『二人のための甘いバラード −Under The Stardust−』
 

 
 




・・・笹の葉さらさら・・・
 
 
いつもの朝、
透明で力強い光が射しこむ朝
 
 うん、今日もめざましより先に起きれたよ
 
カーテンを開くと青い空、
ひと刷け、ふた刷け、白い雲
 
わたしはあっさりと眠気をふり払って、
部屋の扉を開ける
めざましのスイッチは入れたまま、
祐一の日課を取ったら悪いよね
 
「おはよう、お母さん」
「おはよう、名雪、早いのね」
いつもの朝のあいさつを交す
 
「お母さん、朝ご飯の準備手伝うよ」
「ええ、お願いするわ」
 
トントントンと階段を降りる音、
ガチャリと扉を開けて
「おはようございまーす」と大好きな声
 
わたしとお母さんもあいさつを返す
 
「名雪、お前なあ、起きたんなら、ちゃんとめざまし切っとけよ」
「俺、今日もけろぴー起こしちゃったぞ」とちょっと不気嫌な声
「わたしは、祐一のためを思ってスイッチそのままにしてるんだよ」
「はっきり言って、大きなお世話だ」
「う〜、はっきり言わなくてもいいのに〜」
 
「祐一さん」
お母さんが呼びかける
「はいっ」とすばやく反応する祐一
表情が変わるのが、見ていて面白いね
「コーヒーでいいですか?」
わたしに助け船を出すように、じゃれあう二人を止めるように
 
「あっ、はい、コーヒーでいいです」
 
それを合図に朝ご飯がはじまる
大好きなイチゴジャム、
大好きなお母さん、
そして、大好きないとこの男の子
 
わたしの大好きな時間
 
「名雪、今年はどうするの?」
食卓を囲んで、お母さんが言う
「今年もわたしが準備するよ」
「そう」
「うん」
 
「何をだ?」
ふたりの会話についていけない祐一の質問に
「何だと思う?」
と答える
「わかんないから聞いてるんだが」
「きっと、よく考えればわかると思うよ」
そう言うと、すこしだけ考える顔、そして納得いかない顔、
でもそれ以上は聞かなかった
 
 
 
「名雪、何で俺達は走ってるんだ?」
かなりのスピードで走ってるのに、それ程息も乱さずに祐一が訊く
一年前なら陸上部に誘ったのになあ、と思いながら、
「学校に間に合わなくなりそうだから」
そう答える
「いや、俺が聞きたいのはそんなことじゃなくてなあ」
 
「わたしは、早く起きたよ」
「俺も早く起きたぞ」
「ご飯もサッと食べたよ」
「俺も食べたぞ」
「テレビもサッと見たし」
「それだろ」
「何が?」
”占いなんて見てるからだ”と決めつける
「ちがうよ〜」
 
本当にちがうんだよ
今日見ていたのは占いじゃない
今日見ていたのは天気予報
夜にかけての天気予報
 
 
☆☆☆
(Sweet Ballad for Lovers - Under The Stardust-)
☆☆☆
 
 
校門をくぐる頃にはいつもの時間
たくさんの生徒達が登校するいつもの時間
 
「おはよう二人とも」
「おはよ〜、香里」 「おはよう美坂」
「今日も走ってるなあ」
「うるさいぞ、北川」
「おはよう、水瀬さん」「おはよ〜、北川くん」
「朝は”おはよう”だぞ、北川君」
「お前にそのセリフは似合わないぞ」
「私もそう思うわ」
わたしは、ただ笑ってる
 
そういう風に学校が始まる
テストの前の準備期間
部活も休みの準備期間
 
自由を告げるチャイムが鳴って
教室の中はざわめき出す
 
「名雪、部活休みだろ」
「ごめんね祐一、今日は香里と約束があるの」
「お、そうか、じゃあ、北川」
「ごめんね祐一、今日は香里と約束があるの」
三人の視線が北川君に集まる
「私はしてないわね、約束」
クールな切れ味、さすがは香里だね
少しの沈黙
「わ、悪かった、俺には荷が重すぎたよ」
「その通りだぞ、北川、ボケは名雪にまかせておけ」
「そうだよ、北川くんって、祐一、ひどいよ〜」
「ねえ、名雪そろそろ行きましょう」
笑いながら香里が言って
今日の学校が終わりを迎える
 
 
 
濃密な青色の夏の空
まばらに散った白い雲
光と影とをくっきりと分ける強い陽射し
「これなら大丈夫そうだねえ、天気」
となりを歩く香里に言う
 
「名雪、今年は何をお願いするの?」
こっちを向いて香里が訊く
「わたしはねえ、秘密だよ」
「ふーん、そう」
「じゃあ、香里は何をお願いするの」
「わたしもねえ、秘密だよ」
「香里〜、口調がこわいよお〜」
「もしかして、ひどいこと言ってる?名雪?」
いたずらする子供のような笑顔
「うー、香里〜、いやだよ、その口調〜」
 
