呼び出し音が四回響き、カチャリという音がしてラインが繋がる。わたしは息を呑んで、一瞬ためらう。
 聞き慣れた無機質な電子音声が、電話の主の不在を告げる。その声に申し訳無さそうな響きを感じたのは、わたしの気のせいだろうか。
 そんなことをぼんやりと考えていたわたしを、唐突な電子音が現実に引き戻した。
 とっさのことに、何も言えずにわたしは受話器を置いてしまう。
 耳元で祐一が文句を言う声が聞こえる。
『ったく、お前は。メッセージ入れないときは音が鳴る前に切れって、いつも言ってるだろ』
 わたしは、幻の声に思わず笑ってしまう。
 そして、次の瞬間には不意に塊のようなものがこみ上げてきて、涙が溢れそうになる。笑いながら泣きそうな顔をしてるわたしを見たら、祐一は何て言うだろう。
 泣くなよって、怒ったように言うだろうか。それとも、ひどい顔してるぞって、笑うだろうか。


 ねえ、祐一。
 文句でもいい。怒られてもいいから……。
 ……声が、聴きたかったよ……。











  帰ってくれたらうれしいわ
  You'd Be So Nice To Come Home To











 見慣れた街も、この季節にはどこか華やいで見える。
 緑と赤のきれいな飾り付け。この季節だけのための音楽が、行き過ぎる人たちの喧燥と混ざり合って、独特の雰囲気を作り出している。
 昔、小さな子供の頃のわたしは、ほとんどの子供たちがそうであるように、この季節がとても好きだった。けれど、好きの理由が、他の子供たちとはたぶん違っていた。
 その理由が消えてしまったとき、わたしはこの季節が嫌いになった。ううん、嫌いと言うと大げさかもしれない。この季節になれば、リビングには小さなツリーが飾られたし、お母さんの作る美味しいケーキを口にすることもできた。もちろん、プレゼントだってもらえた。
 そういったことはうれしかった。でも、それを指折り数えて待つ気持ちはなくなっていた。二年前、祐一が再びこの街に来るまでは。

「ごめん、待った?」
 白い息を撒き散らしながら、香里が走ってくる。ファーのついた濃い茶色のコートの落着いた雰囲気が、香里に良く似合っていた。
「ううん、平気。コートいいね」
「ごめん。ありがとう」
 香里の言葉に疑問符を浮かべたわたしに、香里がにっこりと笑って言った。
「遅れて、本当にゴメン。コート褒めてくれてありがとう」
「どういたしまして」わたしもそう言って笑った。
 そんな短い会話だけで、久しぶりに会ったのが嘘のように、いつものわたしたちが戻ってきていた。




「それで、私は何を聞けばいいのかしら?」
 久しぶりに入った百花屋。店の中も、外の空気がそのまま運ばれてきたかのような、華やかな雰囲気。きっとその運び手に違いない、お客さんの大半を占める、わたしたちと同じくらいの年齢の女の子たちは、少し先に自分たちに起こるだろう、素敵な出来事への予感でどこかそわそわとしているように思えた。
 そんなことをぼんやりと考えながら、店内をゆっくりと見回している間に、お店のマスターが、わたし達の注文したものを自ら出してくれた。
 時間のせいだろうか、時期のせいだろうか、テーブル席に空きを見つけられなかったわたし達は、カウンタに並んで座っていた。注文の品物が並ぶのを待って、自分のカフェオレをひとくち飲んだ後で、香里が口を開いた。わたしは香里を見て、ゆっくりと自分の紅茶に手を伸ばした。そっと口をつけた。思ったよりも熱くて、口の中を少しやけどしてしまった。それだけのことが、何だかとても悲しいことのような気がして、涙がこぼれそうになった。
 香里はそれ以上は何も言わずに、もう一度、カフェオレを口に運んだ。その香ばしい匂いに混じって、香里がつけてるコロンの匂いがほのかに漂った。
「な、何から話せばいいかな」
 わたしはやっとそれだけ言った。声が震えないようにするだけで、精一杯だった。
「何でも。好きなことから」
 香里がそう言って、わたしを見た。真剣な表情、整いすぎていて冷たくさえ見える表情が、わたしの顔を見て、一瞬で綻んだ。
「えっ、何?」
「ん、名雪が今にも泣き出しそうな顔してるから。おかしくて」
「うー、ひどいよ香里」
「あら、ひどいのはどっちかしら」
「えっ?」
「買い物の間も、ずっと、ぼーとしてたでしょ。私がいくら相談しても、全然上の空で…」
 まるで、あいつと一緒に買い物してるみたいだったわ、と続けて、しまったというように、形のいい手を口許に当てた。
「あいつ…って?」
「え、えっと、それは今大事なところじゃないから、いいのよ。ほら、名雪の話し」
 香里が、めずらしく慌ててそう言う。わたしは、それがおかしくて笑ってしまう。
「わ、笑わないで」
 香里がそう言って、拗ねたように前を向く。すぐに思い直したように、わたしの方を見て言う。少し真面目な口調で。
「話して。聞くくらいしかできないけど」
 わたしは大きく頷いて、口を開く。胸につかえている重い固まりを、少しずつ取り出して、香里に伝えるために。






