『二人のための甘いバラード −Autumn Tale−』
 
 
  自分では 忘れてるはずなのに もうこだわってないはずなのに
  なにかの拍子に思い出して 思い出したらすごく気になること
  そういうことって きっと誰にでもあるよね
 
 
駅前のベンチ
なにも映していないような瞳で座り込む少年
わたしの精一杯の勇気
「これ、祐一のために作ったんだよ」
「この街を、わたしを、忘れないでいてほしいから」
「わたしは、祐一のことが...、」
少年の手がゆっくりと動いて、
小さな雪うさぎが、
ゆっくりと、
地面に落ちる
何度手を伸ばしても、
けして、雪うさぎを受け止めることは出来なくて
何度、夢で見ても、
わたしは...
 
 
「名雪、名雪っ」
誰かの呼ぶ声、体が揺れてる
「名雪、お昼だよ」
うー、お昼?
が、学校行かなきゃ
「うー、何で、お昼なの、祐一もっと早く起こしてよ〜」
眼を開けると目の前にはあきれた顔の香里
「ねえ、いい加減にそのパターンやめない?」香里が言う
周りを見回すと、クラスメイト達は何事もなかったかのように、
自分たちのご飯と会話に夢中だ
きっと、これって日常の風景になっちゃってるんだね
少し、ううん、かなり恥ずかしいかも
「パターンって言われてもこまるよ〜、わざとやってるんじゃないんだし」
「幸せなのもいいけど、名雪、最近力抜け過ぎじゃない?」
厳しいお言葉、でも、確かにそうかも
夏の大会で部活も引退しちゃったし、
祐一といられる時間が増えたのは嬉しいけど
ちょっと、たるんでるかなあ
「まあ、いいんだけどねえ、幸せそうだから」
「さ、お昼にしよう」
香里の言葉を合図に私たちはお弁当を開く
 
5時間目、
授業が頭に入らない
久しぶりに見た夢
かなしい冬の夢
何度手を伸ばしても、わたしの手から落ちていく雪うさぎ
イチゴサンデー7個分
一年間に一個分のイチゴサンデー
それで終ったはず
たぶん、わたしの思いには釣り合っていたはず
もう、あの夢は見ないと思ったのになあ
 
斜め前には頬杖をついて、少し退屈そうな顔で前を見ている男の子
夢の中の男の子の面影をほんの少しだけ残して
すこし遠く感じるのはわたしのせいだね
また、この話したらきっと心配かけちゃうよね
いつまでも、うじうじしてるみたいでやだな
でも、
どうして、
あの夢を見るんだろう?
 
なんとはない担任の話が終わると、放課後の時間がやってくる
あちこちで別れの言葉が交わされる
いつもの放課後
「香里、」
「なに?」
「今日は、時間あるかなあ」
「わたし?わたしは大丈夫だけど、」
”相沢君と一緒に帰るんじゃないの”と、祐一の方を見ながら目で訊ねる
「じゃあ、久しぶりに商店街につき会ってくれるかな」
「え、ええ、いいわよ」
ちょっと怪訝な表情で、でも、かばんを取って歩き出す、香里
「祐一、ごめんね、今日は香里と帰るから」
どこか、ぎこちないのが自分でもわかる
「おう、わかった、」
いつもの、声
 
傾きかけた太陽、冷たさを増した風
冬の制服にもそろそろ慣れはじめて
雪の季節の到来を待つ、冬のための準備の季節
 
「ねえ、名雪、何かあったの?」
香里の少し心配そうな声
二人の間には湯気の立つティーカップ
「えっ、どうして」
「イチゴサンデー食べないから」
「ひどいよ〜、香里、イチゴサンデーでわたしの気持ちをはからないでよ〜」
「冗談よ」やさしく笑う、香里
放課後の喫茶店には、私たちと同じ制服も目について
あちこちで大きな笑い声、楽しそうな雰囲気
「ねえ、香里」
「うん?」
「自分では...、自分ではもうこだわってないはずなのに」
「もう忘れてもいいって思ってるのに、忘れたいって思ってるのに、」
「それでも思い出してしまうのって、どうしてなのかな?」
香里は一度ティーカップに目を落として、そしてわたしを見つめて言う
「きっと、それはとても大事なことだからじゃないかな」
「もし、それが悲しいことだったとしても、きっと大事なことなんだよ、名雪にとって」
「そう、かな」
「もしかしたら、」
”忘れちゃダメだよって、誰かが言ってるのかもね”
 
