Kanon二次創作。ここでは初めての香里と栞です。改訂版。『同じ一つのドア』それはいつでもそこにあって、いつも同じ様な顔をしている。何ごとにも興味のなさそうな、何ごとにも動じないような、そんな少し冷めた表情。「まるで、あなたのご主人様みたいだね」わたしはそんなことを考えて、クスリと笑う。――――――――――――――「悪い、ちょっと待たせたか?」わたしに呼びかける聞き慣れた声。息を弾ませて、弾む息を白く漂わせて、笑顔で、あのときと変わらない笑顔で。「それにしても、」その人が言葉を続ける。「外で待ち合わせる季節じゃないよな、今って」そんな言葉、でも、不満の色はそこにはなかった。一月の下旬、学校の中庭。雪に閉ざされた、誰も来ない場所。ここで何度この人を待ったのかな、そんなことを考える。――――最初は冬。じっと足元を見つめて、細い細い一本橋を踏み外すことがないように歩いていたあの頃。踏み外すことが怖くて、橋の終わりがくるのが怖くて、いっそ飛び降りてしまおうかとさえ思っていた。でも、あなたが教えてくれたね。細い橋でも、顔を上げて、ずっと先を見据えて歩いていけば、けして踏み外すことはないって。橋の終わりを怖れていては、前に進むことなんてできないって。春が来て、桜が咲いて、夏になって、思いきり日焼けして、秋が訪れて、金木犀の甘い香りが二人を包む。そして、また冬が来て、わたしは相変わらず此処にいることができて、あなたは、わたしの隣で笑ってくれる。「寒いんだろ?」黙り込んだわたしの顔を覗き込むようにして、あの人が言う。「違いますよ、物思いに耽っていたんです」わたしはにっこりと笑って応える。「ちょっと、かっこいいですよね、“憂いを帯びた美少女”って感じで」「憂いを帯びてても、美少女でも、何でもいいから、そういうのは暖かいとこでやってくれ」あの人が呆れたような声音で言う。彼は受験生。年が明けてからは自由登校で、ほとんど学校で会うことはなくなっていた。だから、今日、彼と会うのは一週間ぶり。「祐一さん、しばらく会わないうちにつめたくなりましたよね」わたしはわざと拗ねたような口調で言う。「いや、つめたいとか、そういう問題じゃないだろ」「ううん、やっぱり、一緒にいる時間が減るとダメなんですよ」「栞」彼がわたしの名前を呼ぶ、笑いをふくんだ声で。「そんなこと言う栞は嫌いだぞ」わたしも笑う。彼がわたしの手を取ってそっと握りしめる。わたしも、ぎゅっと握り返す。そして、ふたり一瞬、視線を交わして、ゆっくりと歩き出す。白い回廊にふたりの足跡が刻まれてゆく。それは、わたしたちがくぐり抜けてきた季節に刻まれた軌跡のよう。それが、ふたり分のものであることがうれしくて。祐一さんとわたしの足跡であることがうれしくて。だから、わたしは彼の腕にそっと自分の腕を絡める。すこし、恥ずかしいけれど、でも、今はそうしたかったから。街を歩く幸せな恋人達のように、祐一さんと歩きたかったから。――――――――――――――それはずっとそこにあったのに、私は全然気づかなかった。皮肉だね、あんなつらい思いをしないとこんな簡単なことさえわからなかったなんて。私は自嘲の笑みをこぼす。最初から、あなたはあなたで、私の妹であるだけではないのにね。――――――――――――――暖かい空気に満たされた喫茶店。調度にふんだんに使われた木の匂いが心を落ち着けてくれる。いつもと同じ混雑した店内。ざわざわとした雰囲気も体にしっくりと馴染む。そういえば、この店であのふたりを見たことがあった。くるくると表情を変える私と同じ色の瞳の少女と、すこし、つまらなそうな顔で、でも、瞳には慈しみの光を湛えて少女を見つめる少年。そう呼ぶにはちょっと迷ってしまうような年齢のふたりなんだけど、でも、ふたりがつくりだす雰囲気はどこか初々しくて、どうしても「少女と少年」という印象を私に与えた。私はコツコツと小さくテーブルを叩く。店内に流れる音楽に合わせて。指先から堅い感触が伝わる。木を叩いたときの、乾いた感触。それは、私にあることを連想させる――――。扉を閉ざすのは簡単なようで、とても難しくて。扉を開くことは難しいようで、とても簡単で。必要なのは、ほんのすこしの小さな気持ちだけ。カランッ、カランッと乾いた音を立ててドアベルが鳴る。少し慌てた様子で、濃い藍色の瞳の女の子が入ってくる。私の顔を見つけて、表情が変わる。包まれるような笑顔。