“Swingin' Days” - Friends stage -

colorful world


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 私は机に向かったまま外を見ていた。
 驟雨、そんな言葉にふさわしい雨。
 さっきまで晴れていた空が、突然雲に覆われて、そして、降り出す激しい雨。
 
 夏休みに入って最初の土曜日。
 補習も予備校もない自由な日。
 
 机の上に開かれた参考書はさっきから使われないままで、私は降りだした雨を見ながら、自分の心の糸をたどっていた。
 雨が喚び起こす、いろんなことがただ心に浮かんでは、過ぎていった。
 雨の日の教室で彼がかけてくれた言葉。
『雨は、いつか必ず止むからな』
 土砂降りの中で見た彼の笑顔。 嵐の中で彼を見つけたときの気持ち。
 彼を受け止めたときに感じた重さ。彼の存在の証明。
 その後の自分を思い出すと今でも居心地が悪い。
 どうしてだろう、涙を止めることもできずに、なりふり構わずに名雪の家に電話していた。
 彼を早く家に運ばないと、そのままいなくなってしまうんじゃないかと思った。
 ひとつの文句も言わずに、ずぶ濡れになりながら来てくれた二人、名雪と相沢君。
 タクシーさえ走っていなくて、彼をおぶって運んでくれた相沢君。
 本当に、言葉にならないくらい感謝している。
 
 ―――涙、止まらなかった涙。
 その理由。
 わかっているわ、いくら私でも。
 彼の存在が、気づかないうちにそれだけ大きくなっていた、そういうこと。




 
 
 次第に道路を叩く雨音の間隔が長くなって、やがて、空は光を取り戻す。
 ひとときもそこに留まらない雲の動き。
 雲の切れ間から射し込む夏の光。
 
 
「お姉ちゃんっ、お姉ちゃん」
 風が通るようにと開け放した扉の向こうから聞こえる声。
 私は声の方向に向き直りながら言う。
「どうしたの?栞」
 勢い良く部屋に入ってくる栞。
 紺色のヘンリーネックのTシャツにカーキ色のショート丈のカーゴパンツ。
 腕や脚がうすく日焼けしていることが、栞が健康であることの証明のようでうれしい。
「見て、見て、お姉ちゃん、あそこ」
 椅子に座る私の隣に立って、窓の外を指し示す。
 そこには、大きな虹が、かかっていた。
 久しぶりに、本当に久しぶりに虹を見たような気がする。  
「綺麗だよねー」
「綺麗ねえ」
 虹に見とれる栞の横顔。
 長い睫毛、少し青色の混じった黒い瞳。
 私と同じ色の瞳。
「赤、燈、黄、緑、青、藍、紫」
 歌うように言う、栞。
 
 私たちは消えてしまうまで、虹を見ていた。
 
「お姉ちゃん、勉強してたの?」
 机の上に広がる参考書に視線を落として栞が言う。
「ううん、広げてただけよ、ボーっとしてたわ」
「考え事?」
「ううん、本当にただ、ボーっとしてただけ」
「北川さんのこと考えてた?」
 いつものからかうような口調ではなく、少し真剣な口調。
 だから、私も真剣に答える。
「そうね、北川君のことも考えてたわね」
 そうかーと言って、少し考えこむ栞。
 ベッドに座って、まだなにか考えこんでいる。
 それは、これから言うことを整理しているような感じ。
 だから、私はただ黙って、栞の言葉を待つ。
 
「お姉ちゃん」
 栞が話を始める。
 私は栞の方を向いて、話を聞く準備ができたことを示す。
「この前はごめんね」
「あの台風の日、北川さんとの待ち合わせの日」
「わたしのせいで、遅れたんだよね」
 口を挟もうとした私の言葉を遮るように、栞が続ける。
「お姉ちゃんが、わたしのことを心配してくれるのはうれしい」
「でも、そのために何かを引き替えにしてるなら、それはいやだよ」
 ベッドに座って、少し日焼けした脚の上に手を置いて、その手を見つめながら話す妹。
「わたしは、お姉ちゃんにたくさんのものをもらったよ」
「これからだって、もっともっといろんなものをもらうと思うよ」
「でも、そのためにお姉ちゃんが大事なものを失くしちゃったら、わたしは悲しいよ。」
 
 言葉を探しているような間が、また訪れて。
 
「お姉ちゃん、もう自分を責めないで」
「もう、お姉ちゃんはわたしのお姉ちゃんに戻ってくれたんだから」
「たぶん、わたしにも時間はたくさんあると思うから」
「だから、もっと、自分のことを大事にしてほしいよ」
 口元だけで微笑むその表情には、少し前までのはかなさや迷いは消えて姉の私でさえ眩しく感じるような、生命感に溢れる輝きがある。
「栞」
「ごめんね、心配かけたね」
「きっと、お姉ちゃんはあせってたんだね」
「何かを取り戻そうとして、やっぱり不安で」
 私が栞の瞳に映っている。
「自分のしたことがどうしても許せなくて」
「だから、早く栞に許してほしくて」
「だから、お姉ちゃんはあせってたんだね」
 