 
 
♭♭♭♭♭♭♭♭♭♭♭♭♭
 
 
 
「朝〜、朝だよ〜、」
「朝ご飯食べて学校行くよ〜」
いつもの朝、窓から射し込む陽の光も透明感を増して
少しベッドから出るのが億劫になるような、朝
 
昨日の名雪は、少し変だったな
晩ご飯のときにもボーっとしてたしな
いつも、ボーっとしているように見える名雪にも、実は何通りものボーっと仕方があって、
今の俺の中ではかなりその区別が付くようになっていた
嬉しそうなボーっ、さみしげなボーっ、なにも考えていないボーっ、
それは、俺にとっては嬉しいことで、
でも、まだまだ秋子さんにはかなわないな
いつか追い越せる日が来るといいんだが
 
「名雪、起きろ、また朝だぞ」
いつものように扉を叩く
いつものように返事がない
「名雪、学校行くぞ」
扉を開くと
透明な光で満たされた部屋には名雪の姿はなくて
ベッドの上にはけろぴーとけろぷー
”あいつ、ベッド狭くて寝苦しいんじゃないのか?”
大きなぬいぐるみを見てそう思う
 
「おはようございます」
「おはようございます、祐一さん」
香ばしいコーヒーの匂い、フライパンのじゅっという音、パンの焼ける匂い
それらが混ざり合った朝ご飯の空気
いつもの朝、かけがえのない繰り返し
いつものように秋子さんが笑顔で迎えてくれる
そして、食卓には、いつもよりもボーっとした様子の名雪
眠い、ってわけでもなさそうだが、
けれど、名雪が秋子さんの手伝いもせずに座っているのもめずらしい
 
「おはよう、名雪」
一瞬の間
「おはよう、祐一」
声をかけられてはじめて気づいた様子で
”はははっ”と乾いた笑い、何かをごまかすように
「名雪、具合でも悪いのか?」
「えっ、えっ、そ、そんなことないよ」
”お母さん、わたしも手伝うよ”と、台所に消える
あからさまに様子がおかしいな
まあ、でも病気って訳でもなさそうだしな
俺は台所に立つ二人の背中を見ながら考える
 
今日は土曜日だ
午前中の授業だけで、学校も終わる
やはり、名雪の様子はおかしい
特に沈んでるってわけでもないし、体調が悪そうにも見えないけれど、
でも、微妙にいつもと違う、まるで、自分の中の世界に閉じこもろうとしてるような
そんな、微妙な違和感
 
スピーカーから少し割れたような音のチャイムが流れる
あとはホームルームだけで今日の学校はおしまいだ
「なあ、名雪」席から立ち上がって、名雪の席の方に向かう
「今日は、帰りに商店街でも行ってみるか?」
元気がないのが気になるしな
「うん、そうだねえ、」少し躊躇している
がらがらっと扉の開く音
”担任かな?”とそちらを見ると、
よく陽に灼けた、短い髪の、細い体の女の子が立っている
誰かを探しているように教室を見渡す、リボンの色からすると二年生だろう
こっちを見て、探し物を見つけたような顔
俺、あんなヤツ知らないよな?と自問自答をしていると
「名雪せんぱーい」ぶんっぶんっと、音が聞こえそうな勢いで手を振りながら呼ぶ
「あっ」名雪が立ち上がってその娘の方に向かう
なにやら二人が会話をしているうちに、今度は本当に担任が入ってきて、
ホームルームが始まる
 
”ごめんね祐一、今日、後輩に頼まれて部活に顔出さなきゃいけなくなったの”
そう言ったときの名雪はなぜか、ホッとしているように見えた
”俺、最近なんかやったかな”名雪を怒らすようなこと、悲しますようなこと
そう自問自答しながら下駄箱に向かう
心当たりが無いと言えば無いし、あると言えば、いくらでもあるような気がして、
軽い頭痛を覚える
自分では気がつかないうちに相手を傷つけることもあるしなあ
よく知っているつもりでも、相手の気持ち全部がわかるわけじゃないからなあ
 
下駄箱には、見慣れた後ろ姿
少しウェーブのかかった、柔らかそうな艶のある長い髪
「美坂、今帰りか?」
「あら、相沢君も?」振り向きながら、俺の右隣を確かめるように
「名雪は部活だってさ」訊かれる前に答える
「私、なにも訊いてないわよ」
「目が訊いてるよ」
「そうね」と柔らかな笑顔
 
