『二人のための甘いバラード』









 
 
「朝〜、朝だよ〜」
「朝ご飯食べて学校行くよ〜」
いつも通りの目覚まし、いつも通りの朝
俺はベッドから飛び出して、レースのカーテンを開け放つ
前の街に比べれば格段に湿気の少ない乾いた空気
けれど、それはかすかな熱気をはらんで、今日の暑さを予感させる
 
「名雪、学校行くぞ」
いつものように部屋の扉を叩く
いつものように返事がない
「名雪、起きないとおいて行くぞ」
そう言いながら扉を開ける
最初のうちは抵抗のあった、女の子が寝ている部屋の扉を開けるという行為も今ではすっかり慣れてしまった
もちろん、名雪以外に対してはできないことだが
 
ドアを開けるとベッドの上ではけろぴーが俺を迎えてくれた
開け放った窓から吹き込む風に揺れるカーテン
でも、部屋の主の姿はない
「また、テーブルで寝てんのかな」
つぶやきながら階段を降りる
 
「おはようございます」
「おはようございます、祐一さん、今日も良い天気ですねえ」
いつものようにやさしい笑顔で朝のあいさつを返してくれる秋子さん
この家に居候してからまだ半年位なのに、もうずっとこんな朝を迎えているような錯覚を覚える
それは、まるで体にしっくりくる、着古したジーンズのようで
俺にとって、とても心地いい
 
肝心の名雪の姿は食卓にもなかった
名雪の椅子にはけろぴーが座っているだけだった
”けろぴー”?
何かが頭にひっかかったが、気にしないことにした
 
「秋子さん、名雪知りませんか?」
「名雪は、今日は朝練があるからって早く出ましたよ」
”祐一さんは聞いてませんでした?”と付け加える
「そうですか」
目覚めたときの心地よい気分がしぼんでいくのを感じながら、俺は食卓につく
ただ、一緒に学校に行けないだけ
たまたま、名雪が朝練のことを言うのを忘れただけ
なのに、なぜか気分が沈む
「中学生じゃあるまいし」
そうつぶやいてトーストを囓る
「何か言いましたか?」
それを聞きつけて、秋子さんが台所から声をかける
「今日も暑くなりそうですね」
俺はごまかすように言う
 
(8:00AM)
 
まだ8時を回ったばかりというのに、かなり暑い
太陽もすっかり目を覚ましたように強い陽射しをそそいでいる
夏の大会に向けての朝練
ただ、今日の放課後の部活はお休みだ
久しぶりに部活のない放課後
久しぶりに祐一と過ごす放課後
今から気持ちが落ち着かない
それに、
それに今日はもう一つお楽しみがある
 
ふと空を見上げる
朝一番の飛行機が真っ白な飛行機雲を引いて飛んでいる
短い夏、この街で迎える18回目の夏
祐一と一緒の初めての夏
 
「名雪せんぱーい、ラストでーす」
後輩の声にわたしは走り出す
少し短くした髪を揺らしながら


 
(9:00AM)
 
結局俺は一人で学校に来た
心なしか、右側がさみしい
いつも名雪と一緒に登校する俺が一人なのを見て
クラスメイトや顔見知りがいろんな冷やかしを言ってくる
 
北川は黙って俺の肩を叩いて、二、三度うなずいただけだった
”うん、うん、全部わかっているさ、俺だけはおまえの味方だからな”ということを
表したかったらしい
はっきり言って、余計なお世話だ
美坂は「おはよう、相沢君」と言っただけだった
相変わらずクールなヤツだ
もっとも、ひと言、”やっぱりねえ”とため息混じりに付け加えることを忘れはしなかったが
何が”やっぱりねえ”か訊こうかと思ったがやめた
”言葉通りよ”という答えが頭の中で聞こえたから
 
そんなあたたかい友達のおかげで、俺の気持ちは少し落ち着いていた
ただ、授業の間の休み時間に名雪と話せないのが残念だった
名雪は熟睡してたから
 
そして昼休みを告げるチャイムが鳴ると、俺は北川達、男連中に拉致されるように
学食へ連行された
何でも、今日解禁の冷やし中華が絶品らしい
というか、俺、冷やし中華は苦手なんだが