「うん」
「きっと、もうあせらなくてもいいと思うよ」
「だって、わたしはとっくに許してたよ」
「最初からお姉ちゃんを責めていないよ」
「わたしと同じ弱さだから、責める事なんて出来なかったよ」
 
 そう、あの思いを、あのつらさを、あのかなしみを言葉にして語ることができるのならば、きっと、それは、傷が癒されつつあることの証明。
 
「ありがとう、栞」
 ありがとうなんて要らないよ、と笑って。
「久しぶりに聞いた気がするね、お姉ちゃんが、自分のこと“お姉ちゃん”って言うの」
 そういえば、子供の頃にはずっとそう言ってた気がする。
 そういえば、ずいぶん久しぶりにその一人称を使った気がする。
「なんか、うれしくなるね」
 大きな笑顔。
 栞の笑顔。
 
 
「だから、心配しないで北川さんと恋に励んでね」
 いたずらがうまくいったときの子供のような笑顔でそう言って、栞は自分の部屋に戻った。















 俺は机に向かったまま、外を見ていた。さっきまでの晴天が嘘のように激しい雨が降っていた。
 季節が夏であることを証明するような夕立。  
 椅子に座ったまま大きく伸びをする。
 
 最近の俺は自分でも変わったと思う。
 家にいる時に、机に向かっている時間が増えた。
 今のようにボーっとしていることも多いが、それでも、勉強時間は以前の比ではないだろう。  
 そんな俺を見て、両親は驚いた。
 それは、そうだろうな、本人が一番驚いているんだから。
 
 少し前の美坂との会話が甦る。
「美坂は東京の大学に行くのか?」
 夏休みに入ってすぐの図書館、 まわりには俺たちと同じように参考書や問題集を広げた高校生が多い。
 英語の問題集に落としていた視線をあげて、美坂が俺を見て言う。
「ううん、私は家から通える大学を受けるわ」
 その言葉に続けて美坂が口にした大学名には俺も聞き覚えがあった。
 私立のそれ程大きくない大学、けれど、評判のいい大学だった。  
「美坂なら、国立とか、もっとレベルが上の大学も狙えるんじゃないのか?」
「そうね、先生にも言われたわ、それ、“もったいない”って」
「でもね、私はいいの、もう少しこの街にいたいから」
 言葉の続きを待つ俺をちょっと見る。
 長い睫毛、少し青みがかった黒い瞳。
 そして、ためらいを振り切るように言葉を続ける。
「あの出来事の前だったら、たぶん、こんな気持ちにはなれなかったと思う」
「私はここから逃げ出すことばかり考えていたから・・・・・・」
「……ここには思い出が多すぎるの」
「商店街にも、一本一本の路地にも、小さな公園にも」
「私と栞の影がたくさん残っているの・・・・・・」
 
 もう一度言葉を切る。
 俺は黙って続きを待つ。
 
「あの頃はその記憶から逃げ出したかったわ」
「今でも、街を歩いていて、風景を見ていて、ふとした拍子に、あの頃の暗い気持ちを思い出すことがある」
「でも、それから逃げ出すことはやめたの」
「今の私はそれを受け止めることができるから」
「それを受け止めて、つらかった過去の自分を救うことができると思うから」
 
 もう一度俺を見る。
 その瞳に自分が映っている。
 それだけのことに心が震える。
 
「どうしてだと思う?」
 問いかける口調はやさしくて俺は妙にどきどきしてしまう。
「どうしてだ?」
「聞きたい?」
「ああ、聞きたいな」
「…そのうちね」
 そう言って笑うと、美坂はまた、問題集に視線を落とした。
 
 
 美坂は何でも正直に話してくれると思う。
 ただ、俺がそれを受け止めているかどうかは自信がない。
 自信がないから、 あいつを受け止められるようになりたいから俺は机に向かう時間が多くなった。
 あいつと一緒の時も、図書館や予備校の自習室で勉強する事が多くなった。
 
 実際、美坂と一緒なら勉強するのも悪くないしな。
 
――― わたしも きたがわくんが いいわ ―――
 
 待ち望んでいたはずの言葉なのに、俺はまだ迷っている。
 あいつは俺の何を見てくれたのだろう?
 あいつは俺に何を求めているのだろう?
 
