“Swingin' Days” (Girl's side)
-Can you hear my Heart beat?-

(Step 2)
 
 
 
 
 
 
 
 雨、また雨だ
 私は屋根を叩く雨音で目を覚ます
 ベッドの中でじっと雨音に耳を澄ます
 
 こうやって雨音を聞くのは好きだった。
 どこか懐かしい気持ちになるから、自分が屋根の下にいることの幸せを感じられるから
 
 けれど降りしきる雨を見るのは嫌いだ。
 雨に洗われる風景が嫌いだった。雨に洗い流されて、その真の姿をさらけ出す風景が嫌いだった
 少し頭が重い、気圧のせいだろうか、気分のせいだろうか。
「栞、早くしないとおいていくわよ」
「わっ、待ってよお姉ちゃん、もう3分だから」
 いつもの朝、あたたかい紅茶とパンの焼ける香ばしい匂い、そしてテレビの音。
 この何気ない日常生活を、当然と思えるほどの時間がいつのまにか流れていた。
 ・・・・・・あの冬から
 
 
「なに、にやにやしてるの?」
「へへ、山羊座の運勢最高だって」
「そう」
「うん、特に恋愛運がいいんだって、”素晴らしいパートーナーと巡り合えるでしょう”だって」
「そう」
 
 
 二人並んで傘をさして、 隣を歩くのは私と同じ制服を着て去年と違う色のリボンをした妹もうその制服に違和感はない。
 つまりそれは、それだけの間、栞が学校に通っているということ。
 
 
「お姉ちゃん、昔っからそうだよねえ」
「えっ、なにが?」
 栞の言葉で、私は考え事から引き戻される。
「星占いとか全然興味ないでしょ」
「そうねえ、あまり興味ないわね」
「相性とかも気にならない?」
「相性?」
「そう、たとえば北川さんとの相性とか」
「栞」
「う、お姉ちゃん、眼が怖いよー」
 そう言って、栞が逃げるように駆けだす。
 
 
”雨は必ず止むからな”
 すこし前の彼の言葉、ふとその言葉を思い出す。
 本当に不器用で、気をつけないと何を伝えたいのかさえわからないけれど、たぶん、そんな不器用さも彼のまっすぐな気持ちの表われ、私にとってはまぶしい、もの
 
 少し先で立ち止まって待っている栞と、再び並んで歩き出す。  
 そろそろ、いつもの場所。そう、北川君が私たちに追いつく曲がり角
 
「よう、美坂」
 声とともに傘が揺れる。自分の傘をぶつけてきたらしい。
 でも、揺れたのは私のではなく、栞の傘。  
「きゃっ、冷たいよ」
 栞が、揺れた傘からの水滴に悲鳴を上げる。
 傘をあげて見ると、そこには、はじめて見る背の高い男の子が、屈託のない表情で笑っていた。  
「藤井くん、冷たいよ」
 栞の口調は、私に向けるのとも、北川君に向けるのとも、相沢くんに向けるのとも違っていた。
 それは、私がはじめて耳にする口調だった。
「わるいわるい、つい、力が入っちゃったよ」
 栞の抗議の言葉を受け流して、屈託のない笑顔を崩さずに、藤井くんと呼ばれた男の子が言う。
 
「もう、それでなんなの?」
「おお、忘れるとこだったな、おはよう美坂」
 
「それで?」
「それで、じゃないだろ、朝はおはようだろ」
「それで?」
「だから、朝のあいさつは、おはようだぞ」
「つまり、あいさつがしたかったと…」
 栞の威嚇も彼には通じなかった。
「ああ、あいさつは大事だもんな」
 あくまで屈託のない笑顔。  
 もう、まったく、子供なんだから、と言いながらまだ不満そうな栞を、すこし目を細めて眩しいものを見るように見つめていた藤井くんが、私に気づく。
 そして、栞と私を交互に見つめた後で、おい、美坂、紹介してくれよ、栞に向かってそう言う。
「はいはい、お姉ちゃん、この子供っぽいのが藤井くん、一応同じクラスなの」
「どうも、藤井です、一応美坂の親友やってます」
 栞は、いつ、親友になったのよ、と彼に言ったあとで私を紹介してくれる。
「で、これが、私のお姉ちゃん」
「香里です、よろしくね」
 この子、誰かに似ている感じがするな、そう思いながら言う。
「へえー」
「なにが、へえーなの?」
 私の問いかけに、「いや、綺麗な人だなあ、と思って」悪びれずにそう答える。
「それは、だって、わたしのお姉ちゃんだもん」
 栞が少し胸を張って言う。
「いや、だから意外なんだって」
「ああ、藤井、さっさと行ってよ、もう」
 