 聞き慣れた呼び出し音が、響いてくる。わたしは、ゆっくりとその回数を数える。気持ちを落ち着けるために。慌てて、電話を切ってしまわないために。
 1…、2…、3…、4。まるで、何かのカウントダウンのように。
 ガチャリ。いつもと同じ回数でラインが繋がる。一瞬の空白の後、聞こえてきたのは、やはりいつもの電子音声。
 わたしは、落ち込んでいこうとする気持ちを支える。昼間の香里の言葉を思い出して。
『そんなに心配すること無いわよ。きっと、バイトとか、飲み会とかで忙しいだけよ』
 電子音が鳴る。ひとつ小さな深呼吸をして、メッセージを吹き込む。
「ゆ、祐一?名雪だよ。電話、繋がらないから…。え、えっと、帰ったら、電話ください。何時でも…、何時でもいいから」
 急いで受話器をフックに戻す。わたしの吹き込んだメッセージが、行き場もなくふわふわと漂っているような、そんな気持ちになる。
















「そう、それで?」
 電話越しに聞くと、香里の声は実際よりも少しだけやさしく聞こえる。
「うん、ずっと起きてたんだけど、気がついたら朝になってて、電話もなかった」
「一睡もしなかったの?」
「そのつもりなんだけど…」
 わたしは小さな声で答える。正直、記憶の欠落している部分は、ちゃんと憶えている部分よりもずっと多かった。
「三分の二くらいは寝てたわね」
 くすくすと笑いながら、香里が言う。
 わたしは答えに困ってしまう。
 それはそれとして…、香里がそう言って、ラインの向こう側で黙り込む。わたしは、彼女が考えごとをするときの表情を思い浮かべる。
 そういえば、あいつって誰だろう。今度ちゃんと訊かなきゃな…、そんなことを考える。
「名雪、今日うちにおいでよ」
「え?」
「うちから電話してみなよ。それなら、折り返し電話がかかってきても、気がつかないってこともないと思うし」
 わたしは香里の提案について考える。
「香里、遠回しにひどいこと言ってる?」
「そんなことないわよ。ただ、可能性は潰しておいた方がいいでしょ?」
 香里が悪びれる様子もなくそう答える。確かに、一人で電話をかけるのには、今の私の気持ちは脆くなりすぎているようにも思えた。
「うん、じゃあ、晩ご飯食べ終わったら行くね」
「どうせなら、うちで一緒に食べようよ。久しぶりに私が作るわ」
「うん、じゃあお母さんに訊いてみるよ」何て言うかは、大体わかってるけれど。
「うん、そうして。じゃあ、決まったらまた電話ちょうだい」




 お母さんはわたしが思ったとおりの答えをくれて、わたしは香里の家で晩ご飯をご馳走になった。香里の両親は仕事で家を空けていて、わたしと栞ちゃんと香里の三人で食卓を囲んだ。香里の手料理は相変わらず美味しくて、暖かい部屋でいろんなことを話ながら食べる晩ご飯は、楽しかった。
 お風呂を借りて、パジャマに着替えた後、香里が電話の子機を渡してくれた。
 そして、お風呂に入ってくるわね、と言って部屋を出ていった。わたしは香里の気遣いに感謝しながら、かけ慣れた番号を押した。
 呼び出し音が響いた。
 いつもの回数で電話が繋がった。わたしはそっと電話を切った。
 視線の先の壁に、カレンダーがかけてあった。
 今日は22日。
 ねえ、祐一、わかってる?
 今日は22日なんだよ……。




 香里がお風呂から上がってから、もう一度、祐一に電話をした。
 正確に言うと、香里が祐一の家に電話を入れて、メッセージを残してくれた。
 夜遅くまで、わたしたち三人はいろんな話をして起きていた。
 でも、一度も電話は鳴らなかった。
―――朝まで電話は鳴らなかった。








