”君にとどくまで愛を語ろう”
 


 
ずっと気になっていた。
 
俺の斜め前の席。
 
入学以来、使われたことのない席。
 
未だ姿を現さない、その席の主。
 
俺にとって、この学校で気になるのはそいつのことくらいだった。
 
あとはどうでもよかった。
 
 
誰が誰を嫌っていようが、
 
誰が誰と仲がよかろうが、
 
どの先生がやさしいとか、
 
どの先生がすぐに怒るとか、
 
勉強が難しいとか、
 
授業のすすみ方が早いとか、
 
 
誰が誰を好きだ、とか。
 
そんなことはどうでもよかった。
 
 
 
 
もちろん、自分自身のこともどうでもよかった。
 
むしろ、それに一番関心がなかったのかもしれない。
 
 
 
 
 
それは、あの冬からだった。
14才の冬。
俺がこの街に連れてこられた冬。
大切な人と永遠に引き離された冬。
 
 
 
 
大人達のために。
 
 
 
 
あの時から、俺の半身は白く冷たい雪の中にいる。
 
 
 
 
 
 
 
今もそのままだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
俺がそいつに興味を抱いていたのは、
周りのやつらの言葉のせいだった。
 
 
『不治の病』とか、
『奇跡』とかいう言葉が飛び交っていた。
 
 
 
ほぼ一年に達する欠席日数、
そのための留年、
『不治の病』の克服、
 
 
 
すなわち、『奇跡』の体現。
 
 
 
『奇跡』だと、
そんな言葉は何の価値もない。
 
 
 
起こり得ないことを諦めるための言葉、
自分を騙すための口実。
 
 
 
もしも、『奇跡』などというものが起こり得るのなら、
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
・・・あいつを俺に返してくれ・・・
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
だから、俺は早くそいつを見たかった。
 
 
『奇跡』の具現者。
 
 
もし、そいつが声高にそれを語るのなら、
俺はそいつを罵倒してやろう。
 
 
 
もし、そいつがそれを誇るのなら、
俺はそいつを叩きのめそう。
 
 
 
ただお前は少し運がよかっただけだと、
思い知らせてやろう。
 
 
 
だから、俺は、
その瞬間を楽しみにしていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
4月の中頃、
前の街でなら、
もうすっかり桜の花も散る頃、
だが、この街ではその盛りを迎える頃。
 
 
 
ある朝、教室に入ると、
その席に少女が座っていた。
 
 
 
 
実際の身長よりも小柄な印象、
肩までの柔らかそうな髪、
ほのかに朱のさす頬、
 
 
 
 
そして、確かな意志を秘めた瞳。
 
 
 
俺はひとめで理解した。
 
 
 
この少女が本当のかなしみを知っていることを、
 
本当のさみしさを知っていることを、
 
本当の闇を知っていることを、
 
 
 
 
本当の『奇跡』の具現者であることを。
 
 
 
 
もし、この少女にそれを問うたらこう答えるだろう。
 
「わたしがここにいるのは『奇跡』のおかげじゃない。」と。
 
こう言って笑うだろう。
 
「わたしはただここにいたかっただけ、それを願っていただけ、それを願ってくれる人たちがいただけ。」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
俺にはわかるよ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
その少女はあいつと同じ瞳をしているから。
 
 
あいつと同じ空気を纏っているから。
 
 
あいつと同じように俺を惹きつけるから。
 
 
 
 
 
 
 
 
だが、俺はこれから何を思って生きればいい?
 
 
 
 
俺のささやかな生き甲斐、
 
 
 
理由のない敵愾心さえも奪う、
 
 
この少女を目前にして、
 
 
 
 
あいつには『それ』が起こらなかった理由を、
 
ただ問い続けなければいけないのか?
 
 
 
 
 
暗闇の中で、ただ自問を繰り返すだけなのか?
 
 
 
 
 
まだ、俺は泣き続けなければいけないのか?
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
・・・違う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
俺はこの少女に惹かれている。
 
 
美坂栞という名の、
一つ年上の少女。
 
 
幾多のかなしみをのりこえて、
 
幾多の苦しみをのりこえて、
 
それでも、なお柔らかく笑える
 
この少女の強さに。
 
 
 
こいつなら俺をわかってくれる、
 
 
俺の愚かさを叱り、
 
俺の弱さをたしなめ、
 
俺の深い傷を受け止めてくれる。
 
 
こいつとなら、
 
俺は前に進める。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
・・・進めるはずだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
なあ、
 
もう俺は進んでもいいか?
 
 
お前のことは連れて行くから、
 
 
ずっと、
 
俺の中で一緒だから。
 
 
お前も一緒に連れて行くから。
 
 
だからもう、
 
 
 
歩き出してもいいか?
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
俺は美坂を知りたい。
 
あいつが何を考え、
 
何をよろこび、
 
何に涙し、
 
何を愛するのか。
 
 
 
 
 
どんなかなしみを知り、
 
どんな苦しみに落ち、
 
どうやって、光を見つけたのか。
 
 
 
 
 
俺はそのすべてが知りたい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
雨、激しい雨の降る朝。
俺は、いつもより早く家を出る。
 
この時間に家を出て、この歩調で歩いて行けば、
あるいは、学校までの間で出会えるかもしれない。
 
それは、初めての試み。
あいつに近づくための小さなステップ。
 
 
前に並ぶ、ふたつの傘。
 
その一方は間違いなくあいつだな。
 
傘では隠せない雰囲気、
そんなものさえ感じ取れる。
 
俺は、傘をぶつけてこう呼びかけよう。
 
 
 
 
「よう、美坂。」
 
 
 
 
そして、あいさつの言葉をかけよう。
 
 
 
 
「美坂おはよう。」
 
 
 
 
あいつは何と答えるだろう?
 
俺に言葉をくれるだろうか?
 
どんな言葉でもいい、
 
生きた言葉をくれるのならば、
 
それが俺には大事な言葉。
 
 
 
 
 
 
俺はお前に語りかけよう。
 
 
何度も、何度も、重ねよう。
 
 
何気ない言葉を繰り返そう。
 
 
 
 
「よう、美坂。」
 
 
「おはよう、美坂。」
 
 
「美坂、またな。」
 
 
 
 
そんな言葉を重ねよう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
いつか、愛を語れる、
 
 
 
 
 
そのときまでは、
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
それが、俺の愛の言葉。
 
 
 
 
 


あとがきとお願い

藤井君って誰?と思われた方、あなたは正しい(笑)
彼は、全くのオリジナルキャラです。
興味を持たれた方は、”Can you hear my Heart Beat?”(step2)をご覧ください。
彼の出番が少々あります。
「お姉ちゃんばっかしずるいよー」という声が最近聞こえるので、栞SSを書こうかなと思いはじめています。
これは、そのための習作のようなものです。
自分の中で、藤井君というキャラのイメージを作るための。
というわけで、このSSは永遠にSS掲示板に投稿されることはないでしょう。
ですから、もしこれを読まれた奇特な方は、ぜひにコメントをください。
簡単な感想でも結構です。
それによって、栞SSの書き出しが早まるかもしれません。
保証は出来ませんが。

なにはともあれ、これを読んでくださった方、本当にありがとうございます。

HID
【初出】1999/7/27 HP「天國茶房」 内 創作書房


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