
 
すべてが自分とは関係ないような、
そんな感じ。
 
ひとりきりで別の世界に取り残されてしまったような、
そんな感じ。
 
 
 
−−−−−−−−−−−−−−−−
 
 
 
どうして俺はこうなんだろうな、
そんなことを考えながら、予備校への道を急ぐ。
 
傘に当たる雨の音が耳にうるさい。
薄暗く、少し湿気の多い午後、
秋らしくない湿度の高い午後。
 
あいつの誕生日、
俺たちがつき合いだしてから初めてのあいつの誕生日。
 
あいつを驚かせようと思って準備をしたつもりだった。
でも、肝心なことを忘れていた。
 
”え、お姉ちゃんには何も言ってないですよ”
”だって、それは北川さんが伝えることだと思いますよ”
 
ついさっきの栞ちゃんの言葉。
それは、そうだよな、
俺が言わなければいけないことだ。
 
いや、今日言うつもりだったことだ。
 
 
なのに、ろくでもない俺は、
ろくでもない、寝坊をして、
こうやって、今、予備校への道を急いでいる。
 
こんなんじゃ、いつ愛想つかされてもおかしくないよな、
そんな自嘲の言葉を何度も繰り返しながら。
 
 
 
 
予備校に着いたとき、ちょうど講義の終わりの時間のようだった。
出入り口は、様々な色の傘で埋められていた。
 
俺は、その傘の流れに逆らうように予備校の建物の中に入る。
 
掲示板で、今日、あいつがとっている講義の教室を調べる。
2階だ。
階段を急ぎ足で上る。
あいつの顔を早く見たいような、
あいつの顔を見るのがすこし怖いような、そんな相反する感情。
 
 
2階の廊下は、もう人影が少なくなっていた。
講義が終わってから、そろそろ十五分ぐらいが経つ。
あいつは、ここにいるだろうか。
俺のことを待っていてくれるだろうか。
 
それとも、もう、愛想を尽かせて帰ってしまっているだろうか。
 
 
 
−−−−−−−−−−−−−−−−
 
 
 
結局、ほんのひとつの言葉も私の中にとどかないまま、
講義の時間は終わってしまった。
 
 
私は、また、何かを選ばなければならない。
 
 
彼に電話すること、
そのまま、家に帰ってしまうこと。
 
 
選択をするのが怖かった。
 
 
私にとって、大事な日。
ううん、ふたりになったからこそ、大事だと思っていた日。
 
 
それを、簡単に否定されてしまいそうで、怖かった。
 
電話をして、こう言われる。
”そういえば、そうだったな、わるい、忘れてたよ”
家に帰って、こう言われる。
”お姉ちゃん、北川さんから電話あったよ、今日都合がわるくなっちゃったって”
 
 
どちらの答えも、私の思いとは釣り合わない。
私だけが、勝手に考えていたのだろうか?
この日が大事だと勝手に思いこんでいたのだろうか?
 
 
だめだね、
思考が同じ場所をぐるぐると回るだけだ。
全然、前に進めない。
 
前に進みたいとも思えない。
 
 
席に座って、ぼんやりとしている。
教室の中の人影は消えて、
雨だけが降り続いている。
 
世界の終わりのように。
きっと、世界が終わるんだとしたら、こんな雨が降るんだろう。
 
そんな不思議な説得力を持って、
雨が降り続いている。
 
根気よく、
世界のすべてを自分達の色に染めてしまおうとするかのように。
 
 
 
 
 
立ち上がる気力もわかないまま、
呆然と席に座って、窓の外を見ていた。
 
 
「香里」
 
 
夢で聞いたような声がした。
 
ゆっくりと振り向くと、
潤が居心地わるそうな顔で立っていた。
 
「ごめん、今日、寝坊しちまった」
 
机三列分くらいの距離。
これが、今の私たちの距離なのだろうか?
 