「美坂、昨日、名雪と帰ったよな」
校庭を並んで歩く、名雪より少し高い位置に美坂の整った横顔がある
見る人に少し近寄りがたい印象を与えるような綺麗な横顔
自分を抱きしめるように体の前で手を組んでいる
「うん、帰ったわよ」こっちを向きながら言う
「なんかあったか?」
「なにかって?」
「様子がおかしいとか」
「様子は...」何か考えるように視線を空に向けて
「様子はいつもおかしいわよねえ」微笑みながら
「いや、それはそうなんだけど、」
俺は苦笑する
 
『”忘れたいのに忘れられないことがある”って話をしてたわね』
美坂の言葉が頭の中に残っている
 
名雪が忘れたくても忘れられないこと、
俺に対する態度を考えると、おそらくそれは俺に関係すること
俺の中の深い傷
そして、それと同じくらいに誰かを傷つけずにはいれなかった、
俺の弱さ
 
ゆっくりと名雪の手から離れる
真っ白な雪うさぎ
それは二度と手に戻ることはなくて
名雪の思いは地面に落ちて
砕け散って
 
”イチゴサンデー7個で許してあげるよ”
名雪のやさしさ
けれど、きっとそれで許されるはずもなくて
俺達二人はこの傷から目をそらして歩いて行けるのだろうか?
忘れてしまえるんだろうか?
 
忘れてしまってもいいんだろうか?
 
 
 
♭♭♭♭♭♭♭♭♭♭♭♭♭♭♭♭♭♭
 
 
 
久しぶりの部活
後輩達の声、そして懸命な表情
懐かしさと、もう自分が部外者だっていうことへの寂しさ
そして、少しのうらやましさ
時間は確かに流れていて、わたしたちの高校生活も終わりに近づいてゆく
 
運動場から見える山々の紅葉も、深い色に染まって
本当にもう少しで、雪の季節
祐一がこの街に来て、昔のことを思い出してくれてから、もうすぐ一年
”名雪は弱くていいんだ”
”俺がずっとそばにいるから”
でも、甘えてばかりでいいの?
弱いだけでいいのかな?
いつまでも、思い出にこだわっていていいの?
わたしは祐一になにもしてあげられないのかな?
 
答えは見つからなくて、祐一とどんな顔で話をすればいいのかさえ
わからくなってしまいそうで
 
校舎を、運動場を、そして運動場にいるみんなを紅に染める夕陽
秋の夕暮れ、もう少しでわたしの一番好きな季節
思い出の季節
 
 
 
(Sweet Ballad for Lovers −Autumn tale−)
 
 
 
夕食のテーブルでも名雪はほとんど話をしなかった
なにを考えているのか、ボーっとして、少し寂しげに見えた
”名雪、どこか具合でも悪いの?”
そんな秋子さんの問いかけにも、上の空で
”ううん、そんなことないよ”と笑った顔は元気がなかった
 
”お風呂、入っちゃってくださいね”
秋子さんに促されて、俺は夕食のあと風呂に向かった
湯船につかりながらぼんやりと考える
名雪のために、名雪が笑顔でいられるように、
そして、その笑顔で俺が満たされるために
俺はどうすればいいだろう?
 
風呂から上がった俺は、名雪の部屋の前に立つ
コンコンっと、明かりの漏れている部屋の扉を叩く
返事がない
ノブを回してゆっくりと扉を開ける
「名雪、入るぞ」
もしかして、もう眠ってしまったんだろうか
部屋の中は、白い暖かい光で満たされて
でも、ベッドの上には名雪の姿はない
 
俺はふと思い立って、窓を開き、ベランダに出る
白く高い月、月明かりにの中に沈む家々の青い影
そして、月光の中、同じように青く染まった名雪の姿
それは、本当に儚くて、抱きしめておかないと消えてしまいそうな気がした
 
「名雪、風邪ひくぞ」
「あ、祐一」
夢から覚めたばかりのようなおぼつかない口調
 
俺は名雪の隣に立って、ゆっくりと話をはじめる
「なあ、名雪」
「頼みがあるんだけど聞いてくれるか?」
じっと、俺を見つめている名雪
月に染まったように青く、深い瞳で
 