 それじゃあまた、と最後まで屈託なく笑って、藤井くんが去る。 やっぱり誰かに似ているな、その印象を私に残して。
 
「同級生なの?」
「うん、そう、もう子供っぽくて、うるさいんだよ」
 まだ、少し不満そうな様子で栞が言う。
「でも、同じクラスっていうことは栞よか年下よね」
「うん、そうだよ」
「見えないわね」
「もう、ひどいよ、お姉ちゃん、嫌いだよ」
 拗ねる栞の表情を見て笑っていたら「よう、美坂、おはよう」そう言いながら、今度こそ北川君が現れる。
 朝からなに笑ってるんだ、と問いかける彼に、私たちは「秘密ね」「秘密です」と応じる。
「そうか、秘密か」
 私たちの反応に慣れた北川君が言って、3人揃って笑いながら校門をくぐる。
 私は重い気分がいつのまにか晴れてるのに気づいて、少し感謝する。
 私の周りにいる人たちに
私は少し感謝する。
 
 
 
 
 退屈な授業、どうしてだろう、最近は以前よりも授業を退屈に感じることが多い。
 窓の外は、雨。
 私は3年生になってから、学校の仕事、――委員会だとかそういうこと――を引き受けるのを止めた。
 みんなに推薦もされたけれど、引き受けなかった。
 そういう自分がいやだったのかもしれない。みんなに頼りにされて、一目置かれる存在。
 しっかりしていて、何でも自分で決めることができる。そう思われている自分。
 そういうのが、なぜか疎ましく思えたから。
 
 3年生になって教室が変わり、2年生の時とは違う風景が窓の外には広がっている。その窓から見える灰色の街並みに雨が降りそそぐ。
 なにかが私の心にひっかかっている。
 そう、本当はわかっている。
 それは漠然とした不安。このままこの生活が続くのだろうか、という不安。
このままこの生活を続けていいのだろうか、という不安。
 そして、少しずつ他人を求めはじめている自分の心に対する不安。
 
 相変わらず私の心は不安定でゆらゆらと揺れている。
 そして、ただ雨が降っているということだけで私の心は深い海に沈もうとする。
 暗い過去に引き込まれてしまいそうになる…。
  
 
 
 
 
 雨、降りしきる雨の中、検査や診察のために妹を連れて病院に通った。
 入退院を繰り返す妹の世話をするためにひとりで病院への道をたどった。
 医者をしている両親は家を空けることが多かったから子供の頃から、ずっと、栞の世話をすることは私の役目だった
 私もそれを当然だと思っていた。
 
 雨は私の中で病院への道と結びついている。
 なぜかはわからないけれど、そういう繋がりってあると思う。
 たとえば、この曲を聴くと必ず2年前の夏休みを思い出すとか、真っ赤な夕焼けの日には子供の頃に一緒に遊んだ友達を思い出すとか、そういった何気ない、ものごととものごとの結びつき。説明できない記憶と記憶の繋がりそれは私たちをかたち作っていることの本質のひとつなのかもしれない。
 そんなことを思ったりする。
 
 私のリンクは自分でも意外なほど栞に繋がるものが多くてあらためて自分の中の、彼女の存在の大きさを思い知らされる。
 
 雨の中、傘をさして、心の中にまで雨が降り続いてるような気持ちで病院に通った日々。
 先の見えない暗いトンネルにいるような毎日。
 そして、そのトンネルはもっと暗い場所に続いていた。
 不吉な予言と絶望と拒絶の世界に。
 
 あの頃の私は救われたのだろうか?
『彼女』はどこに行ってしまったのだろう?
 今、私の周りにいてくれる大切な人たち。
 栞や、北川君や、名雪や相沢君、そして、両親。そういう人たちに囲まれて、満ち足りた気持ちで笑って暮らしてゆける今の自分。  
 私まで『彼女』のことを忘れてしまっていいのだろうか?
 
 だから、雨は嫌だった。
 雨を見ているのは嫌だった。
 自分があの頃の自分を殺したうえに成り立っている。今でも彼女に犠牲を強いて生きている、知らず知らずのうちに、そんな風に考えてしまうから。
 
 
 
 
 
 チャイムが鳴って、昼休みの訪れを告げる。
「おい、美坂、そんな顔してるとカビが生えてくるぞ」
 そんな言葉をかけられる。
 席に座ったまま見上げると北川君と相沢君が笑顔で立っている。
 私はその笑顔が眩しくて、少し目をそらしてしまう。
 
「昼めし行こうぜ、美坂」
 相沢君が言う。
「そうね」
 答えながら鞄の中から財布を取り出す。
「あら、名雪は?」
「ああ、水瀬は部活の打ち合わせなんだってさ」
「だから、相沢が不機嫌なんだよ」
 北川君が笑って言う。
「北川、Aランチおごりで許してやろう」
 相沢君がそう切り返す。
 