去年もわたしは笹を買った
無理やり連れていったら、香里も小さい笹を買ってた
今年は香里に誘われた
きっと、かなったんだね、去年の願いごと
 
「ねえ、名雪、それ持てるの?」
「うーん、がんばるよ」
”幼稚園で使うんじゃないんだから”
そう香里には言われたけれど
今年はどうしてもこれを買わなきゃ
だって、七年分のお願いの、お礼だものね
 
「仕方ないわねえ、名雪の家まで手伝うわよ」
「ありがと、香里」
「もしかしてそのつもりだった?」
香里が笑顔でそう訊ねる
「ううん、まさか」
にっこり笑ってそう答える
「あっ、でも、お母さんの手作りアイスコーヒーがあるよ」
「あ、それは嬉しいわね、美味しいのよねえ名雪のお母さんのアイスコーヒー」
「うん、わたしもすごく好きだよ」
香里にお母さんの手作りを誉められるのはすごく嬉しい
「あと、良かったら、トーストも...」
「ううん、名雪それ以上は言わないで」
「うん、わたしもそう思った」
ちょっとお互いの顔を見つめて
そしてにっこりと笑顔になる
 
 
☆ ☆ ☆
(Sweet Ballad for Lovers - Under The Stardust-)
☆ ☆ ☆
 
 
晩ご飯が終わって、自分の部屋に引き揚げる
心なしか、名雪と秋子さんの顔がはしゃいでるように見えたな
ベッドに座ってぼんやりしていると
コンコンと窓を叩く音
見れば、網戸越しにベランダに立っている名雪が見える
紺色のTシャツにカットオフしたジーンズ
ちょっと、新鮮な感じもするな
そういや、名雪との夏ははじめてだしな
 
「いらっしゃいませ」
そう言って、網戸を開けて部屋に招きいれる
「うん、お邪魔します、じゃないよ、祐一、ベランダに来てよ〜」
「蚊とかたくさんいるんじゃないか?」
ぶつぶついいながら、それでも、俺はベランダに出る
 
ふたりの特別な場所
それがわかってるだけに、妙に照れくさいんだよな
ベランダに出るの
 
ベランダには幼稚園にあるような、大きな笹
そうか、今日は七夕だったな
 
「名雪、」
「何?」
「悪いこと言わないから、早く返してこい」
「なんなら一緒に謝ってやるから」
「誰に?」
「幼稚園の人に」
「どうして?」
「お前が笹持ってきちゃったからだろ?」
「祐一、本気で言ってる?」
 
もちろん、冗談だが、けど、この大きな笹はただごとじゃないぞ
「いったい何の恨みがあって、こんな笹を?」
「恨みじゃないよ〜、感謝の気持ちだよ」
「なんだ、願い事でもかなったのか?」
”うん、そうだよ”と
大きな笑顔
 
 
 
ふたり、笹が見える位置に並んで座って、
歌うように聞かせてくれた名雪の話
 
  毎年、毎年、お願いしたんだよ
 
  最初はお母さんが小さな笹を買ってきてくれた
  祐一が最後にここに来た冬、その年の夏
  ふさぎ込んでるわたしにお母さんが言ってくれた
  この短冊に願い事を書いて、笹につけるのよ
  そして、お願いしましょうね、織り姫さまと彦星さまに
 
  毎年毎年、同じお願い、
  中学生になってからは、自分のお小遣いで笹を買ったんだよ
  雨が降ってもお願いしたよ
  雲の向こうの七夕さまに
 
  毎年毎年同じお願い、
  たったひとつの同じお願い
  もうかなわないかと思っていたよ
  他のお願いなんて、もうできないのかと思っていたよ
 
  去年まではね
 
名雪の眼の端に涙がにじんで、
俺はそっと、頬に触れて、指で涙を拭ってやる
 
「なあ、名雪、その願い事はかなったか?」
「うん、」
「だからお礼に大きな笹なんだよ」
涙に潤む眼で、顔は笑って、
うれしいときの泣き笑い
 
今夜はすっかり晴れ渡って、降り出しそうな星の夜
 
「なあ、名雪、俺もお礼を言わなきゃな」
「七夕さまに?」
「いいや、」
 
「俺の分も願い事をしてくれた女の子に」
 
そっと、肩に手を回して、
「ありがとうな、名雪」
そうささやく
 
名雪は、眼の端の涙を自分で拭って、
へへっと、照れ隠しに笑ってみせる
 
「ねえ、祐一、じゃあお礼は?」
「名雪にか?」
「そう、わたしに」
「何がいい?イチゴサンデーか?」
 
「ううん、違う、七夕さまに誓ってほしいよ」
「何をだ?」
「今、祐一が思ってること」
「七夕さまに誓うのか?」
「うん、そうだよ」
「もし破ったら罰があたるよ」
と、笑顔の名雪
 
