『雨上がりの青空』
 
 
 
 
 
 
    ふりしきる、雨。
    空気を、大地を、人を、洗い清めながら、ただひたすらにふりそそぐ、雨。
 
 
 
 
 
「雨、続きますね……」
「まあ、梅雨だしな」
 
 いつもの学校帰り。
 いつものように、俺と栞は商店街を歩いていた。
 
「祐一さんの日頃の行いが悪いせいですよ」
「いや、日本の気候を俺のせいにされても困るんだが」
 
 空を厚く覆う雲から、雨は絶え間なくふりそそぐ。
 梅雨明けも近いはずだが、一向にそんな気配を感じさせない。
 どうしても、気分は重くふさぎがちになる。
 
「栞は、雨の日は嫌いか?」
「ええと……そんなことはないですよ。雨の日にも、良いことはありますし」
「そうかぁ?……たとえば?」
「たとえば……」
 口元に指をあてて、少し考え込む。
「……相合い傘が出来ます」
 いつもの屈託ない笑顔……が、ちょっとだけ小悪魔の笑いのように見えた。
「祐一さん、してみませんか?」
「二人とも、傘を持ってるのにか?」
 
 ……想像してみる。
 ひとつの傘の中、寄り添って歩く二人。
 何故か女性の片手には、もう一つ傘が……。
 
「……却下だ。あまりにも露骨すぎる」
 転がってしまいたくなるくらい恥ずかしい状況だった。
「そうですか……ドラマみたいで、素敵だと思うんですけど」
 栞は、少し残念そうだった。
 
 
 
    ふりしきる、雨。
    空を、街並みを、人を、霞ませながら、ただひたすらにふりそそぐ、雨。
 
 
 
「雨の中だから感じられるもの……」
 栞は、灰色におおわれた空を見上げながら、ぽつりとつぶやいた。
 
「水滴の冷たさも、濡れた髪の重さも、絶え間ない雨音も……」
「寄り添うことの暖かさも……」
「晴れた空を待ちわびることも……」
「……雨の日にしか出会えないものも、たくさんありますから」
 
 じっと、空を見上げながらつぶやく栞。
 その瞳が写しているのは、今という季節なのだろうか。
 それとも過去の……雪に覆われた風景なのだろうか。
 
「……だから、私は雨の日が嫌いじゃありません」
「……そうかもな」
 
 
 
    ふりしきる、雨。
    土を、木立を、人を、うるおしながら、ただひたすらにふりそそぐ、雨。
 
 
 
「でも……」
 視線を俺の方に移して、栞は明るく微笑んだ。
「やっぱり私は晴れの日の方が好きです」
 ―――雪が、解けていくような、笑顔で。
「明るいお日さまの下で見るものの方が、ずっときれいで楽しいですから」
 ―――雲が、晴れていくような、笑顔で。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 雨は、少しずつ小降りになっていく。
 流れていく雲を透かして、陽の光がやわらかく街並みをつつみ始める。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「あ……祐一さん、あの店はなんでしょう?」
 そう言って栞が指さしたのは、商店街の片隅にある小さな雑貨屋だった。
 たしか、以前名雪に連れられて来たことがある。
 そう言えば、栞と来たことはなかったな……。
「入ってみるか」
「はい、そうしましょう」
 
 
「わあ、いろんなものがありますねー」
 店に入るなり、栞は楽しそうに商品棚をきょろきょろと見回していた。
「あ……祐一さん、これ見てください!」
 そう言って栞が指差したのは、
「……羽根……」
「はい……あゆさんが付けてたのと似てますね」
「へえ、売ってるのは初めて見たな」
 あゆは『流行っている』とか言ってたが……。
 
「祐一さん、付けてみませんか」
「へ、俺が?これを?」
「はい、案外似合うかも知れませんよ」
 相変わらず、にこやかにすごいことを言ってくれる。
 その姿を想像してみる、までもなく……
「……栞、言ってて、それはないって思ってないか?」
「恥をかくのは、私じゃないですから」
「わー、そんなこと言う人、嫌いですー」
「わー、真似しないでくださいー」
 