 学食に行くために教室の扉を開けて廊下に出ようとしたとき、名雪が顔色を変えて扉を開けて入ってきた。
「香里っ」声の調子がいつもと違った。
「名雪、どうしたの?」
「栞ちゃんが授業中に倒れたって」
 私は一瞬、言葉の意味が理解できなかった。
「保健室にいるらしいから、行こう」
 名雪に腕を掴まれて引っ張られる。
 
 保健室の扉を開けて、中に入る。ベッドの方から聞き慣れた笑い声が聞こえる。
「栞」
「あ、お姉ちゃん」
 少しだけ顔色が悪いけれど、思ったよりもずっと元気そうな顔。
「ごめんね、心配かけちゃって」
 気づくと、ベッドの横には背の高い男の子が立っている。
 今日の朝会った男の子、確か、藤井君。
「あ、どうも」
 私の視線に気づいて、彼が言う。
「藤井くんが保健室に連れてきてくれたんだよ」
「私は、授業中ちょっと気分が悪くて自分で保健室に行こうとしたんだけどね」
「いや、ホントに美坂、調子悪そうだったから」
 朝とは違う彼の表情、心からの思いやりを感じさせる表情。
「そう、ありがとう藤井君、よかったわ、大したことなさそうで」
「うん、保健の先生も、ただの疲れだって言ってたからね」
「良かったよ、うちの部の一年生が、美坂さんが授業中保健室に運ばれたって言うから 心配したんだよ」
「名雪さん、すいません」
「ううん、たいしたことないなら、それが一番だからそう言って微笑む名雪の顔はやさしくて、今さらながら、この人が私の親友でいてくれることに感謝してしまう。
 
「よし、じゃあちょっと待ってろよな」
 一緒に保健室まで来てくれた相沢君と北川君が連れ立って出て行こうとする。
 そして、扉のところで立ち止まって、「そこのでかい一年、お前も、一緒に来てくれよ」相沢君がそう言う。
 
 しばらくすると、三人は抱えきれないほどのパンや飲み物や、トレイに載せたランチまで保健室に運んできた。
 みんなでわいわい言いながらそれを食べた。
 予鈴が鳴って戻ってきた保健の先生に怒られたけれど、私が謝ったら「仕方ないわね、二度とこんな事がないように」と言って、許してくれた。
 北川君が「さすが美坂だな」と言った。私は「伊達に高校入ってからずっとクラス委員やってたわけじゃないわよ」と返した。
 そして、ふたりで笑った。心から笑えたことがうれしかった。
 
 
 ホームルームが終わる頃には雨が上がっていた。
 5時間目と6時間目の間の休憩時間、栞が私たちの教室に、今日はクラスの友達と帰るから、と言いに来た。
 顔色がすっかり良くなっていたので安心した。
 
 帰りの支度を済ませて、私は斜め後ろを振り向く。
 隣の名雪と何か話している北川君。
 私の視線に気づいて、彼が言う。
「美坂、今日は真っ直ぐ帰るのか?」
「ううん、寄って行くところがあるの」
 私は応える。
「そうか」
「だから、つき合ってもらえるかしら、用事がなければ」
 北川君が少し驚いた顔をしている。
 名雪が微笑む。
「なにか他に用事があるなら、いいけど」
「い、いや、用事なんて全然ないさ、俺は全く暇だからな」
 なんだかよく分からない日本語でそう言って北川君が鞄を持って慌てて立ち上がる。
 ふたりで並んで教室を出る。
 少し、くすぐったいようなそんな気持ちがした。
 
 
 雨があがった道、庭先に植えられた花々や、街路樹の緑も雨に洗われて新鮮な色を見せていた。
 ところどころにある水たまりを避けながら、私たちは並んで歩いた。  
「で、用事ってなんなんだ」北川くんが言った。
「お礼をしなくちゃいけないのよ」
「お礼?そうか、何か買いに行くのか?」
「まあ、そんな感じね」私はそう言って、彼の横顔をちらりと見た。
「でも」
「でも?」
「まずは百花屋にでも行きましょう」
 
 そう、私はお礼をしなくちゃ。
 この前あなたにお礼を言えなかったから私を励ましてくれたあなたの言葉にお礼をしなくちゃ。
 
「雨があがったからね」
 ちょっと立ち止まって、前を行く北川君の背中に向けて言う。
「雨がやんだから、お礼をしなきゃね」
 彼が立ち止まって、ゆっくりと私を振り返る。
 








 
 私の気持ちが通じているかな。






 彼は私をわかってくれるかな。







 あなたは振り向いて、私に笑ってくれるかな?

 
 
 
 
 
 
 
 
 
【初出】1999/7/19  Key SS掲示板
【One word】
 もう3ヶ月も前になるんですねえ、これ書いたの。
 読み返すと、なんだか愛情に溢れてますね(笑)
 いい話のような気がします。

 HID
 1999/10/11
 改訂 2000/12/14




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