「ね、名雪、お金はある」
 朝の食卓で香里が言った。
「え?」
「今、いくら持ってる」
「えっと、今はそんなに持ってないけど、銀行に行けば・・・」
 わたしは、この前お金をおろしたときの明細の金額を思い浮かべながら答える。
「そっか、それじゃちょっと足りないわね。私もこの前、コート買ったばかりだからな…」
 右手の人差し指と中指を顎に当てて、ちょっとの間考えた後で、香里は栞ちゃんの方を見た。
「栞、頼んでもいいかしら?」
 栞ちゃんは頼み事の内容を聞く前に、なぜかうれしそうな笑顔で頷いた。







 香里の家で朝ご飯を食べてから3時間後、わたしは空を飛んでいた。
『ねえ、名雪。行ってきなよ』
『え?』
『行って、顔を見て、文句を言ってきなよ』
『祐一のところに?』
 微笑んで、香里が頷いた。
『え、え』
『心配でしょ?』
 香里が強い口調で言った。わたしはすぐに頷いた。
『誕生日なんだから、会いたいでしょ?』
 もう一度、わたしは頷いた。
『じゃあ、いってらっしゃい』
『え、でも』
『大丈夫。全部は無理だけど、チケット代手伝うし』
 そう言って、香里がわたしを見た。
『プレゼント代わりにね』
 初めて乗る飛行機の窓から外を見ながら、わたしは不思議な気持ちでいた。
 昨日までは、考えもしなかった場所に自分が向かっている。そして、その場所では祐一が暮らしている。
 雲の切れ間から街が小さく見えた。わたしの知らない、そして、わたしを知ってる人も誰一人いない街。
 そこでも、誰かが誰かを好きだったりするのだろうか。
 誰かに会えなくて、不安で仕方ない思いをしていたりするのだろうか。
 誰かのことを思って、思いつづけて、その強さのせいで、さみしくなったりしているのだろうか。






















 空港の人波から抜け出して、モノレールに乗れたのは何の偶然だったのだろう。その上、一度も間違えずに乗り換えを済ませ、メモにある駅までたどりつけたのは、奇跡としか思えなかった。
 わたしは、期待を抱いて駅の改札を出た。それを出れば、祐一の家は簡単に見つかるようなそんな気がしていた。
 もちろん、それは間違いだった。
 いくら歩き回っても目的の番地は見つからなかった。太陽が大きく傾いた頃、わたしは諦めて祐一の家に電話をかけた。
 いつもの留守番電話が、いつもよりも大きく聞こえる声でわたしに答えてくれた。
 仕方なく、わたしは駅に戻った。夕方は夜に取って代わられようとしていた。
 わたしは柱にしっかりと寄り添って立った。わたしの周りをたくさんの人が通り過ぎていった。これほどたくさんの人を一度に見たことはなかった。
 そして、その中に、一人もわたしのことを知っている人がいないと思うと、逃げ出したくなった。わたしがここにいる意味なんて何もない、そんな気がした。
 でも、わたしは逃げ出さなかった。逃げ出してしまうと、もう祐一に会えなくなるような、そんな気がした。
 気持ちを紛らすために、この駅から電車に乗る祐一を想像してみた。改札を出るときには、どんな顔をしているんだろう。駅から続く商店街で、わたしの知っている表情で買い物をしたりするんだろうか。
 自分でも不思議だったけれど、その試みは成功した。この同じ場所で、祐一が生活していると思うと、少しだけ落ち着いた。
 わたしを送り出してくれた香里の笑顔と、お母さんの短い電話を思い出した。お母さんは、わたしの無茶苦茶な説明を黙って聞いた後でひと言だけ言った。

―――必ず会ってくるのよ。








 気がついたら、時計の針は今日の終わりに近づいていた。
 電車に乗ってるときや、地下街を歩いているときには暑くてたまらなかったけれど、今では、コートの前をしっかりと閉めて、ポケットに手を入れていても自然に体が動いてしまうくらい寒かった。
 この時間でも、電車は10分おきくらいに駅に着いた。そして、電車が着くと、まだ多くの人が改札を出てきた。
 わたしは、ただその人たちを見ていた。祐一の姿をその中から探す作業に疲れてしまって、ただ彼らを眺めているだけだった。
 もしかしたら、わたしの気づかない間に、家に帰ってしまったんだろうか。そう考えて電話をかけてみようかと思った。でも、留守番電話の声を聞くのがイヤで、かけることができなかった。
 何人かの人は、わたしの方を訝しげに見て通り過ぎた。
 わたしは、彼らの視線を感じると少しだけ安心した。自分が、ここにいることが証明されたような気分になって。
 吐く息の白が濃くなった。手は冷たかった。
 なぜか、二年前のあの日の祐一を思い出した。
 凍えそうになりながら、黙ってわたしを待っていてくれた姿を思い出した。
 わたしを待ってる間、祐一は何を考えていたんだろう?
 そんなことさえ、訊ねたことがないのに気がついた。一番、良く知ってるつもりで、でも、まだまだ、知らないことがたくさんある。
 知りたいことがたくさんある。

