every little step −名雪−』
 
 
「名雪、起きろ」
ドアを叩く音、誰かの呼ぶ声
気持ちのいいまどろみ、覚醒と睡眠の狭間
「おい、名雪、学校行くぞ」
懐かしい声、もう少し、もう少し、このあたたかいベッドの中で聞いていたいような
 
「な・ゆ・き・お・き・ろ・」
声がすぐそこで聞こえる
何か体が揺れてるような気もする
ゆっくりと意識が戻る
「うにゅっ...」
目を薄く開ける
すぐそこにいとこの男の子の顔がある
「よし、起きたな、ほら、学校行くぞ」
「うー」
モタモタとベッドから出る
半ば無意識に階段を降りて食卓につく
 
大好きなイチゴジャムをたっぷりと塗ってトーストを食べる
「お母さん。今日こそ娘さんの頭にイチゴジャムを塗ってもいいですか?」
「ダメですよ、食べ物を粗末にしたら」
誰かがそんなことをしゃべってる
”そうだよ、もったいないよ、そんなことしたら”
”だいたい、だれのあたまにイチゴジャムぬるの?”
私はその誰かに言う
 
「よし、名雪行くぞ」
「いってきますー...」
冷たい空気、冬の朝の澄みきった風
「わ、どうして?」
「気がついたら、また、家の外」
「わたし、制服着てる」
「急がないと遅刻だぞ」
「でも、おなかはすいてる」
「そんなことない、さっきイチゴジャム食べてたぞ、うまそうに」
「うー、そう言えばそんな気もする」
「ほら、行くぞ」
そう言っていとこが歩き出す
わたしも後を追う
 
これは夢?
だって、前を歩いている男の子は、この街から、わたしたちの思い出から、去っていったはず
小さな背中で、大きなかなしみと悔恨を背負って
いとこの大きな背中をかけあしで追いかけながら、わたしはぼんやりと思う
 
「名雪」
ガンっと頭に衝撃
「痛い...」
「おまえ、また寝てただろ」
目が覚める、眼の端に涙が浮かぶくらい痛い
でも、覚めてもいとこの男の子は消えない
目の前であきれたような顔で立っている
「よし、ホントに起きたな、ほら走るぞ」
「うんっ!」
 
そう、そうだった
わたしたちの時間はまた動き出したんだ
長い間冷たい氷で閉ざされていたけれど、けして消えなかった思い
ただ、その時間はあまりに長すぎて、すぐに前のようにはなれないから
そう、だから今は一歩一歩すすんでいこう
わたしたちはまた歩きはじめたから
また、はじめることができたんだから
 
何気ない日常
朝起きて「おはよう」と言い、学校に行って友達と騒ぎ、
夜の食卓で一日のできごとを話し、お風呂に入って「おやすみ」と言って眠る
そんな繰り返しの中で、少しずつ、少しずつ、すすんでいこう
その先に何があるのかはわからないけれど
ふたりでなら、歩いていける気がするから
 
「ね、祐一」
となりを走るいとこに話しかける
「んっ、何だ?」
祐一がこっちを向く
走りながらしゃべると、冷たい乾いた空気が肺に痛い
「別に、何でもないよ」
わたしは笑ってみせる
”ただ、名前を呼んでみたかっただけだよ”
そうこころでつぶやきながら
いつか春が来て、冷たい氷が溶ければいいな、と思いながら
 
 

 
 
 
【初出】1999/6/15 【修正版】1999/6/24
 key SS掲示板
【One Word】
名雪です。
>一応、Forestageの続きの、ある朝の風景ということで。
だそうです(笑)このSS、ひとっつもコメントがつかなかったんですよね。
今まででこれだけですね、コメントつかなかったの(笑)
どこがダメなのかな?
(1999/7/14)

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