私を此処に繋ぎ止める唯一の鎖だったこともある表情。「ごめんね、香里、待った?」「うん、平気」「久しぶりだね」背負ったリュックのストラップから腕を抜きながら、彼女が言う。「元気に勉強してる?」私は笑いながら言う。「うっ」彼女が絶句して、ゆっくりと向かい側の椅子に腰かける。「その様子じゃ、イチゴサンデーが必要みたいね」「そうだね、取りあえずは」彼女がもう一度にっこりと笑った。時間は放っておいても流れてゆく。それには早いとか遅いとかはないんだと思う。私がたったひとりの妹を否定して、暗い闇を彷徨っていた時間、終わることなんかないと思っていた時間も、その後、一緒に学校に通うことができた、止まれとさえ思った時間も、本当はどちらも等質なはずで。だから、もしそれに価値を見いだそうとするならば、私にできることはたったひとつしかないのかもしれない。私ははじまりの場面を思い浮かべる。堅く閉ざされた扉。誰かが堅く閉ざした扉。その前に立ったあの日のことを思い浮かべる。冷えきった空気、夜の青色に沈んだ廊下、吹き抜けの窓から僅かに射し込む雪明かり。静かに扉に手をあてて、そのままの姿勢でどのくらいの時をやり過ごしただろう。やがて、ゆっくりと手は動く。有機物と無機物がぶつかって、堅い音を立てる。しんっと沈んだ廊下に乾いた音が響いてゆく。私の中の空洞にもそれは響いて。それは、こだまのように私の中を響き渡っていった。「―――――――よね」彼女が何か言っている。「あ、ごめん、聞いてなかった」香里、ひどいよ〜と言って、そして、もう一度繰り返してくれる。「いろいろあったけど、楽しい三年間だったよね」私は思わず口元を綻ばせてしまう。本当にその通りだと思う。あなたに言われると、これほど実感を伴う言葉もないね。―――――いろいろ、本当にいろいろあった、けれど、あなたはいつでもあなたのままで、そこであなたでいてくれたから、それに救われた日々がどれだけあったかな。けれど「何言ってるの、まだ、終わってないわよ」と、心とは裏腹な言葉を返す。「三年間を振り返る前に、目の前の問題を片づけなきゃでしょ」「う、せっかく、これのおかげで忘れてたのに〜」そう言って、彼女が目の前のイチゴサンデーを見る。そして、大きな笑い顔。――――――――――――――「わ、また雪降ってきましたね」わたしは手のひらを空に向けてはらはらと落ちてくる雪の欠片をいくつか受け止める。欠片たちは一瞬で消えてしまう。それがちょっと寂しくて、空を見上げてみる。濃灰色の空は白く舞う雪に埋め尽くされるようで、消えてゆくのを惜しむ間もなく、わたしの手のひらに次々と降り注ぐ。とめどなく、とめどなく、雪片が舞い降りては消えてゆく。「ほら、風邪ひくぞ」彼がそう言って、わたしの腕を掴んで、自分の傘の中に引き込んでくれる。わたしはなぜだかうれしくなって、その腕にぴったりと体を寄せてみる。胸に触れる彼の腕から伝わる感触。それは、他のなにものにも代えられないもの。わたしを満たしてゆく、あたたかいもの。「ね、祐一さん、」その姿勢のままで話しかける。「なんだ」少し照れたような顔で、ぶっきらぼうに聞こえる声で、彼が応えてくれる。「今日は、どうしても祐一さんに会いたかったんですよ」「そうか、俺なんか、毎日、栞に会いたいぞ」ふふっと笑って、彼の軽口を受け流す。―――――自然にこういう会話ができるようになったこと。それでさえ、ふたりにとっては積み重ねた時間の証明なのかもしれませんね。そう心の中で問いかけてみる。でも、口に出しては言わない。「わたしは、祐一さんがわたしのことを思うほど、祐一さんのこと思ってませんから」わざとそんな憎まれ口をきいてみる。「お、そういうこと言うか」硬い声。そして、わたしの腕の中から自分の腕を抜こうとする。わたしは慌ててその手をしっかりと掴む。「わ、わ、嘘ですよ」「何が嘘なんだ?」「えっと、“今日は”っていうのが嘘です。毎日でも会いたいです」―――――もうひとつ嘘をつきました。わかりますか?「じゃあ、何が本当なんだ?」声の硬さが消える。「ええっと、“どうしても今日は”っていうのはホントです」ふーん、ま、いいかと言って。わたしの聞きたかった言葉を彼が言ってくれる。「で、どうして、今日、俺と会いたかったんだ?」「えーっと、」わたしは準備してきた言葉を言うための間合いを測る。沈黙の上に静かに雪が舞い降りる。