『十一月の夜、僕は君と雪を見ていた』
 
 
 
 

 
 
 
 
 
その日は朝から冷たい雨が降っていた。
こころにまでしみこんで、体を芯から冷やすような雨。
重たい空、灰色で彩られた街。
 
 
十一月の終わりの頃。
 
 
 
−−−−−−−−−−−−−
 
 
 
「祐一、今日はどうするの〜」
ホームルームが終わったあとの喧噪。
どことなく落ち着かない三年生の十一月の終わり。
どことなく落ち着かない教室の中の雰囲気。
けれど、それとは全く無縁の口調。
 
「ああ、今日はちょっと本屋に寄って帰るよ」
探したい参考書があるからとつけ加える。
 
「ん、じゃあ、わたしもつき合うよ」
「いいのか、名雪」
ん、もちろん、と大きな笑顔。
 
 
 
「じゃあな、美坂」「じゃあねえ〜、香里」
「またね、ふたりとも」
まだ自分の席に残っていた美坂と別れの挨拶を交わす。
 
「北川いなかったな」
「北川君は日直だよ」
そうか、そうだよ、と何でもない会話を交わしながら、昇降口に向かう。
 
 
ふたり並んで、校門まで歩く。
冷たい雨の中、傘をさして。
赤と深緑の傘をふたつ並べて。
校舎や、校庭の木々さえもすっかり冬の色に染まっている感じがする。
冷たい雨に色を塗り替えられているような、そういう感じがする。
 
 
「名雪は、受ける学校決まったのか?」
「うん、わたしは決まったよ」
「やっぱり、わたしは保母さんになりたいから、その勉強ができるところ」
そう言って、名雪が名前を挙げた短大は今の家からでも十分通える場所にある学校だった。
 
俺はホッとしながら話を続ける。
「名雪が保母さんか」
向いていると言えば向いてるかもしれない、けど、不安といえば不安な気もする。
「うん、わたし、ずっと保母さんになりたいと思っていたから」
うれしそうな声。
「ま、なれるかどうかまだわかんないしな」
祐一、ひどいよ〜、と言いながら、俺の腕を軽く叩く。
その拍子に傘から出た名雪の制服が雨に濡れる。
 
名雪の制服も冬の色に染まってゆく。
 
 
 
−−−−−−−−−−−−−
 
 
 
商店街で本屋に行き、ぶらぶらとするともう夕方だった。
相変わらず冷たい雨が降り続いていた。
陽が傾くと、気温がぐっと下がるのが感じられた。
吐く息も白くなるほど。
 
 
「なあ、名雪、今日は寒いな」
隣で赤い傘をさして、俺に歩調を合わせて歩くいとこに話しかける。
「うん、そうだね、やっと冬だね」
どことなくうれしそうな口調。
そういえば、冬が好きだって言ってたな。
そんなことを思いながら、何気なく隣を見る。
名雪が大きな真っ直ぐな瞳で俺の方を見ている。
初めて見るような表情、真っ直ぐに俺に向けられた視線。
俺は思わず視線を逸らしてしまう。
 
 
「そろそろ、初雪が降るかもね」
 
 
鼓動が高まっている。
もう、ずいぶん長い間名雪の近くにいるのに、まだまだ、俺の知らない表情を名雪は持っていて。
そういう、「初めて」に触れるたびに俺はあらためて、思い知る。
俺がどんなに名雪のことを好きなのかということを。
 
 
「初めてだね、祐一と一緒の初雪」
 
「初めてだから、一緒にいたいな」
 
「一緒にいるときに降るといいね、」
 
名雪が俺の視線を捉えるように、俺の顔を見上げる。
 
「初雪」
 
 
 
−−−−−−−−−−−−−
 
 
 
いつも通りの美味しい夕食。
いつも通りのあたたかい食卓。
 
食事を終えて、俺は何となく机に向かう。
今日買った参考書をパラパラとめくってみる。
 
そろそろ風呂にでも入るかな、と思っていると、コンコンという音がした。
 
ドアを叩く音ではなく、ガラスを叩く音。
素敵な夜の訪問者。
 
「こんばんは」
聞きようによっては間抜けなセリフを口にしながら、ベランダへ続く窓を開ける。
「こんばんは」
笑顔で返してくる名雪。
「ね、祐一ちょっといいかな」
「いやだ」
「即答しないでよ〜」
「寒いから、いやだ」
どのみち押し切られるのはわかってるんだけど、でも、こういう無駄な抵抗でさえ、
ふたりの間の大切な儀式になってるような気がした。
 
「5分でいいから、ね」
「仕方ないな」
この辺で折れることにする。
 
 
 
足を踏み出した途端に、ちょっとした後悔を感じた。
外気は真冬と言われても、全く違和感のない程の冷たさだった。
相変わらず冷たい雨が降っていた。
きらきらと街の灯りを反射して、氷の粒のようだった。
何かの拍子に結晶しそうな、手で掴めてしまいそうな存在感を持って、雨が降り続いていた。
 