「イチゴサンデー、追加してもいいか?」
「イチゴサンデー?」少し怪訝そうな顔
「ああ、この前の冬、ここで約束しただろ、7年前の雪うさぎのこと、許してもらうのに
イチゴサンデー7つってさ」
「忘れたか?」
黙って首を横に振る、名雪
「7つじゃ足りなかったみたいなんだよな」
”えっ”という顔で俺を見る
「俺の大好きな笑顔を取り戻すのには、イチゴサンデー7つじゃ足りなかったみたいなんだよ」
「だからさ、何個でも追加するから、何個追加してもいいから、」
「それで、俺の大好きな笑顔を取り戻せないか?」
静かな湖面が揺らぐように、名雪の瞳が揺れて、涙がこぼれて
 
「祐一、わたし、まだ、忘れられないよ、」
「いくら忘れようとしても、いくら許したつもりでも、」
「でも、思い出しちゃうんだよ」
「あのときの雪うさぎが、」
「わたしの手から落ちて...」
「雪うさぎと一緒に、わたしの気持ちもこぼれ落ちて...」
俺はただ黙って名雪を抱きしめる
夜の風はもう十分に冷たくて、確かに冬の予感を孕んでいる
そして、俺の腕の中には小さなぬくもり、
けして手離してはいけない大切なぬくもり
 
「なあ、名雪」
「無理に忘れなくていいよ、」
「無理に許そうとしなくていいよ」
「たださ、」
「どうしても許せなくなったら言ってくれ、」
「そしたら、イチゴサンデーを追加するから、」
「もしそれでも許せなかったら、もっともっと追加して、」
言葉の途中で、ぎゅっと抱きしめられる
「祐一、ありがとう」
「大丈夫だよ、祐一がそばにいてくれるから、」
「わたしが元気ないときには心配してくれるから、」
「となりで元気づけてくれるから」
”ふたり一緒なら、悲しい出来事も、きっと大切な思い出になるから”
 
最後は、穏やかな笑顔、俺の大好きな笑顔
涙で潤んだ瞳が、月の光を映して、とても綺麗で
 
俺はゆっくりと名雪を抱き寄せようとする
 
その時、名雪の部屋の扉がノックされて、
”名雪、お風呂空いてるわよ”という、秋子さんの声
 
俺達は慌てて離れて、すこしばつの悪い笑顔を交わしながら部屋に入る
 
「ね、祐一、」名雪の部屋を出ようとすると呼び止められる
「なんだ?」
「じゃあ、イチゴサンデー3つね」
「あ?」
「イチゴサンデー3つで今回は許してあげるよ」笑顔で言う
”いや、あれは例え話であってだなあ、うーむ、名雪には高等すぎる戦術だったのか?”
でも、その笑顔は確信犯のようにも感じられて、
”まあ、いいか”
「わかったよ、イチゴサンデー3つな」
「うんっ」
大きな笑顔、俺の本当に好きな
「さっそく、明日行こうね、百花屋」
「ああ、」
 
そして、俺は、”いつかイチゴサンデーに頼らずに許してもらえる日が来ればいいな”
と思いながら、眠った
 
約束は果たされなかった
日曜日と月曜日は俺が、
火曜日と水曜日は名雪が、風邪で寝込んだから
 
俺の風邪(風呂上がりに長い間ベランダに出てたのが悪かったらしい)を看病したあとに
名雪が熱を出し、
名雪が寝込んだときには俺が看病した
 
”本当にわかりやすいふたりね”
と美坂には笑われた
”似たもの夫婦だな”
と北川に冷やかされた
 
でも、俺は嬉しかった、
名雪に看病してもらうことが、
名雪を看病できることが
 
 
 
 
  自分では忘れてるつもりでも こだわっていないつもりでも
  ふとした拍子に思い出して そしたら気になってしょうがないことってあるよな
  それがたとえかなしいことでも ふたりが一緒にいれば大丈夫
  かなしいことも きっと大切な思い出にかえられる筈だからな
 
 
 
 END
(dedicated for HILLBILLY BOPS)
 
 
 
【初出】1999/6/27〜28 key SS掲示板  【修正】1999/7/29
【One Word】
これUPする週にkeyの掲示板のサーバーメンテがあって、終わってみたら、過去ログが全部なくなっていたという悲劇が(笑)
しかし、ひどい話です。この事件を境に掲示板のメンバーもだいぶ変わった気がしますね。この事件がHPを開こうという決心をさせました。
本編の最後の方は、わざとさらりと書いています。
敬愛する西村しのぶ画伯の「VOICE」という短編の終わり方をちょっと意識してみました。
いいマンガなので見かけたら読んでみてください。
(1999/7/15 )


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