 
(0:00PM)
 
「名雪、名雪っ」
誰かの声、いつもと違う気がする
「名雪、起きてってば」
うー、そうだ起きて学校行かなきゃ
「わかったよ祐一、今、起きるから」
 
そう言って眼を開ける
目の前には驚いた顔の香里
香里?
周囲を見回すと見慣れた景色、けれど、わたしの部屋じゃない
大声を出して立ち上がったわたしに、教室に残っているクラスメイトの視線が集中する
「ごめんね、相沢君じゃなくて」
香里は、こんなときにも冷静なツッコミを忘れない
「えっ、えっ?わたし何か言ったかなあ?」
顔が赤くなるのがわかる
無駄とは知りつつも、抵抗を試みる
「ねえ、”わかったよ祐一”って、名雪達って一緒に寝てるの」
香里がさらっとこわいことを言う
「寝てないよ〜、毎朝起こしてくれるだけだよ〜」
「ふーん、毎朝ねえ」
「香里、”ふーん”が嫌だよ」
「へえー」
「”へえー”も嫌だよ〜」
 
「まあ、いいわ、お昼、食べましょ」
そう言って、自分のお弁当箱を開く香里
「え、もうお昼?」
慌てて周囲を見回す
「祐一は?」
「なんか、北川君達に連れて行かれてたわよ、”冷やし中華が何とか”って」
「うー、そうかー」
「仕方ないなあ〜」せっかくお楽しみだったのに
”仕方ないなあ〜はないでしょ”っていう顔の香里の前に大きめのお弁当箱を置く
半年のお祝い
祐一がこの街に来てから
わたしの家に住むようになってから
 
せっかく朝早く起きて作ったのになあ
 

(1:00PM)
 
うーむ、かなり気持ちが悪い
やはり、冷やし中華のダメージは強烈だった
俺は頑なに拒否したのだが、北川達の気迫に押し切られて
結局、冷やし中華を食う羽目になった
出来れば、その情熱を他のところに向けてほしいものだ
 
8年振りの冷やし中華、もしかして結構いけるのではという淡い期待もあった
成長すると嗜好も変わるというしな
視覚はそれを拒否していたが、思い切ってひと口食べる
...だめだった
大体、俺はキュウリが苦手だ
その上、酸っぱい系も得意ではない
そんな俺にこれほど向かない料理もないんじゃないか?
”北川、この恨みはかならず晴らすからな”
そんな呪いの言葉を思い浮かべつつ、俺は眠りに落ちる
 
それにしても、気持ち悪いぞ
 
 
目が覚めると、かなり気分は回復していた
大きな伸びをしてあたりを見回すと周りには誰もいない
校庭からは運動部の声が聞こえる
どうやらホームルームも終わってみんな帰ってしまったらしい
 
名雪の席にも、もちろん誰もいない
”祐一、明日は商店街に行こうね”って言ってたくせにな
”久しぶりだねえ、二人で遊びに行くの”って言ってたくせにな
 
一気に気分が沈む
「しょうがねえなあ」
わざと口に出して言って席を立つ
あてもないし家に帰るしかないか
それにしても名雪はどこに行ったんだ?
まったく
 
(4:00PM)
 
うー、こんな時間になっちゃったよ
今日は部活もないはずだったのに
今日は祐一と遊びに行くはずだったのに
 
ホームルームが終わってすぐに顧問の先生に呼ばれた
しかも、先生直々に私たちの教室まで来て
”水瀬、夏の大会の選手だけどなあ...”だって
別に今日でなくてもいいのになあ
 
祐一に声をかける暇もなかった
でも、きっと教室で待っててくれるよね
約束したんだから、久しぶりに商店街に行こうって
約束のイチゴサンデー7個分の残りを食べに行こうって
 
わたしの全速力で教室に急ぐ
ドアを勢いよく開ける
誰もいないよ、どうして?
 