 ひとりの時に考えるとわからなくなる。
 
 それでも、あいつの笑顔は、俺だけに向けられる笑顔だから。
 だから、俺も早く見つけなくちゃな、胸を張ることのできる自分を見つけなくちゃな。
 
 気がつくと雨はすっかりあがって、夏の陽射しが、残された自分達のための時間を惜しむように降り注ぐ。
 
“早く会いたい”
 頭の中に浮かぶ言葉に苦笑しながら俺は机の上の参考書に向かう。

















 次の日、俺は美坂と予備校のロビーで待ち合わせた。
 相変わらずの強い陽射し。 短い夏という季節を知っていて、それを惜しむかのような蝉たちの声。
 相沢は、前の街に較べれば涼しいと言うけれど、ここしか知らない俺たちにとっては、十分すぎる暑さだった。
 
『明日は午前中の英語だけだから』
 昨日の電話での美坂の言葉。
 こうして、夏休みにも当然のように会える関係でいること。
 それが、まだ嘘のようで、俺は自分の幸せを誰かに感謝したくなる。
 
「北川君、待った?」
 長い髪を後ろで結んで、袖のない生成のコットンのワンピースの上に、ざっくりとした綿の紺色のカーディガンを羽織って、
あいつが微笑みを見せながら、俺の方に歩いてくる。
「いや、今来たところだよ」
「そう、じゃあ行く?」
「図書館か?」
「うん、でもその前に何か食べよう、お腹空いたわ」
 ふたり並んで、予備校を出る。
 制服じゃないあいつに、すこし気恥ずかしさを感じてそういうあいつを見ることがうれしくて、俺はすこし表情をゆるめてしまう。
 






 
「美坂って、結構、量食べるんだな」
「失礼ね、普通でしょ、あれぐらい」
 エアコンディショナーの効いた、涼しい室内。
 図書館の不自然に作られた静寂の中で、俺たちは声をひそめて話をしていた。
「まあ、そう言えば、そうか、なんかあまり食べないっていうイメージがあったからな」
「そう?私は食べたいときにはきちんと食べるようにしているわよ」
 
 そのイメージが、今までの美坂のものだったことに気づいて、俺は自分の発した言葉にちょっと気まずさを感じる。
 そうか、俺の知っている美坂のほとんどは、栞ちゃんを拒絶していた頃の美坂なんだな。
 それに思い当たって、俺は言葉を失ってしまう。
 
「どうかした?」
 そう言って、俺を覗き込む瞳。その瞳には、昔のような陰はなくて、俺は当たり前の結論に気づく。


 ―――俺は、美坂が好きなんだ。

 そう、それには、昔とか今とか関係ないよな。
 あいつが傷を抱えているなら、その傷も込みで、俺はあいつを好きなんだから。
 
「ああ、ちょっと、食べ過ぎたかな」
「えっ、そんなに食べてないでしょ?」
「いや、ちょっと幸せの食べ過ぎだ」
 
 ほんの少しの間があって。
「バカ」
 あいつがそう言って、俺の肩を叩いて、そして、二人で声を合わせて笑った。
 当然、周りのやつらの冷たい視線を浴びたけどな。
 でも、本当に幸せだったな。
















「なあ、美坂」
 彼が椅子の背もたれに寄りかかるようにしながら、言う。
「何?」
 私は英語の問題集に落としていた視線を彼に向ける。
「この前の話の続きだけどさ」
「この前の話?」
「ああ、つらい思い出も受け止めることができるっていう話」
「うん」
「理由をまだ聞いてなかったよな」
「そうね」

 
 私は少し考える振りをする。
 別に今話してしまってもいいんだけれど。
 ひとつの考えが頭に浮かぶ。
 
「知りたい?」
 私も体を起こして、少し背もたれに寄りかかりながら言う。
「ああ、知りたいな」
「じゃあ、明日、夜8時に公園に来て」
「明日?」
「そう、明日」
「今は話せないようなことなのか?」
「そう、今は話せないの」
 なんだか困ったような、考えるような表情を浮かべている彼。
 私はすこし申し訳ないような気持ちになる。
 
―― でも、いいわね、
―― 私は、こうしたいんだもの。
―― あなたは言ってくれたよね。
『美坂は、もっと、自分のしたいようにすればいいんじゃないか』ってそう言って、私の背中を押してくれたよね。






 
 図書館は閉館の時間を迎えて私たちは並んで外に出る。
 冷房の効いた室内との気温差が激しくて私は思わず顔をしかめる。
 
 
「じゃあ、また明日ね」
「ああ、また明日な」
「夜8時よ」
「ああ、わかってるよ」
 歩き出した彼の背中が、少し先で振り向いて。
「夜8時に何があるか聞いても、教えてもらえないんだよな」
 ちょっと情けないるような声の調子で言う。
「うん、教えてあげないわ」
 私はにっこり笑って言葉を返す。
「そう言うと思ったよ」
 そう言って歩き出す彼の背中に「北川君、絶対来てね、明日」そう呼びかける。
「わかってるよ」
 背を向けたまま、左手を挙げて、彼が答える。
 私は彼の背中が見えなくなるまで、そこで見送った。