 だから―――。
 ねえ、だから。






 また、電車が着いた。ぱらぱらと数人の人が改札を出てくる。真っ赤な顔をした男の人たちが、大きな声で笑いながら通り過ぎた。マフラーに顔を埋めて、足早に歩く若い女の人が、わたしの方をちらりと見た。
 わたしは改札の上の時計を見た。もう少しで、針が重なろうとしていた。香里が渡してくれた携帯電話が、鳴った。わたしは慌てて、コートの内ポケットから電話を取り出そうとした。なかなか上手く取り出せなかった。
 やっと取りだして、電話に出ようと顔を上げた。
 目の前に驚いた顔の、わたしの良く知っている、でも、とても久しぶりに見る男の人が立っていた。
「何やってるんだ?」
 彼が言った。携帯の呼び出し音が鳴り続けていた。
「電話が…」上手く言葉が出てこなかった。
 彼は、黙ってわたしの手の電話を取ると電源を切った。
「俺の目が確かなら、お前は水瀬名雪、18歳だよな」
 わたしは首を横に振った。
「わるい」
 彼が言って、にやりと笑った。
「水瀬名雪、本日より、19歳だな」
 わたしは大きく頷いた。もう涙を堪えきれなかった。彼がぎゅっと引き寄せてくれた。彼の肩から大きなカバンが落ちた。わたしは何も言えずに、ただ、彼の胸に顔を埋めた。
 すべてが―――胸につかえていた悲しみも、不安も、さみしさも―――、淡く消えて融けてゆくのを感じていた。










『そう、よかったわね』
 安堵と喜びの混じった声で、香里が言ってくれた。
 わたしは祐一の部屋のベッドの上で、コートを着たまま香里の家に電話をかけていた。エアコンの調節を強にしても、なかなか体は温まらなかった。
「名雪、そろそろ風呂入れるぞ」祐一が、バスルームの所で言った。開け放したバスルームのドアから、湯気が出ていた。
『お風呂…』香里が電話の向こう側で呟いた。
「や、や、べ、別々に入るんだよ。もちろん」わたしは慌てて言った。
「いや、俺は一緒でも構わないぞ」いつのまに戻ってきたのだろう、祐一がいたずらっぽい顔で言った。
『私も一緒でも構わないと思うわよ』
 香里がそう言って笑った。








 暖房の効いた部屋と温かいお風呂のお陰で、わたしの体は温もりを取り戻した。わたしはベッドの中で祐一の腕に頭を乗せて、目を閉じていた。
 祐一の呼吸に合わせて、腕が微かに上下した。
 そんな小さなことが、わたしが自分の街を離れて、この遠い街の、祐一の部屋にいるということを実感させてくれた。
「名雪」
 祐一が、小さくてやさしい声で言った。
「寝たか?」
 わたしは微かに首を振って、起きていることを伝えた。
「心配したか?」
 わたしは頷いた。そして、少し前に留守番電話のメッセージを聞いたときの祐一の表情を思い出した。


『名雪、お前なあ』
 せわしなく点滅を繰り返す留守番電話のランプを見て、少なからず驚いた顔でメッセージを再生した祐一は言った。
『メッセージ残さないなら、発信音の前に切れって言ってるだろ』
 実際、残っているメッセージの三分の二はわたしの無言メッセージだった。
『うう、だってタイミングが掴めないんだもん』
 そう言ったわたしに、祐一が何かもっと文句を言おうとしてるときに、留守番電話から声が聞こえてきた。
 それは、固くて、さみしそうで、遠くで迷子になってしまった子供の声のようだった。

―――ゆ、祐一?名雪だよ―――

 彼女はわたしの大切な人の名前を呼んでいた。祐一はそのメッセージを聞くと、わたしをぎゅっと抱きしめてくれた。動けなかった。胸が、胸の中が抱きしめられたような気がした。それだけで、他には何も要らない。そう思えた。
『ごめん』
 祐一が言った。わたしは顔を上げて、祐一を見た。祐一の濃い茶色の瞳の中で、幸せそうなわたしがわたしを見ていた。そして、彼女がゆっくりと近づいてきた。彼女が視界一杯に広がる瞬間、わたしは眼を閉じた。
 やわらかくて温かい、幸せな感触が唇に触れて、わたしを満たし、わたしから少しずつ溢れていった。