(4:30PM)
 
それにしても今日は暑い
日に照らされて歩いていると、冷やし中華のダメージが蘇ってくる
 
「ただいま」
力無くドアを開けて声をかける
「お帰りなさい、早かったんですね」
パタパタという足音とともに秋子さんの声
「あら、名雪は一緒じゃないんですか?」
玄関まで出迎えてくれた秋子さんが言う
「一緒じゃありません」
思わず口調が荒くなる
全く、秋子さんにあたっても仕方ないのにな
俺は軽い自己嫌悪を感じながら部屋に戻る
かばんを放り出してベッドに寝っ転がる
 
(5:00PM)
 
もうすぐ一時間経つ、誰もいない教室
いつの間にか雨雲が空を覆っている、教室の中も薄暗い
どうしようかな、祐一、帰っちゃったのかな
だいたい、どうして待っててくれないんだろう
約束したのに、楽しみにしてたのに
うー、今日はなんか巡り合わせが悪い
山羊座の運勢悪いのかなあ
 
そんなことを考えていると、突然ドアが開く
わたしは驚きと期待を込めて入口を見る
「祐一?」
「今日、二度目」
香里が言う
「香里か〜」
「”香里か〜”じゃないでしょ、勝手にがっかりしないでよ、何やってるの、一人で」
「う〜ん、何やってるってことはないんだけど」
「そう」
 
香里は自分の机から何か取り出している
「香里はどうしたの?」
「忘れ物取りに来たの、一緒に帰る?」
「うーん」
もう帰っちゃおうかなあ
「雨、降りそうだよ」
香里が言う
 

(5:00PM)
 
ほんの少しの眠りから覚めると部屋は真っ暗だった
そんなに長い間眠ったかと思って時計を見る
帰ってきてからまだ30分も経っていない
 
「祐一さん」
コンコンという、静かなノックとともに秋子さんの声
「はい?」
「今日は何かあったんですか?」
ドア越しの会話
「いえ、別に」
思わず、素っ気ない返事を返してしまう
 
少しの間何か考えているような気配
「祐一さん、お昼はどうでしたか?」
「昼?昼は最悪でした」
俺は意外な質問に戸惑いながら答える
「最悪?」
”おかしいですねえ”というひとり言
「私が味見したときは美味しくできてましたけどねえ」
”味見?”学食の冷やし中華を?
「いや、昔から苦手なんですよ」
「昔から苦手?」
「おかしいですねえ、昔は喜んで食べてくれたのに」
ちょっと待ってくれ、話がかみ合ってない感じがする
俺はベッドから立ち上がってドアを開ける
秋子さんが頬に手をあてて立っている
「俺、昔から冷やし中華はダメですよ」
「冷やし中華?」
秋子さんの少し驚いた表情
これは普通の人の驚愕の表情に値するだろう
貴重なものを見た
「私、冷やし中華は教えてないですよ」
そりゃあそうだろう、いくら秋子さんでも学食の料理指導までやっているとは
俺にも思えなかった
 
突然、稲光が走る
少し遅れて雷鳴
雨が激しい音をたてて降りはじめる
 
 
俺は家を飛び出していた
外はまるで南の島のスコールのような雨
道路に当たった雨粒が勢いよく跳ね返るくらいの強さで降っている
 
俺は学校に向かって走る
時折、雷の音が聞こえる
”名雪は、雷、苦手だったっけ?”そんな疑問が浮かぶ
だけど、俺の中に答えは見つからない
そうか、冬しか会ったことなかったからな
もう、ずいぶん長い間一緒にいて、何でも知っているつもりだった
けれど、まだまだ俺の知らない名雪はたくさんいる
 
”今日は半年のお祝いだからって、朝早く起きてお弁当つくってたんですけどねえ”
秋子さんの言葉
 
まったく間が悪いよ
俺は舌打ちしながら、学校への道を走る
 
肩や足に当たる雨は痛いほどで
傘ではとても防ぎきれない
きっと、名雪は教室にいる気がして
俺は走る
 
靴を脱ぐのももどかしく校舎に飛びこむ
階段を一気に駆け上がる
少し息を切らしながら暗い教室の扉を開ける
 
「名雪っ」大きな声で名前を呼ぶ


 
(5:30PM)
 
稲光が走った
ゴロゴロという雷の嫌な音が響く
雨も降り出したみたいだ
 
結局、まだ私は教室にいる
もうこんな時間なのに
せっかくのお楽しみの日だったのに
今日は祐一とひと言も話していない
さみしいよ
何で待っててくれなかったんだろう
ひどいよ
お昼も一緒に食べれなかった
せっかくお母さんに教えてもらったのに
新しいメニューだったのに
”お楽しみ”だったのに
 
また雷が鳴る
思わず耳をふさぐ
心細いよ
わたし家に帰れるのかなあ?
 
