"After the Flood"
 
−side story of Swingin’ Days−
 
 
 
 
 
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目を上げれば君がいたから
僕はいつでも笑っていられた
 
いつでもそこに君がいたから
それが当たり前だと思ってた
 
時が経っても
何があっても
 
君は僕の近くにいると
そんな風に思っていたよ
 
 
 
 
 
 
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「ごめんね、潤」
 
紺色のセーラー服に赤いリボン、その上に濃紺のダッフルコート。
髪を肩の辺りで切り揃えて、きりっとした印象を与える眉をした少女が言う。
 
「やっぱり、潤とは友達でいたいんだ」
 
しっかりと俺の目を見つめる、潤いを湛えた瞳。
降りしきる雪の中、ふたりでひとつずつの傘をさして、
学校の帰り道、宵闇の漂うわかれ道。
 
「そ、そうだよな、今更だよな」
 
その瞳から目線を逸らせて、あははと、乾ききった笑い声のあとで、
俺はやっと、それだけの言葉を絞り出した。
 
中学三年間同じクラス。
何でも話せる友達、最初はそんなもんだろう?
それぞれが一度ずつの失恋をして、
お互いになぐさめあったりして、
好きな人ができたと言っては、俺に笑いかけ、
その人に彼女が居たと言っては、俺の前で泣いてみせた。
 
いつからだろう?
俺は、あいつにそういう話をしなくなった。
 
なぜ?って、
 
好きになった人のことを、
本人に相談するわけにはいかないからな。
 
そうだろう?
 
 
 
部活も一緒で、クラスも一緒で、帰り道も途中まで一緒、
俺の三年間の思い出は、すべてあいつに繋がっている。
だから、高校で別の学校に行くことが、悪い冗談のように思えた。
あいつの顔を見ない毎日がどういうものか、
俺は、そんなに想像力のある方ではないけれど、
そのさみしさ位は予想できた。
 
 
「気持ちはホントにうれしいよ」
 
「でもね」
 
 
顔を傾けて、言葉を続ける。
傘が傾いて、斜面ができる。
乾いた雪が、乾いた欠片が、はらはらと斜面を滑り落ちて行く。
両の手から、零れ落ちて行く、俺のあいつへの思いのように。
 
「いや、いいさ、急にこんな事言って悪かったな」
 
あいつの言葉を途中で止める。
聞きたくなかった、聞く勇気がなかった。
その言葉を聞いて笑っていられる自信がなかった。
 
傾いた姿勢、
不自然な姿勢、
そのまま、一瞬、あいつが固まる。
 
 
降りしきる雪、
乾いた欠片、
傘に触れては滑り落ちる、
思いの断片のような白いもの。
 
 
降りしきる雪、
乾いた欠片、
静かに静かに降り積もって、
やがて消えてく俺の思い。
 
 
 
遠い昔の別れの場面。
 
 
 
 
 
 
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俺には何かが欠けているのか?
 
人を好きになるための何か、
 
人に好かれるための何か。
 
 
 
 
俺には何にもできないのか?
 
打ちひしがれる大事な友達を前にして、
 
闇に閉ざされる愛する人を目の前にして。
 
 
 
 
 
 
 
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長い間、長い長い間、俺は逡巡していた。
高い飛び込み台の前で、しり込みをしていた。
 
あの雪の日のせい、
あいつが俺を受け容れてくれなかったから、
もう傷つくのがいやだったから、
もう失うのがいやだったから......、
 
 
........もう自分を否定されるのがいやだったから。
 
 
すべてを過去のせいにして、
すべてに後悔と名前をつけて、
俺は、自分を偽ってきた、
偽りの自分で生きてきた。
 
それが、心地よかったから、
それならば、自分は痛くなかったから、
適当に流して、適当に笑っていれば、
周りは俺をいい奴と言ってくれたから。
 
 
 
 
 
 
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最初は小さな穴だった。
 
それは、甘美な呪文だった。
 
俺だけに作用する魔法の言葉。
 
「おはよう、北川君」
 
「じゃあね、北川君」
 
「またね、北川君」
 
日々を重ねて、言葉を重ねて、
静かに俺の心の壁に小さな穴が開いていった。
堅固な石にもいつかは穴を穿つ水滴のように、
たとえ、あいつが望んだわけではなかったとしても、
あいつの言葉はそういう風に俺に作用した。
 
 
 
 
 
 
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雪の降らない冬の夜。
 
心に突き刺さるような星灯り。
 
あいつらが俺の背中を押してくれた。
 
相沢が俺に示し、美坂が俺を導いた。
 
あの凍てつく土の中から天使の人形を掘り起こしたときの感触、
俺は、けしてそれを忘れはしないだろう。
あのときの、相沢の、ぎりぎりに研ぎ澄まされた脆弱な渇望を、
きっと、忘れることはないだろう。
 
そして、幻のような、美坂の姿。
心に響いた美坂の声。
俺を導く大事な声。
 
雪の降らない冬の夜。
 
心に突き刺さるような星灯り。
 
 
 
 
 
それがきっかけで、
やがて、洪水は訪れる。
 
 
 
 
 
すべてを流し去る世界の終わりのような洪水。
世界を浄化する原初の洪水。
 
心の奔流はその洪水にも似て、
それは、突然に訪れて、
去ってしまえば、何でもなかった。
 
 
あれ程怖れていた心の痛みも、
本当に手に入れたかった愛には敵わず、
あれ程重かったつらい思い出でさえ、
本当に俺が求めた人への恋慕の前では無力だった。
 
 
 
 
 
 
 
俺が美坂の痛切な告白を聞いたときに感じた壁。
 
それは、美坂がつくった物ではなかったんだな。
 
 
 
 
 
 
 
洪水の去った後には、本物しか残らず、
俺は、あらためて俺自身と対峙する。
 
固めたはずの壁の中に取り残されていたもの、
遅すぎるぐらい遅かったけれど、
俺はやっとそれに気づけて、
俺はやっと自分に戻れて、
 
俺はやっと歩き出せたよ。
 
 
 
あのまっ白な別れの場面から....。
 
 
 
 
 
 
 
当然のように美坂を求めて、
当然のように美坂を支えて、
 
当然のような毎日が、
ただ幸せに過ぎて行く。
 
 
 
 
 
 
 
洪水の後に訪れたのは、
遠い昔の寓話のような豊穣の大地、
紺碧の空、降り注ぐ恵みの陽光。
 
 
 
 
 
 
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目を閉じれば君がいるから
僕はこんなに強くなれる
 
僕の中には君がいるから
前を向いて歩いていける
 
遠く離れてしまっても
この手が君にとどかなくても
 
君への思いを胸に抱いて
僕はしっかり歩いていこう
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

【初出】1999/9/3 Key SS掲示板
【One Word】
ある方のHPに贈ろうと思って書いたのですが、きわめて私的な内容になってしまいました。なので、贈呈をやめることにします。
中学時代の好きな子もなかなかかわいい子のようで、面食いか?北川君(笑)
HID
1999/9/6 



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