『かなしい夢のすてきな見方』
 
 

 
 
 
『幸せなときには悲しい夢を見ない』
 
 
そんなことを言う人がいるけれど、
わたしは違うと思う
 
幸せでも、
満たされていても、
目が覚めると泣いてることがある
 
”とてもとても悲しい夢を見た”
 
その感触だけが残っていて、
でも、内容は思い出せない
 
それは大事な何かだったのかもしれない
 
わたしは何かを忘れてしまったのかもしれない
 
そう思うと怖くなる
 
幸せな日々が怖くなるよ
 
 
 
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「祐一さんっ」
 
改札口を出る人混みの中から彼を見つけて手を振る。
祐一さんが手を肩の辺りまであげて中途半端な笑顔で固まっている。
 
彼がこの春に高校を卒業してからは、
前のようには会えなくなった。
だから今日も、ほぼ2週間振りのふたりのデート。
 
「わ、時間ぴったりですね。」
わたしは改札口のところの時計を見ながらそう呼びかける。
わたしの前に立って、わたしのことを上から下まで見て、
まだ何も言葉を発してくれない、祐一さん。
 
「祐一さん?」
「祐一さんっ。」
三度目の問いかけでやっと我に返ったような表情で、
「栞、何かあったのか?」
真剣な声音でそう訊かれる。
「何かって、どうしてですか?」
もう一度わたしのことを上から下まで見て、
「だって、お前、まっ黒だぞ。」
「う、ひどいですよ、これでも日焼け止め、塗ってたんですから。」
「いや、そういう問題じゃなくてな、なぜ、それだけ太陽の光を浴びたのか、
というのが知りたいんだが。」
わたしは自分の腕を見ながらちょっと拗ねたような口調で言う。
「部活で、野外スケッチがあったんです。」
黙って聞いている祐一さん。
「それが面白くて、楽しくて、今週、毎日、外でスケッチしてたんです。」
祐一さんの表情が変わっていく、笑顔がこぼれそうな表情。
「ちゃんと日陰で、日焼け止めも塗ってたんですよ。」
「そうか、」
やっと笑ってくれて、
「しかし、その辺の子供に負けないくらい日焼けしてるな。」
そう言って、わたしの頭に手をのせてくれる。
 
くすぐったいような、恥ずかしいような感じ。
 
「ひどいですよ、祐一さん、子供と一緒にしないでください。」
”あはは、そうだな”と声を出して笑って。
「じゃあ行くか。」
そう言って、手を差し出してくれる。
「はい。」
わたしは会えなかった時間分の気持ちを込めて、笑顔で答える。
笑顔で答えてその手を握る。
 
駅の屋根から出る。
陽射しはあくまで強く、人々が連れ歩く影はあくまで黒く、
けれど、祐一さんの手の温もりは心地よかった。
 
 
 
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 
 
 
私たちの街から数駅先、
その駅から歩いて数十分の距離、
そこにわたしのお気に入りの公園がある。
それ程大きくない人造の湖、
その周りに広がる、芝生に覆われた丘。
 
ずっと、昔。
わたしが小学生の頃、
遠足で来たことのある公園。
 
わたしが参加できた数少ない遠足、
その思い出に繋がる公園。
 
「へえ、こんなところにこんな公園があるんだなあ。」
祐一さんがそんなことを言う。
祐一さんと過ごす二回目の夏。
わたしには祐一さんと行きたい場所がまだまだたくさんある。
 
「なあ、栞、さっきから気になってたんだが、」
祐一さんが少し真剣な口調で言う。
「手に持ってるそれは何だ?」
 
右手には大きめのトートバッグ、お弁当とスケッチブック、パステルと鉛筆が入っている。
「えっと。お弁当と絵の道具ですね。」
「いや、そっちの左手に持ってるやつ。」
 
左手に持っているのは、大きな麦わら帽子。
白いリボンがついた、大きな麦わら帽子。
「えっと。」
「それは手に持つ物じゃないんじゃないか?」
少しからかうような口調。
「えっと、これお姉ちゃんに持たされたんです。」
にこにこと笑いながら楽しそうに聞いている。
「わたしがすごく日に焼けてるから、お姉ちゃんが買ってきてくれたんです。
”日射病になったら大変よ”って言って。」
「でも、これかぶると...、」
まだ、笑っている。
こういうときの祐一さんはいじわるだ。
 
「かぶると?」
 
ほら、わたしに言わせようとする。
絶対わかってるんだよ、何が言いたいのか。
「かぶると、まるっきり子供みたいなんです。」
「そんなこと無いと思うぞ。」
笑いながら言っても説得力無いよ、祐一さん。
そう言って、わたしの手から帽子を取って。
「ほら、」
わたしの頭にのせる。
すごく素早いから、わたしは反応できなかった。
 
「まるきりその辺の子供みたいじゃないか。」
 
そう言って、笑う。
 
「もう、そんなこと言う人嫌いです。」
 
 
でも、わたしは帽子を取らない。
祐一さんがかぶせてくれた帽子だから、
お姉ちゃんが買ってきてくれた帽子だから。
 
 
 
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 
 
 
夢を見ること、
 
それにはどういう意味があるんだろう
 
それは、わたしが望んでいることなのだろうか
 
わたしが望むから夢を見るのだろうか
 
それならば、悲しい夢さえわたしは望んでいるのだろうか
 
楽しい夢ばかりを見ていてはいけないのだろうか
 
悲しいことは全部忘れてしまってはいけないのだろうか
 
 
 