 そんな風に賑やかに会話していると、
「……昼間っから仲良いわね、お二人さん」
「「うわぁ!」」
 いきなり背後から耳元でささやかれて、二人は飛び上がった。
 
「偶然ね、相沢君」
「こんにちは、栞ちゃん」
 振り向くとそこには、名雪と香里の二人がにこやかに立っていた。
「香里、脅かさないでくれ……」
「び、びっくりした……」
 
 
「で、二人は何しにここにいるんだ?」
 結局四人そろって店内を回りながら、俺はなんとなくそう聞いてみた。
「買い物だよ。ちょっと、欲しいものがあったから」
 名雪が答えた。まあ、当たり前か。
「名雪さん、欲しいものってなんですか?」
「え、えっとぉ……」
「……目覚まし時計だって」
 答えにくそうな名雪に代わって、少し呆れた口調で香里が答える。
「おまえ、あれだけ目覚まし持ってるのに、まだ買うのか?」
「だって……いつまでも祐一に起こしてもらう訳にはいかないでしょ?自分で起きれるように、頑張ろうと思って」
 名雪は、そう力説する。その心構えは立派だが……
「それで、目覚ましを買おうと考える時点で、すでに敗北確定って気がするんだが」
「……同感ね」
「うー、二人ともひどいよ……」
 
 
 結局、懲りない名雪は目覚ましコレクションを増やすべく物色をはじめ、栞もそれに付き合って店内を回っていた。
 ただでさえ長い女の買い物なのに、今回はそれに名雪の要領の悪さが加わっている。
 はっきりいって、まともには付き合いきれない。
 そう思って俺は、店内を物色する二人をおいて、店の外で待つことにした。
 
 
 もう、傘を差すまでもないほどに小降りになってきた雨。
 店内から聞こえてくる名雪と栞の明るい話し声をぼんやりと聞きながら、薄明るい空を見上げていた。
 空を行く風が、絶えることなく雨雲を押し流していく。
 
 
「雨、このまま止むといいわね……」
 背中から聞こえた声に振り返ると、そこには香里が立っていた。
「早く、梅雨が明けて欲しいわ」
「……香里は、雨が嫌いなのか?」
 さっき栞にした質問を、なんとなく今度は香里にしてみた。
 
「そうね……あんまり好きじゃないわ。こういう日は、いろいろと嫌なことを考えてしまうから……」
「…………」
 
 俺は、それにどう答えていいかわからなかった。
 沈黙が、ふたりの間に落ちる。
 
 口を開いたのは、香里の方が早かった。
「……うまくいってるみたいね、栞と相沢君」
「え……まあ、な」
 いきなりの言葉に、戸惑いながらの返事になった。
 香里は表情を隠すように前へ一歩踏み出して、
「栞のこと、よろしく頼むわよ、相沢君」
 そんなことを、言った。
 
「……いきなりどうした、香里?」
「あなたのおかげで、栞はあんなに幸せそうにしてる。私もそれで救われてる」
 俺に背を向けたまま、香里は語り続ける。
「でも、時々怖くなることがあるわ。この幸せが、いつか不意に壊れてしまうんじゃないか、って」
 香里の表情は窺えない。それでも、俺は不安になった。
 香里は、まだあの頃のことを引きずっているのか……と。
「……おい、香里――」
「だから……」
 
 
 香里は、勢い良く振り向いた。
 その顔には、笑顔。
 雲間から覗く青空のような、笑顔。
 
 
「『ふぁいと、だよ』……ね、相沢君」
 
 
 
    雨雲が、風に流されていく。
    雲の切れ間から、陽の光が大地を照らしはじめる。
 
 
 
「しっかりしなさいよ、相沢君。栞との仲、壊しでもしたら承知しないから」
 
 
 
    青空が、広がっていく。
    雨に濡れた街並みが、日差しを浴びて明るく輝きはじめる。
 
 
 
「それから―――あたしはあの、美坂栞の姉なのよ。いつまでもうじうじ悩んでると思ったら、大間違いだからね」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 雨が……
 止むことがないかと思えるほど、長かった雨が、上がっていく。
 