 
「なあ、名雪」
隣で手すりにもたれるように立っている名雪に言う。
「本気で寒いんだが。」
それは、もう冬だからね、と笑顔。
そのひと言を言われると返す言葉がなかった。
 
 
「ね、祐一」
名雪が夜空を見つめたままで言う。
暗い灰色で覆われた、月のない夜。
「祐一は大学どうするの?」
その言葉にはほんの少し緊張が含まれている。
その言葉を発したあとの名雪から緊張が伝わってくる。
 
「ああ、俺はここから通えるところにするよ」
俺は、その緊張を解いてやりたくて、すぐに言う。
 
「しばらくはこの街から出たくないしな」
 
名雪の緊張がゆっくりと解ける気配がする。
 
「どうやら、この街が気に入ったらしいんだよ、俺」
 
顔を俺の方に向ける。
 
「どうやら、名雪のそばを離れたくないらしいんだよ、俺」
 
俺の胸に飛び込んでくる。
 
冷たい空気でひえた肌。
対照的にあたたかな唇。
いつでも、俺を心地よく受け入れてくれる、柔らかな唇。
 
 
 
−−−−−−−−−−−−−
 
 
 
ふたりで、名雪のベッドの上に座って、俺の肩に頭をあずけて、名雪が言う。
 
「この前、香里と話してたときにね、」
「もし、去年の冬に祐一がここに帰ってきてなかったら、どうなってたかなっていう話になったの」
 
小さな声、でも、しっかりとした聴き取りやすい声。
 
「雪うさぎのこととかも、全部、香里には話してるから」
「でね、香里は、祐一がもし帰ってこなかったとしても、名雪はひとりでも前に進めたはずよって言ってくれた」
「そういう強さをわたしは持ってる、って言ってくれた」
 
「でもね、わたしは自信がない」
「祐一が”もし”帰ってきてなかったらって、その可能性を考えただけで、涙が出そうになるよ」
 
そう言って、俺の肩に顔をつける。
 
「だからね、こわくて訊けなかったんだよ」
「祐一が、どこか遠くの学校に行くって言ったらどうしようって思ってた」
「でも、良かったよ、祐一が...」
 
「なあ、名雪」
名雪の言葉を途中で遮る。
 
「もし俺がここに帰ってきてなかったとしても、ひとりでも進めるくらいの強さを名雪は持ってると、俺も思う」
「でも、俺は帰ってきたからな、」
「そして、ふたりでいることができるから、」
「その強さで俺を支えてくれないか」
「もし、俺が名雪を支えることができているなら、」
「名雪にも俺を支えてほしい」
 
 
うん、わかったよ、と頷く名雪。
眼には少し涙が浮かんで、唇が少し喜びで震えている。
 
 
「たぶん、それが...」
「それが...なに?」
「なんだろうな?」
 
 
急に照れくさくなって、言葉を途中で止める。
 
 
「ずるいよ、祐一、言いかけでやめたら、気になるよ〜」
「気になって、夜も眠れなくなっちゃうよ〜」
「いや、それは嘘だろ」
「う、うん、それは嘘だね」
 
 
そう言って、ふたりで顔を見合わせて笑う。
 
 
 
−−−−−−−−−−−−−
 
 
 
「わ、祐一、大変だよ」
 
名雪が言って、立ち上がる。
ベランダへの窓を開ける。
冷たい空気が、部屋の暖かさに慣れた体を貫く。
 
名雪がタタタッとベランダへ飛び出す。
俺も渋々後を追う。
 
「ほら、祐一、見てよ」
 
いつの間にか、冷たい雨はかたちを持ち、
白く色を変えて、降り続いていた。
羽のように、軽やかに、
夜の闇の中、浮かび上がるような白さで。
 
 
「初初雪だな」
えっ?、と訊き返す名雪に、
「ここで、見る初めての初雪だ」
そう言い返す。
 
 
名雪がそっと、俺の唇に触れる。
不意打ちに驚いてる俺にこう言う。
 
「へへっ、初雪記念だよ」
 
 
 
手すりのところにふたりで並んで立つ。
名雪の肩に左手を回して、俺の方に引き寄せる。
大好きな人のやわらかい体、あたたかい体、幸せな重さ。
 
 
「なあ、名雪」
 
 
名雪が俺の顔を見上げる。
名雪の瞳が俺を映す。
 
 
 
 
「これから何度もふたりで見れるといいな」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「初雪」
 
 
 
 
 
 
 
 
 












END

 
【初出】1999/8/16 Key SS掲示板
【修正】1999/8/17
【One Word】
初雪をふたりで見ているところが書きたいなあ〜、と思って書きました。
夜、外を歩いていたら、西武園(?)で花火をやっていて、それをボーっと見ていたら、
突然、そんな考えが浮かびまして・・・。
理由はわたしにもわかりませんが。
 
 

コメントをつける


戻る