「夜は、やさし」
Night will calm, if you wish
   
 
Prologue









     
 いつのまにか秋の陽はその姿を山に隠し、空は名残のような茜色に染まっていた。
 長い、長い間、変わらない濃緑を湛える針葉樹の森。どこか寒々しさを連想させる暗いトーンの風景。
 昼なお暗いこの森の中には、天空を彩る夕暮れも届かなかった。
 森の中にふたつの人影があった。
 まだ若く見える小柄な女と、ひ弱い印象を与える男の子。
 女が男の子の手を引いて歩いていた。

 
「どうして、みんな僕たちのことを追いかけるの?」
 男の子が小さな声で言った。それは、女に向けられたというよりは、世界そのものに向けられた問いのようだった。
 宇宙の真理を問うような、生命の深淵を問うような、そんな普遍的な問いのようだった。
 ややあって、女が答えた。
「彼らは私たちのことを誤解しているの」
 風のような静かな声だった。その声は、すぐに森に吸いこまれていった。
「私たちのことを涸れない泉とでも思っているのでしょうね」
 女の眼にさみしげな色が浮かんだ。あるいは、それは、暗い森の色が瞳に映り込んだだけだったのかもしれない。
 
 しばらくの間、ふたりは無言で歩いた。
 気がつけば、空は森の中と同じ色合いに染まっていた。西の空にひとつ、明るい星が輝いていた。
 
 女が足を止めて、男の子の名を呼んだ。そして、言葉を継いだ。
「夜の森が怖い?」
 男の子が、無言で首を横に振った。
 女も無言で頷いた。そして、言った。
 
「憶えておくのですよ。いつでも、夜はあなたの味方。あなたがそれを望む限りは」 
 
 
 
 
 
 









 
第一章に続く
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