「悪かったな」
 囁くように祐一が言った。どうしてだろう、思い出す声とホントの声はいつも違う。
「まさか、バイトに行って帰って来れなくなるとは思わなかった」
「うん」
「スゴイ吹雪だったぞ。あれを見たら雪ン子名雪も腰を抜かすに違いないってくらいの」
「うー、雪ン子じゃないよ」
 拗ねて見せたわたしに、祐一が小さく笑った。祐一が笑うと、わたしが顔をつけている胸と枕にした腕から、静かに振動が伝わってきた。その振動はわたしに、まだ自分が飛行機に乗っていて、どこかに移動しているような錯覚をもたらした。
「確かに雪が多いところなんだけどな、電話も通じなくなるくらいっていうのは、久しぶりらしい」
「携帯は?」
「山の中だから、吹雪いてなくてもつながらん」
「でも、まあとにかく」
 祐一が体だけを反転させてわたしの方を向いた。空いてる方の手で、やさしく髪の毛を梳いてくれた。わたしの髪の毛から、いつもと違うシャンプーの匂いがした。
「今日、帰って来れて良かったよ」
「うん」
「会えて良かったよ」
「うん」
 わたしは祐一の胸に顔を埋めた。
「でも、心配させたバツに、祐一だけクリスマス無しね」
「クリスマス無し?」
「そう。クリスマスらしいこととか、クリスマスらしいものとか、見たり、聞いたり、触ったり、食べたりするの禁止」
「もらったり、あげたりは?」
「あげたり、だけ許可」
 そう言って、わたしはくすくすと笑った。祐一も笑った。やさしい振動が、また伝わってきた。
「ね、祐一」
「ん?」
「わたし思ったよ」
「何を」
「わたしと祐一がいとこじゃなくても、男の子と女の子じゃなかったとしても、きっとわたしたちは、今のわたしたちになってたなって」
「いとこじゃなくても、っていうのはいいとして」
「うん」
「男の子と女の子じゃなくってもっていうのは何だ?」
「言葉通りだよ」
「うーん、例えば俺が女だったりとか」
「うん、例えば祐一が女の子だったりとか」
「名雪が男だったりとか」
「そうだよ」
「良くわからんが…」
 祐一がそう言いながら、わたしの体を引き寄せた。
「俺は今のままがいいな」
 ぎゅっと抱きしめてくれる。
「男の名雪は、今より抱き心地が悪そうだ」



















 次の日、わたしと祐一は朝早く家を出た。そして、祐一が通ってる大学に一緒に行った。
 ほとんど人影のないキャンパスをふたりで歩いた。そして、大学のある街をゆっくりと歩いて、古びたお蕎麦屋さんでお昼ご飯を食べた。これで、祐一の毎日を想像しやすくなるよ、と言ったら、祐一はおかしそうに笑った。
 全然、クリスマスイブらしくない一日だったけれど、わたしはとってもうれしかった。
 祐一は、クリスマス禁止を守ったぞと得意気だった。


 結局、わたしは祐一に、クリスマスプレゼントをあげることができなかった。
 そして、わたしも誕生日とクリスマスのプレゼントをもらうことができなかった。
 ふたり分の飛行機のチケットに、ふたりのクリスマス資金は化けてしまったから。


 帰りの飛行機にはふたりで乗った。
 飛行機が離陸してすぐに、祐一は眠ってしまった。
 わたしは窓から外を見ていた。飛行機の翼の下に大きな街が広がっているのが見えた。
 翼の端が、白い尾を引いていた。きっと、地上から見たら飛行機雲に見えるんだろうな、そう思った。
 隣で眠る祐一の鼓動が、肩越しに伝わってきた。
 とても高い空の上で、とても近くに祐一を感じることができることに、わたしは不思議な気持ちを感じた。
 そして、わたしは祐一との会話を思い出して、小さく笑った。

『ねえ、祐一、あのときベンチで何考えてたの?』
『あのとき?』
『うん、あの日。二年前のあの日』
『おお、俺が凍死しかけたときか』
『うん。でも、今回ので、おあいこだね』
 わたしの言葉に、祐一は困ったような顔で笑った。
『…あのときはな』
『うん』
『ずいぶん久しぶりだけど、ひとめ見たらわかるだろうな、って考えてた』
『わかった?』

 祐一は、やさしい顔で笑った。
 笑って何も答えなかった。










名雪、誕生日おめでとう。

2000/12/23   
HID-F All rights reserved