『Sittin' in the tender rain』
− やさしい雨 −
 
 
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 その日は朝から細かい雨が降っていた。
短い春の終わり、夏の始まり、その合間の中途半端な季節。
暑くもなく寒くもない、傘をささずにいると服が湿ってくるのでそれとわかるような、
柔らかな雨の降る、当たり前の一日。
 
 すべてがやさしい雨に彩られて、落ち着いた色彩を見せていた。
窓から見える校庭も、今日はしっとりとしている。
チャイムとともに授業が終わり、生徒たちは各自の昼食場所へと急ぐ。
私はまだ、席に着いたまま、窓から校庭を見下ろしている。
ピンク色の傘をさして、片手に重そうなバスケットを提げた小柄な女の子が校庭に出てくる。
そして、誰かを待つように辺りを見回している。
傘で隠れて顔までは見えない。
 やがて、一人の男子生徒が傘もささずにその子の元へ走り寄る。
ふたりは寄り添って、校庭の端の大きな木の根元へ移動する。
 
「香里、お昼にしよう」少しゆっくりとした口調で私を呼ぶ声。
「名雪、今日もお弁当なの?」
自分の机を私の机にくっつけようとしている、女の子に答える。
「うんっ、そうだよ」にっこりと笑う。
「奇跡だね」「ひどいよー」
笑顔で言葉を交わす。
 
 『今年は、早寝早起きして、毎日お弁当を作る』
今年の名雪の目標、『今年は最上級生だからね』まるで、小学生か何かのような名雪の言葉に私たちは笑った。
でも、名雪の気持ちもわからなくはなかった。
”何かをはじめたい”、”自分を変えてゆきたい”そんな気持ちが私もしていたから。
それは、たぶん、あのふたりの影響。
三階から見下ろしていてもわかるくらいのあたたかい雰囲気で、お弁当を食べている、ふたりの。
 
「まだ雨降ってるよねえ」名雪が言う。
「うん」私は外を見ながら答える。
ふたりは傘もささずに、ビニールシートの上に座り、お弁当を食べている。
「今日ね、」私は名雪に話しかける、視線はふたりに向けたまま。
「学校に来る途中に、公園で犬を見かけたの、中型犬ぐらいの、」
「噴水の縁に犬が座っていて、その隣には、普通のおじさんが座ってた、」
「普通だと、おじさんが噴水の縁に座ってても、犬は地面に座ってるでしょう、足元とかに」
私は視線を動かさずに続ける
「でも、同じ高さで並んで座っているの、飼い主と飼い犬っていうよりも、それ以上の、あたたかい雰囲気に包まれていてね」
「やさしい雨の中に並んでいる犬とおじさんがとても幸せそうだった」
 
 何も返事が無いので名雪の方を見ると、「犬さん...」とつぶやいてとても複雑な表情をしている。
泣き出しそうな、笑い出しそうな、両方が一緒になった複雑な表情。
「名雪、犬嫌いだったっけ?」
その表情のまま首を横に振る。
「もしかして、犬猫アレルギー?」
また、首を振る。
じゃあどうして、その表情?
私が考えこんでいると、
「犬さん、好きだよ、ムクムクしていて、ホコホコしているの見るとすごく触りたくなる」と名雪が悲しそうに言う。
なんとなく、わかってきた。
「名雪、子犬とか好きでしょう」
首を縦に振る。
「子供の時、近所で子犬飼ってたでしょう?」
また、首を縦に振る。
「それで、その犬を触りすぎて、噛まれたことあるでしょう?」
固まっている。どうやら図星らしい。
 名雪の猫に対する姿を見てると、簡単に想像できるなあ、その時の様子。
きっと、子犬がいくら嫌がっても、触るのを止めなかったんだろうなあ。
「犬さんに触りたいんだけど、近づこうとすると足が動かなくなるの」
本人はいたって真剣だ。
 真剣に悲しんでるんだけど、無類の猫好きで猫アレルギー+犬好きなのにトラウマ持ち。
絵に描いたようで、少しおかしい。
”香里は笑うけどホントにつらいんだからね”と名雪は拗ねたように言った。
その時の顔は子供みたいでかわいかった。
 
 「ねえ、あのふたり幸せそうだね」名雪が私の視線の先を見つめながら言う。
「そうね、この雨の中で外でお弁当食べるくらいだもんね」
「ね、犬さんとおじさんもあんな感じだった?」
一瞬、名雪の顔を見る。犬と比べる発想は名雪らしいといえば、らしいか。
「そう言えば、そうかもしれない」
「そうかー、どっちが犬さんだろうね?」名雪が笑いながら言う。
「そうねえ、お弁当作ってるのは栞だから、やっぱり相沢君じゃない?」私も笑いながら言う。
「うん、祐一が犬さんだねっ」妙に納得した様子で、うれしそうに名雪が言う。
 
 そんな、わたしたちの会話なんて、聞こえるはずもなく、ふたりはやさしい雨の中で、ゆるやかな時間を過ごしている。
妹のそんな姿は、私のこころをもやさしく満たしていく、ちょうど今日の雨のように。
「ね、香里」
「なに?」
「ふぁいとっ、だよ」名雪が言う。
なにが”ふぁいと”なのかはよくわからなかったけど、名雪の気持ちはわかった気がして、
私はうなずく、微笑みながら。
 
 外は雨、やさしく、すべてを包み込むように、すべてのものの色を際立たせて、 やさしく、降り続く、雨。
 
 
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【初出】1999/6/18 key SS掲示板
【One Word】
結構気に入ってる話です。犬の話は実話です。
何かジャージ着てる普通の親父と雑種らしい中型犬のコンビで、やたら幸せそうでした。
(1999/7/15)


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