 
 家に帰って、電話を一本かけた。
 そして、栞にひとつ頼み事をした。
 
 準備はすべてうまくいった。
 
・・・・・・あとは、雨さえ降らなければね。
 寝る前にベランダに出てみた。
 満天の星空が広がっていた。
 取りあえず、台風の心配はなさそうだった。






 次の日。
 私は朝から夕方までつまっていた予備校の講義をどこか落ち着かない気持ちで聴いた。
 空は雲ひとつ無い快晴。
 
 はやる気持ちを抑えて、家に帰る。
 栞と藤井君が私を迎えてくれる。
 玄関には段ボール箱一杯の花火。
 
 やがて、家のチャイムが鳴って、名雪と相沢君とあゆさんが現れる。
 
 やっと陽が落ちきった道をみんなで騒ぎながら歩いて噴水のある公園に向かう。
 もうすぐ約束の時間。
 彼はどんな顔をするかな。
 みんなで花火で迎えてあげる。
 
 
 
 彼はどんな顔で驚くのかな。

















「なあ、美坂」
「なに?」
 美坂の横顔が手に持った花火の色に染まっている。
 緑、赤、黄、燈、青、そんないろんな色に照らされる横顔。俺は思わず見とれてしまいそうになる。
 いや、見とれてる場合じゃないな。  
「なんで、俺にだけ内緒だったんだ?」
「北川君を驚かせたかったから」
「なんで?」
「驚く顔が見たかったの」
 返す言葉がない。
 待ち合わせ場所に来た俺を迎えてくれたのは、 たくさんのロケット花火と、地面から噴きあがる華やかな色の壁。
 そして、みんなの歓声と笑顔。
「北川君、おめでとー」
「北川、おめでとう」
「北川くん、おめでとう〜」
「おめでとうございます、北川さん」
「よかったすね、北川先輩」
 手に持った花火で照らされる、みんなの笑顔。
 だから、何がめでたいんだ?
 
「なあ、美坂」
「なに?」
 さっきまでの花火はもうその勢いを失ってしまって、
 今は、公園の灯りだけに照らされる横顔。
「なんで、“おめでとう”だったんだ?」
 また、はぐらかされるかなと思いつつ訊ねる。
「私が頼んだの、そう言って迎えてあげてねって」
「だから、なにがおめでたいんだ、俺には心当たりがないんだが」
 少し離れたところから、みんなの騒ぐ声がする。
 そして、地面に置かれた花火から、綺麗な色が噴き出される。
 その色に染まる美坂の横顔。  
「そうか、心当たりがないのね」
 少し沈んだ声。
「そうだね、北川くんにはおめでたい事じゃないかもしれないものね」
「いや、だから、わかるように話してくれよ」
 
 ひときわ大きな花火が七色の花を咲かせてその色に染まった横顔の美坂が言う。
 
「私は北川君が好きよ」
 
 えっ?
 
「北川君がそばにいてくれるから、私を好きって言ってくれるから」
 
「だから、私は受け止めることができるわ」
 
「どんなにつらい過去でも、思い出に還すことができるわ」
 
 そう言って、にっこりと笑って。
 
「昨日聞いたでしょ、理由」
 
 俺はただ頷くだけで。
 
「それと、私の気持ちの報告」
 
 もう一度頷く。
 
「でも・・・・・・」美坂がポツリとつぶやく。

「やっぱりおめでとうは変だったかしらね」
 
 そう言って、顎に指をあてる仕草がかわいくて。
 俺は、なんだかうれしくて、  
 幸せで。
 
 
 後は、みんなで騒いだな。
 真夏の夜の 俺たちだけの花火大会。
 
 最後に残った線香花火をみんなでやった。
 騒ぎ疲れて、みんな少しぐったりしていた。
 でも、やさしい微笑みを浮かべてこんな時間をみんなで共有できることに
 ささやかなよろこびを感じていた。
 
 
 ちいさく弾ける火花。
 ほんのちいさな炎の結晶。
 それを見つめる、美坂の横顔。
 
 
「なあ、美坂」    
 こっちに視線が向く前に俺は言う。    
「俺は、やっぱり美坂が、いいよ」
 おめでとうは、違う気もするけどな。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

【初出】1999/7/31 Key SS掲示板
【One Word】
 予定通り、二人の視点で進むSSになりました。
 花火、いいですねえ。
 妙に気恥ずかしいですねえ、この話。
 
 HID
 1999/10/11

【追記】
 気恥ずかしいどころじゃないです。今じゃ、こんな話し書けません(苦笑) 
 2000/12/15(改訂)

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