 
突然、大きな音をたてて扉が開く
雷かと思った
びっくりして入り口を見る
「名雪っ」
わたしの名前を呼ぶ声、聞き慣れた声、大好きな声
「祐一っ」
そう言って駆け寄る
抱きつく
祐一のシャツが雨で濡れている
わたしは雨の匂いに包まれて
今日、はじめての、大好きな人のぬくもりを感じる


 
(6:30PM)
 
「ホントに夕立だったねえ」
少し間延びした口調で名雪が言う
嘘のように雨は去って、道に残った水たまりを夕陽が紅く染めている
 
「なあ、名雪、」
「弁当うまかったか?」
「うん、はじめて作ったけど美味しかったよ」
”香里も美味しいって言ってくれたしね”と言って微笑む
いつもの笑顔
 
「じゃあ、今度俺にも食わしてくれよな」
「うーん、どうしようかなあ、祐一、約束守らないからなあ〜」
「だから、それは違うって、俺が起きたら誰もいなくて、名雪もいなくて、」
「寂しかった?」
いたずらっぽい瞳で言う
俺は一瞬言葉に詰まるけど、
「ああ、」
素直に答える、きっと、ホントに今日は寂しかったんだろうな
名雪と話せなくて、名雪と一緒にいれなくて
 
「へえ〜」
名雪がうれしそうに言う
「でも、教室に来てくれたからいいよ、特別に許してあげるよ」
「イチゴサンデー三つね」
だから、お前の気持ちはイチゴサンデー以外に換算できないのかよ、と思ったけど
俺は素直に受け容れることにする
「わかった、イチゴサンデー三つな」
「うん」
いつもの笑顔
 
二人で歩く帰り道
俺の右側には名雪がいる
もうずいぶん長い間そうしてきたように
それはしっくりと体になじむ、洗いざらしのシャツのようで
俺にとっては、心地いい
 
「なあ、名雪」
”何っ?”ていう顔でこっちを見る
「今年の夏は海行こうな」
「うん、わたし新しい水着買うよ、」
「どんなのがいいと思う?」
「カエル柄」
即答する
「うんっ、カエル柄にする」
即答が返ってくる
「いや、冗談なんだが」
カエル柄の水着の名雪、
ちょっと一緒にいるのが恥ずかしいかもしれない
「うんっ、わたしも冗談だよ」
名雪がうれしそうに笑う
今日の俺、名雪に遊ばれてるのか?
 
気がつくと、二人、手をつないで
夕立がしずめてくれた空気の中を家に帰る
それはとても気持ちのいい夕方で
”二人でいれば大丈夫”
そんな安易な言葉さえ、無条件に受け入れてしまえるような
やすらかな気持ち
 
ふと思い出して足を止める
「なあ、名雪、そう言えば、
”けろぴー増えてたぞ”と続けようとして、
柔らかい唇に遮られる
 
名雪からの、ほんの短い、触れるようなキス
 
俺は名雪を引き寄せて、もう一度キスをする
抱きしめると、名雪の髪の毛がくすぐったい
 
名雪の髪の毛に残った雨の匂い
俺のシャツに残った雨の匂い
夕焼けの街に残った雨の匂い
それらはひとつに溶けあって
 
写真か何かのように、夕暮れの中、抱きあう二人
 
真夏の到来までもう少し
俺と名雪の最初の夏までもう少し
 

END 
(dedicated for HILLBILLY BOPS)

 
 
 
【初出】1999/6/23〜24 key SS掲示板
【One Word】
本人がいちばん驚いたというくらいのコメントをもらったSSです。
あまり、ラブコメ書こうとかいう意識はなかったんですがね。
題名は「HILLBILLY BOPS」という、古いバンドの曲名からです。
いい曲ですよ。
(1999/7/15)


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