 
「ごめん、お前の誕生日なのにな」
「お前を喜ばそうと思ってたのにな」
 
 
あれ、
こころが潤う感じがする。
 
乾いていた大地に雨が染み込むように、
たったひとつの彼の言葉が私に力をくれる。
 
 
「ごめん、昨日も電話したんだけどな」
 
 
よかった、
よかったよ、
やっぱり、今日は 大事な日だったんだね。
 
私にとって、
あなたにとって。
 
 
「ごめん、呆れてるよな?」
 
 
そう言って、立ちつくしたままの潤。
 
私はやっと、ここから立ち上がれる。
 
ゆっくりと席を立つ。
ねえ、おかしいよね。
こんなつまらないことで、泣いてるなんて、
つらいときには、我慢できたのに、
かなしいときにも、我慢できたのに。
 
こんな、簡単なことで涙がこぼれるなんて。
 
 
なんて、おかしいんだろうね。
 
 
私は彼の前に立つ。
彼は、涙に気づいて、動揺している。
 
 
「潤、来てくれないかと思った」
「私の誕生日なんて、どうでもいいのかと思ってた」
「泣いてしまいそうだった」
「すごく不安だった」
 
 
彼がゆっくりと右手を伸ばす。
私の頬に触れたその手の平はあたたかく、
そして、やさしかった。
指で、涙を拭ってくれる。
 
 
「香里、ごめん」
「いつも要領わるくて、」
「いつもお前を不安がらせて、」
 
「でも、」
「でも、俺には香里が大事だよ」
「だから、香里の誕生日を、」
「俺が忘れるはずないよ」
 
 
彼の左手が私の背中に回る。
ゆっくりと引き寄せられる。
 
 
「ごめんな、香里」
 
 
私は目を閉じる。
 
 
柔らかい感触、
あたたかい感触、
はじめて、唇で感じる彼の感触。
 
ほんの少し唇が触れた、
そのとき、
ゴチッと鈍い音。
額に痛みを感じる。
 
 
眼を開ける。
彼が、涙目になって、額を押さえてる。
 
 
「痛いよ、潤」
 
 
私も額を押さえて言う。
 
そして、ふたりで顔を見合わせて笑う。
 
今までの、不安やためらいを、全部吹き飛ばしてしまうように、
ふたりで、声を出して笑う。
 
 
 
「わるい、俺、こういうの慣れてないからさ」
「ばか、」
「私だって慣れてないわよ」
 
 
 
私はもう一度、眼を閉じよう。
 
今度は、ぶつかったりしないように、
 
ゆっくりと、ゆっくりと、
 
ゆっくりと近づいてね。
 
私は逃げたりしないからね。
 
 
 
 
静かだった。
雨の音だけが、世界をやさしく満たしていた。
 
 
 
−−−−−−−−−−−−−−−−
 
 
 
家に帰ると、
みんながクラッカーで迎えてくれた。
 
「おめでとう、お姉ちゃん」
「おめでとうございます」
栞と藤井君。
 
「おめでと〜、香里」
「おめでとう、美坂」
名雪と相沢君。
 
 
リビングのテーブルには、ケーキとたくさんの料理が並んで、
美味しそうな湯気をたてている。
 
みんなが祝ってくれる誕生日。
 
もう、けして手に入らないとさえ思えた、
平凡だけど、でも、とても貴重な幸せ。
 
ささやかだからこそ、たいせつなもの。
 
 
 
−−−−−−−−−−−−−−−−
 
 
 
「しかし、北川の行いも相当悪いよな」
相沢君がそんなことを言う。
 
「どうして?」
私は問いかける。
 
相沢君が無言で部屋の隅を示す。
部屋の隅には大きな紙袋がふたつ。
紙袋からは、たくさんの花火が覗いている。
 
 
「いや、夏に花火で驚かされたからな、」
「どうしても、お返しがしたかったんだ」
潤が言う。
 
 
みんなで笑う。
栞と名雪が準備してくれた料理を食べながら。
 
 
潤が、相沢君や名雪に問いつめられて、
仕方なさそうに今日の私たちのすれ違いを説明している。
栞と藤井君は面白そうに聞いている。
 
 
「ほんっとにお前らって、格好つかないっていうか、要領わるいっていうか、」
潤の説明を聞いて相沢君が口を開く。
 
私は笑顔で彼の言葉の続きを待つ。
 
「ま、いいか、十分幸せそうだからな」
相沢君が笑顔で言う。
 
「そうですよね、なんだか、とっても幸せそうなんですよ、最近のお姉ちゃん」
「わたしが見ても、女の子っぽく見えるくらいですよ」
栞がそんなことを言う。
 
「わ、栞ちゃん、さり気なくひどいこと言ってるよ〜」
うれしそうに名雪が言う。
 
 
 
今日は、私は聞いてるわね。
みんなの話を聞いている。
みんなの笑顔に囲まれて、こうしているだけで幸せだから。
 
 
右手の薬指、
新しくはめた、銀の指輪。
それが、すこし重くて、うれしいから。
 
みんなの笑顔を見ているね。
 
 
 
 
「わ、香里、似合ってるよ〜、その指輪」
「そう、ありがとう」
 
「なあ、あの時ばれなかったか?」
潤が私に問いかける。
「あのとき?」
「ほら、試験の最後の日に水瀬が...」
 
言われてはじめて思い当たった。
あからさまにあやしかった名雪の行動の意味。
 
「えへへ、やっぱりばれてた?」
「ううん、全然」
 
「Love is Blindってやつだな」
 
相沢君がうれしそうに言う。
 
今日はホントにいつもと違う。
私はうまく返せない。
 
 
でも、こういうのもいいよね。
みんながここで笑ってくれるから。
 
 
みんなにからかわれて、
ひやかされて、
でも、みんなが祝ってくれるから。
 
こういうのもいいなって思えるよ。
 
 
 
 
隣に座ってる潤を見る。
視線に気づいて、私を見る。
そっと、右手を彼の左手に重ねる。
テーブルの下、みんなに気づかれないように。
 
 
そして、小さな声で言う。
 
 
 
 
 
「ありがとう、潤」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
−−−−−−−−−−−−−−−−
【初出】1999/08/14 Key SS掲示板




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