 そして―――新しい季節は、もうそこまで。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「ふたりとも、お待たせー」
「わ、雨止んだんですね」
 栞と名雪が店から出てきて、場は一気に賑やかになった。
 
「それで、これからどうする?」
「あたしたちは、百花屋へ寄ってくつもりだったけど」
 俺の問いに、香里が答える。
「ねえ、祐一と栞ちゃんも一緒にどう?」
「わー、いいですねー。祐一さん、そうしましょう」
 名雪の誘いに栞が応じて、それで俺達の行き先が決まった。
 
 
 
    そして、俺達は歩き始める。
    それぞれの歩幅で。
    それぞれの速さで。
    この、雨上がりの青空の下を。
 
 
 
「……どうしました、祐一さん?」
 百花屋へ向かう途中、ふと立ち止まった俺を見て、栞がいぶかしげに問いかけてくる。
「ほら……あれ」
 
 建物の隙間からのぞいている、七色の橋―――
 
「あ……虹が……」
 そう言ったきり、栞も黙り込む。
 俺達は、ただ黙ってそれを見つめていた。
 青空を背景に、遥かな高みへと延びる、天の架け橋。
 長い雨の季節が最後に残した、最高の贈り物。
 
 
 
    そして、俺は歩いていく。
    青空と虹に祝福された、この街を。
 
 
 
「ゆーいちーーー、おいてっちゃうよーーーーー」
 
 名雪が呼ぶ声がする。
 見ると、名雪と香里がずっと先で立ち止まって俺達を待っていた。
 
 
「行きましょう、祐一さん」
 笑顔でそう言って、栞は小走りに駆け出した。
 一歩遅れて書けだした俺が、すぐに栞の隣に追いついた。
 
 
 
    そして、俺は歩いていく。
    ずっと、このかけがえのない笑顔の隣を。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 青空と虹につつまれた街並みを、俺達は肩を並べて駆け抜ける。
 
 
 
 隣を駆ける少女が手にした袋の中で、白い羽根がぱたぱたと羽ばたいていた。
 
 
<了>   
 
 

 
 
 
あとがき・HP開設によせて
 
 
 HIDさま、『天國茶房』開設おめでとうございます。
 
 HIDさんには、KeySS掲示板に初投稿したときにコメントをいただいて以来、ずっとお世話になってきました。
 ですので、こちらのHPが開設されると聞いたとき、何もしないで良いのか、いや、良くない……というわけで、SSを一本書かせていただきました。
 
 作品としては、とにかく美坂姉妹、特に香里に思いっきり幸せそうに笑ってもらおう、ということを中心に置きました。それでも栞がメインになってしまうのは、まあ筆者の煩悩のなせる技というか(笑)。
 ともあれ、一つの苦しみを乗り越えた彼女たちの笑顔の美しさを、少しでも表現出来ていればいいなあ……と思います。
 
 
 HIDさまの作品の素晴らしさについては、今さらここで私如きが論じ立てる必要はないでしょう。
 まあ、これを読んでくださっている人で、HIDさんの作品を読んでいない人がいるとも思いませんが……念のため。まだ読んでない人、そんなもったいない話ありません。いますぐ読みましょう。
 
 それでは、この『天國茶房』が皆様の憩いの場としてますます発展していくことを、また、HIDさまがさらにすばらしい作品を発表し続けてくださることを祈りつつ。
 
’99.7.24 大月 千尋 拝    





『感謝の言葉』

大月さん、このような素晴らしい贈り物をいただきありがとうございました。

いくら自分のためにSSを書いているとはいえ、やはり、書いたものへの反響がなければ、書き続けることはできません。

特に、大月さんには的確なコメント、また、一時は【美坂マスター】という称号までつけていただいたこと、非常に感謝しています。

SS掲示板の初期の頃からおつき合いいただいている方々のコメントがなければ、「Starting over」をはじめとして、わたしのSS

は書かれていなかったかもしれません。

今までの、ご厚意に対する感謝と今後も末長いおつき合いをいただけることを願って。

HID

(1999/7/24)



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