「なあ、名雪、俺が間違ってなければ、七夕さまは 罰なんか当てないと思うんだが」
「ううん、当てるよ」
「どんな罰?」
「大好きな人と一年に一回しか会えなくなるよ」
 
「それは、いやだな」
「そうでしょ」
「じゃあ、誓うか」
「うん、誓って」
 
そうして、俺は目をつぶって、半信半疑で誓いを立てる
 
 
  もう、二度と、名雪のそばを、離れません、と
  悲しませることがあっても、傷つけることがあっても
  最後には笑顔でいられるように、
  ふたりいつでもそばにいます、と
 
 
「誓ったの?」
「誓ったぞ」
「何を誓ったの?」
「秘密だな」
「ずるいよ〜」
「口にすると、御利益が薄れるからな」
「あ、そうだね」と名雪が言う
 
俺は立ち上がって、笹についてる短冊のひとつを見る
”けろぴーが幸せになりますように”名雪の字だ
 
「なあ、名雪、けろぴー増えてるよな」
”うん、けろぴーだけ一人きりじゃ可哀相でしょ”という返事
「もう一匹はなんて名前だ?」
「うん、けろぷー」笑顔で答える名雪
ネーミングセンスに、成長の跡は見られなかった
”けろぴーがメスでねえ、けろぷーはオスなんだよ”と続ける
「そうか、いつのまにか3匹になってるといやだな」
「だ、大丈夫だよ、まだ高校生だし」
顔を真っ赤にしている名雪
一瞬、考えて、俺も自分が赤くなるのがわかる。
「も、もう少し大人になってからだよ」
名雪がもうひとつ駄目を押す
 
 
 
「ねえ、祐一、ホントは何を誓ったの?」
俺の方にもたれかかって、名雪が、ささやくように言う
「本当はな...」
そう言いかけた俺の唇を、柔らかい唇がやさしくふさぐ
星降る夜の、柔らかな口づけ
そっと、離れた名雪が言う
 
「口に出すと、ご利益が無くなるんでしょ」
 
 
☆ ☆ ☆
(Sweet Ballad for Lovers - Under The Stardust-)
☆ ☆ ☆
 
 
 今年も七夕ね
 
湯船につかりながら私は思う
今年も私の願いは同じ
 
 名雪が幸せでいれますように
 一年間、みんなが健康でいれますように
 
そして、新しい、お願いがひとつ
 
 ふたりが、幸せになれますように
 
お風呂を出て、二階に上がる
名雪の部屋のドアを叩こうとして、声に気づく
何かを話してる、小さな声
幸せそうな、ふたりの会話
 
私は、その手を止めて、
階段を降りて、部屋に戻る
 
  7年越しのお願いだものね、いっぱい、幸せにしてもらいなさい
 
 
 
 
「あれが彦星さまでねえ、あっちが織り姫さまだよ」
俺の肩のあたりから聞こえるささやき声
くすぐったいような髪の匂い
 
「ねえ、祐一」
そう言って見上げる名雪の顔が、俺の目の前にある
「祐一も何かお願い事書きなよ」
「そうだなあ、”名雪が朝寝坊しなくなるように”っていうのはどうだ?」
「なんか、あまりうれしくないお願いだよ〜」
「そうか、じゃあなあ、」
俺は、ちょっと考えこむ
 
  笹の葉さらさら...
 
名雪が静かに歌い出す
 
それは、不思議な甘い声で、俺の心にしみわたる
 
俺はそっと名雪の肩に手をまわして
名雪をもっと引き寄せる
 
「なあ、名雪」
”何”と答える名雪の唇
「もう一回うたってくれないか、今のうた」
「俺が願い事を考える間」
”うんいいよ”と笑顔で言う
瞳を閉じて歌い出す
 
降ってきそうな星の夜
まばゆいくらいの星たちの下
近くで感じる名雪の吐息
 
やさしいメロディーを奏でる唇
やわらかく動く唇に
そっと近づこうとして、やっぱりやめた
 
今はたぶん、聴いてるほうが心地いい
たぶん、キスより心地いい
 
星降る夜、やさしく流れるあまいうた
年に一度のあまいうた
 
 
・・・おほしさま きらきら きん ぎん すなご・・・
 
 
俺の願い事
 
来年も、再来年も、何年経っても、
この場所で同じやさしさで
名雪がこのうたを歌えますように
俺がその歌を聴けますように
 
 
 
かなうといいよな
 
 
 

END


 
 
 
【初出】1999/7/7 【修正】1999/7/15
【One Word】
ああ、七夕ですとも。(笑)
いや、ホント七夕なんて気にしないよね、普通に暮らしてると。
Kanonゆえに、ですね。
多くのコメントは必要ないですね。いつまでもお幸せに。
(1999/7/15)



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