「秘密です」――――――――――――――通い慣れた喫茶店の扉を開けて外に出ると、いつのまにか雪が降り始めていた。「雪ね」「雪だね」ふたり、そんな意味のない会話を交わす。この街の冬ではあいさつにさえなれないような台詞。当たり前すぎて、わざわざ口にするまでもない言葉。けれど、それに意味を込めることはできる。その場限りの、そこにいる人にしか伝わらないものだとしても、思いを込めることはできるはずだ。「ねえ、名雪、前に雪は嫌いって言ってたわよね」「うん、言ったよ」彼女が応える。赤い傘の色が顔に映りこんで、すこし紅に染まった顔で。「今も?」「ううん、今は好きだよ」周囲に広がって行くような笑顔。「そう」理由は訊かなくてもいいわ、なんとなくわかるから。「香里も前に言ってたよね、“こんな雪の日は好きじゃない”って」ちょっと私の声音を真似て彼女が言う。私はすこし感謝する。私の謎かけに応えてくれた彼女に。―――――そう、私は白い雪が嫌いだった。ううん、昔から嫌いだったわけじゃない。いつの頃からかは憶えていないけれど、私の一番近くにいる人がその白い欠片に似ている。そう思いはじめた頃。それが、はじまりだったと思う。「そんなこと言ったかな」私はとぼけてみせる。「言ったよ、絶対」口を尖らせて、少しむきになった口調。「名雪、夢で見たんじゃないの」「う、ひどいよ、香里」あなたの言う通り。あの日、今日と同じあの店で、私はあなたに言ったよね。誰に縋ることもできないほど弱かった私から溢れてしまった言葉。時の重さに潰れてしまいそうだった心からはみだした言葉。それを聞いたときの、あなたの表情を憶えているよ。悲しそうで、寂しそうな表情、私のことを本当に心配してくれていた、あなた。ずっと、遠くの時間の表情。けれど、それは私の中に確かに残っているから。「いっつも、そうやって誤魔化すんだよね」まだ、ぶつぶつと文句を言っている彼女の表情が、傘の淡い紅に染まって美しい。私はふと視線を正面に移す。視界一杯に真白な破片が浮いている。それは、まるで静止画のよう。時が止まってしまったのかと見紛うばかり。「ねえ、名雪」横顔に視線を感じる。「雪ね」静けさが辺りを満たす。どうしてだろう、静けさと白い雪はよく似ている。時間と白い雪もよく似ている。「うん、雪だね」名雪の言葉が私を包む。――――――――――――――さっきから彼は黙り込んで、じっと前を見ている。彼の視線の先には、舞い散る雪の欠片たち。ひとつの傘にふたりで入って、人影のない並木道をゆっくりと歩いてゆく。特にあてはなくても、何も会話がなくても、こうしている時間はかけがえのない充足をくれる。「祐一さん」彼の名前を呼ぶ。「ごめんなさい」「何がだ?」やさしい声。「さっきの話」「どの、さっきだ?」「ううん、気にしてないならいいです」ぎゅっと、手を握る。すぐに握り返してくれる、やさしい力。今日はホントに特別な日なんですよ。お姉ちゃんがわたしのドアをノックしてくれた日。わたしから目を逸らしていたお姉ちゃん。わたしが暗いところに追いやってしまったお姉ちゃん。とてもかなしい瞳で、その扉を堅く閉じてしまったお姉ちゃん。その、お姉ちゃんがわたしのドアを叩いてくれたんですよ。去年の今日、とても、寒かった夜に。あなたがいなかったら、きっと、わたしはドアを開けなかった。ううん、ドアを叩く音をこの世界で聞くことさえできなかったかもしれない。だから、今日はあなたと過ごそうと決めてました。時間はあなたと、そして、思いはお姉ちゃんと。そうやって過ごそうって、ずっと前から決めてました。わがままですよね、でも、今日だけは許してくださいね。こんな贅沢なことができるなんて、思いもしなかったわたしだから、だから、今日だけは許してくださいね。わたしは、これからもあなたのそばにいるから。この扉をいつでも、開くことができるから。あなたが、それを望みさえすれば、いつでも、ここにあなたを迎えいれるから。「祐一さん」もう一度、彼を呼ぶ。わたしの瞳を真っ直ぐに見つめてくれる。彼の瞳の中に、わたしが映っている。「ね、ありがとう」彼はただ微笑みをくれる。――――――――――――――読んでくださって、ありがとう。コメントもらえるとうれしいです。HID補記:掲示板追悼用に書いたSSを大幅に加筆修正したものです。一度読まれた方には申し訳ないですが、また読んで感想聞かせてもらえるとうれしいです。