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 
 
 
「ふうっ、ごちそうさま。」
「いいえ、お粗末様でした。」
 
木陰に敷いたシートの上で、
ふたり並んでお弁当を広げた。
 
「栞、料理の腕あがったなあ。」
「うれしいです、やっぱり才能があったんでしょうか。」
「いや、先生がいいんだろう。」
そう言って笑う祐一さん。
 
ホントは今日も朝早くからお姉ちゃんに教わってお弁当を作った。
お姉ちゃんは、”いい加減に一人で作れるようになってね”と言って、
でも少しうれしそうに、すごく丁寧に教えてくれた。
 
「一度、先生の意見を訊いてみたほうがいいだろうな。」
「何を訊くんですか?」
「栞がいい生徒かどうか。」
「祐一さん、絶対、わたしに料理の才能がないと思ってるでしょう?」
他愛ないやりとり、距離が離れても、共有できる時間が減っても、
けして変わることのない祐一さんのやさしさ。
 
小さな人造湖の上を吹き抜けてくる風は、ほんのりと水の冷たさを含んで、
わたしの頬をやさしく撫でてくれる。
 
「栞、どうだ学校は?」
「はい、相変わらず楽しいです。」
「そうか。」
「今年はまだ一回もお休みしてないんですよ。」
「そうか。」
 
ふたり隣りあって座って、
ほんの少しだけ祐一さんの肩に体重をかけて、
こうやってふたりで話をする時間がわたしは好き。
 
 
 
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しんしんと降り積もる雪
わたしが、繰り返し繰り返し、見てきた景色
 
自分の部屋の窓から、
そして、自分の部屋と同じくらいの時間を過ごした病室の窓から
 
その冷たい欠片は、
わたしの心の奥底に未だ降り積もったままなのだろうか、
その雪が溶け出すように、
それが心に浸みいるようにして、わたしに悲しい夢を見せるのだろうか
 
北極のけして溶けてなくなることのない氷河のように、
今も降り積もっては、少しずつ少しずつ、溶けだしてくるのだろうか
 
この悲しみから、
この悲しい夢から解放される日は永久に来ないのだろうか
 
その術をわたしは持たないのだろうか
 
 
また夢を見る
 
 
大切なものが指のあいだからこぼれ落ちてゆくような夢
せつなくて、かなしくて、
その身を裂かれるような、そんな夢
 
 
 
 
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 
 
 
 
やさしい感触、
頬に感じるやさしい感触。
 
 
やさしい歌声、
耳にとどくやさしい歌声。
 
 
吹き抜ける涼しい風。
 
 
わたしは目を開ける。
 
 
すぐにそれに気づいてくれる、
わたしの大切な人。
 
 
「起きたか。」
子供のように小さく頷くだけのわたし。
 
「どうした、いやな夢でもみたか。」
柔らかい口調でそう問いかけてくれる。
 
”どうして”
わたしは瞳で訊く。
 
「泣きそうな顔してるぞ。」
そう言って、わたしの肩に手を回してくれる。
 
わたしは体の力を抜いて、
自分の体を支えることを止める。
彼にすべてを委ねるように。
 
包み込まれるような感じ、
胸の奥で、何かが震えるような感じ、
 
 
すべての答えが見えてくるような感じ。
 
 
「うたって、たの?」
わたしはすべてを委ねたままでそう訊ねる。
「歌ってたか?俺。」
 
「うたってたよ、」
「やさしいうたを。」
 
 
遠くで誰かの声が聞こえる。
夏の午後、
遠い昔の大切な思い出が甦ってきそうな気がする、
柔らかな時間。
 
 
 
「なあ、栞。」
 
 
彼が、もう何度も聞いたことのあるやさしい声で、わたしの名前を呼んでくれる。
 
 
「泣くことはわるい事じゃない、」
「悲しむことはわるい事じゃないぞ、」
 
「それを見ようとしないことの方が、」
「よっぽどいけないことなんだ。」
 
「俺はそういう風に思うよ。」
 
「だから、」
「悲しい夢を見たら、俺に言ってくれ、」
「目覚めたときに泣きそうだったら俺を呼んでくれ、」
 
「栞の涙を受けとめるのは、」
「俺の役目だからな。」
 
 
 
わたしは小さく頷いて、
彼の唇を求める。
 
やわらかなくちづけ。
さっき聴いた歌声のような、
やさしい、感触。
 
 
 
 
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 
 
 
 
悲しい夢、
繰り返し見る悲しい夢
 
それを見るのは当然のこと
 
だって、それはわたしの中にあるんだから
 
かなしいこと、つらいこと、さみしいこと、
そういうもの全部がわたしをつくっているんだから
 
だから、楽しい夢ばかり見ることはできない
 
 
 
でもね、
でも、あの人がいるから
 
 
あの人がいれば、
悲しい夢は悲しくなくなる
 
 
『かなしい』以上の意味を持つ大事ななにかに変わってゆくよ
 
 
 
 
『幸せなときには悲しい夢を見ない』
 
もしそれを本当だと思う人がいるなら、それはたぶんかなしいこと
 
 
 
 
『悲しい夢を幸せに還せる』
 
 
 
それが、たぶんすてきなことだよ
 
 
 
 
それが素敵な夢の見方だよ
 
 
 




 
【初出】1999/8/3  Key SS掲示板   【改題】 『you make me real』より改題(1999/8/3)
【One Word】
ええ、何かとにかく栞が書きたくなって書きました。
赤丸さんのSS「夢を見る方法」とkyoukaさんのSS「−恋歌−」の影響が あるような気がします。
内容ではなく、栞を書きたくなった理由としてですが。


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